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第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー69

2020.05.27.22:15

104

南極大陸東部 第7掘削現場、スノーキャンプ・アルファ

ロバート・ハントは胸に安堵が広がるのを感じた。
第7掘削現場の小さな白い住居の外に、スノーモービルが駐まっていたからだ。
自分のスノーモービルも駐め、住居へ駆け込んだ。
男たちは壁のヒーターで体を温めていたが、彼が入っていくと揃って腰を上げた。
「待とうと思ったんですが、寒さに耐えられなくて、あそこにいられなかったんです。」
「わかってる、気にしなくていい。」
そう言うと、ロバートは改めて室内を見回した。
これまでの6つの住居とどこも変わらない。
無線に目をやった。
「向こうから連絡は?」
「1時間に三回もありました。あなたを探していましたよ。だいぶピリピリしていたようです。」
ロバートは返事に困った。
「それでなんと言ったんだ?」
その答えを聞けば、彼らがどんなふうに揺さぶりをかけるつもりかわかるだろう。
「最初の呼び出しには応じませんでした。二回めの時に応援を送ると言われたので、あなたはドリルを動かしている最中だし、手伝いは要らないと答えました。向こうで何を見たんですか?」
最後の問いかけに、ロバートの頭がフル回転を始めた。
俺を試しているのだろうか?
もしかすると、彼らから全てを聞いた雇用主が、俺を殺せと命じているのかも知れない。
彼らを信用してもいいのか?
「俺は何も…」
「いいですか、確かに俺は賢くありません。高校も出ていないんですからね。ですが、これまでずっと石油を掘って来たんです。これが石油の掘削でないことぐらいわかりますよ。だから、俺たちにも何を見たのか教えてくれませんか?」
ロバートは無線がある小さなテーブルの前に腰を下ろした。
急に疲れを感じた。
それに腹も空いている。
フードを外し、それから手袋を引き抜いた。
「まだよくわからないんだ。猿がいた。連中は何かを使ってそれを殺してしまった。その後、子供たちが出て来た。ガラスのオリに入れられていたよ。」

105

ジブラルタル クロックタワー の隠れ家

ケイトは隣のバルコニーとの距離を目で測った。
1メートル、いや1メートル半?
届くだろうか。
下を通る警備員の足音に気づき、そっと部屋へ戻った。
耳を澄ました。
男の靴底が踏む細かな砂利の音が、ゆっくりと遠ざかって行った。
再びバルコニーに出た。
端へ行き、片足を高くあげて柵を跨ぐと、体を回してもう一方の足も引き寄せた。
狭い張り出しから落ちないように、背後の柵を両手でしっかりと握っていた。
届くだろうか?
片手で柵を握ったまま、バレリーナがクライマックスで見せるランジのポーズのように、片足を長く伸ばした。
腕も足も目一杯広げたが、柵を握る手が滑って、危うく落ちそうになった。
慌てて体を引き、柵に寄り掛かった。
首の骨を折るところだった。
隣のバルコニーまでもう少しだったが、せいぜい後50センチぐらいだろう。
柵に背中を押しつけ、ジャンプを試みようとしたその時だった。
隣のバルコニーのガラス戸が開いて、デヴィッドが現れた。
こちらに顔をを向けた途端に後ずさったが、それがケイトだとわかると柵へ近づいて来た。
デヴィッドが微笑んだ。
「ロマンチックだな。」
彼は怪我をしていない方の腕を広げた。
「ジャンプしろ、俺が引き上げてやる。君には借りがあるからな。」
ケイトはチラリと下に目をやった。
手に汗が滲むのを感じた。
デヴィッドは柵の外へ腕を伸ばしていた。
ほんの数10センチ先にある。
彼の腕に飛び込みたかったが、自信がなかった。
もし落ちれば警備員に取り押さえられ、すぐにキーガンにバレてしまうだろう。
そうなれば取引もなくなってしまう。
デヴィッドは捕まえてくれるだろうか?
彼ならここから逃げ出せるだろうか?彼のことは信頼している。
彼を信じている、でも…。
ジャンプした。
彼がケイトを受け止めて柵の内側へ引き込み、彼女を両腕で抱え上げた。
そこから先は一瞬の出来事だった。
何もかもが夢のように過ぎていく。
彼はガラス戸を締める手間さえ惜しんで、部屋の奥へと彼女を運び、ベッドの上に放った。
そしてケイトに馬乗りになり、シャツを脱いで彼女の髪をかき上げた。
唇にキスをしながら彼女のシャツをまくり上げ、そのシャツが顔を通過するほんの数秒だけ唇を離した。
彼に話さなければならない。
止めなければ。
だがケイトは、抵抗できなかった。
自分自身がそれを望んでいるのだ。
彼の指先から電流が伝わってくるかのように、長い間暗かった体のあちこちに火が灯った。
彼の手で何かが呼び覚まされようとしていた。
その圧倒的な力がケイトを包み込み、他の全てを塗りつぶした。
もう何も考えられなかった。
ブラが剥ぎ取られ、彼の下着が脱ぎ捨てられた。
とても心地がいい。
全てが解き放たれていく。
話は後でできるだろう。

ケイトはデヴィッドの胸が上下に動くのを見つめていた。
深い眠りだった。
覚悟を決めるしかない。
ベッドに仰向けになって、白い漆喰の天井を見つめ、自分の気持ちとじっくり向き合ってみた。
今は…生きているという実感がある。
どこまでも安全だと感じている。
例え、キーガンに脅されていても。
頭のどこかではデヴィッドを起こしたいとも思っている。
危険が迫っているからここから逃げようと言いたいのだ。
だが、彼に何ができるだろう?
肩と足の銃槍はまだ半分も癒えていない。
打ち明けたところで、彼が殺されてしまうだけだ。
服を着てそっと彼の部屋を抜け出し、ゆっくりドアを閉めた。
「はっきり言ったはずだ。」
キーガンだ。
彼女の背後に立ち、顔に…悲しみとも失望とも後悔とも受け取れるような表情を浮かべている。
「彼には何もいってないわ。」
「そんな話は信じられないな。」
「本当よ。」
ケイトはドアを開け、下半身だけシーツをかけて仰向けになっているデヴィッドを見せた。
そして静かにドアを閉めた。
「言葉は交わさなかったの。」
ケイトは俯いた。
「彼に別れを告げていただけよ。」

30分後、ケイトは南極に向かう飛行機の窓からアフリカ北部の光を見つめていた。

続く→

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第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー68

2020.05.27.22:14

102

フラッシュ・インフルエンザの流行に関する、ホワイトハウス記者会見

アダム・ライス(大統領報道官)
おはようございます。まずは声明文を読み上げ、その後質問を受け付けたいと思います。
大統領と合衆国政府は、報道各社がフラッシュ・インフルエンザと呼んでいる保健衛生上の問題に関し、事態の把握に務めるとともに解決に向けた努力を行なっております。
大統領は本日、CDCに対して早急に脅威レベルを査定するよう命じました。
この査定結果を待つ間も、ホワイトハウスはアメリカ国民の安全を確保すべく、さらなる措置を講ずる予定でおります。
(ライスが声明文を置き、1人目の記者を指差す。)

記者
大統領は国境封鎖を予定しているのでしょうか?
(ライス、ため息をついてカメラから視線を逸らす。)

ライス
何度も申し上げているように、大統領は国境封鎖を最終手段と考えています。
封鎖をすれば、大小を問わずアメリカ企業に深刻な影響を与えてしまうからです。
無論、国民の健康に関わる問題があることは承知しています。しかし、経済的なリスクも無視することはできません。国境封鎖はアメリカ経済に極めて現実的な危険をもたらすでしょう。大勢の国民がインフルエンザに罹患する可能性はありますが、封鎖は即座に景気の後退をもたらし、インフルエンザの流行以上に国民を危険に晒すかも知れないのです。
我々はどちらの面にも配慮しながら、最適な対策を検討しています。大統領はいかなる国民も危険に晒すつもりはありません。原因はインフルエンザであっても、景気の後退であってもです。

記者
アジアや中東、ヨーロッパからの報告に対して、政府はどういった見解を示しているんですか?

ライス
深刻に受け止めていますが、慎重かつ公正に情報を見極める必要があると思っています。今の段階では十分な情報が集まっていませんし、率直に言うと、全てが信用に値するわけではないと考えています。

記者
それは目撃者からの情報について言っているのでしょうか?動画などの…。
(ライスが片手を上げる。)

ライス
インターネット上の動画には、とりわけ悲惨な状況が映されています。ユーチューブに動画を載せるときに、わざわざ自宅でくつろいでいる場面や、元気にシリアルを食べたりエアロビクスをしたりしている様子を撮るはずがありませんからね。こうした動画は特にセンセーショナルな出来事があったときだけ、投稿されるのです。
我々も今ある動画は全て見ましたし、この先も増えていくでしょう。ですが、YouTubeで目にするものを基準にして生きていると、非常に偏った判断しかできなくなります。そして今は、そのような判断こそ避けねばならないのです。これらの動画が本物かどうかさえ不明ですし、仮に本物だとしても、数ある深刻な病のどれを映したものかわかりません。
(ライスが両腕を上げる。)」

ライス
今日はここまでとさせていただきます。ありがとうございました。

103

ジブラルタル、クロックタワーの隠れ家

ジブラルタル湾の夕暮れは、息を飲む美しさだった。
柔らかな色合いの赤とオレンジとピンクの光が、遠く広がる太西洋の紺碧の水面と溶け合っている。
100メートルほど先の港が途切れるところでは、大きな岩が海や陸を飲み込むほどの、迫力でそびえ立っていた。
その灰黒色とぶつかるようにして、茜色に燃え立つ陽光が、岩肌を滑り落ちていく。
ケイトはガラスのドアを開け、港の通りを見下ろす4階のタイル張りのポーチに出た。
下では武装した警備員たちが、この大きな家の周囲を見張っていた。
地中海の暖かなそよ風を感じ、ケイトは手すりにもたれかかった。
背後のテーブルでどっと笑いが起きた。
振り返るとデヴィッドと目が合った。
1ダースほどのクロックタワー の支局長や局員に囲まれて、とても嬉しそうな顔をしている。
彼らは陥落したクロックタワーの生存者たちで、今は抵抗者たちだった。
もし何も知らなければ、大学時代の級友が、集まってふざけたり近況を報告し合ったり、明日のアメフトの大一番を前に、パーティーの計画を立てたりしているように見えるだろう。
だが、ケイトは知っていた。
彼らはイマリ・ジブラルタルの本部を、奇襲する作戦を立てているのだ。
とは言え、話が戦術に関する専門的な話題に移り、建物の構造やら、入手した配置図の信憑性やらが、議論されるようになったので、こうして1人ポーチへ出てきたのだった。
まるで中心メンバーには入れてもらえない新しいガールフレンドのように。
インドからここへくる飛行機の中で、ケイトとデヴィッドは初めて警戒心もためらいも捨てて話をした。
ケイトは子供を失ったことを打ち明けた。
男と出会ったいきさつや、妊娠した途端に相手が幻のように消えてしまったことを。
流産した1週間後にサンフランシスコを出てジャカルタに移り、その後はひたすら仕事と自閉症の研究に打ち込んできたことも話して聞かせた。
デヴィッドもやはり何も包み隠さず話してくれた。
彼の婚約者は9、11の攻撃で命を落とし、彼自身も、あわや半身不随になるほどの大怪我を負ったと言うことだった。
だがその後回復した彼は、首謀者を突き止めることに生涯を捧げようと決めたのだそうだ。
これが1週間前なら、イマリが世界的陰謀を企ているなどと言い張られても、とても耳をかす気にはなれなかっただろう。
しかし機上のケイトは黙って頷いた。
そのバズルのピースがどんなふうにはまるのかはわからなかったが、デヴィッドのことは信じていた。
話終えると、2人は告白したことで安心したかのように眠りに落ちた。
最も、ケイトの眠りは途切れがちなうたた寝でしかなかったが。
1番の原因は飛行機の騒音で、部分的には椅子で寝ているという状況も影響していた。
ケイトが何度目を覚ましても、デヴィッドはいつも眠っていた。
もしかすると彼もこうして私を眺めながら、眠気が戻るのを待っているのかも知れない、とケイトは思った。
彼に話したいことはまだまだたくさん合った。
最後に目を覚ましたとき、飛行機はジブラルタルの飛行場に向けて最終着陸態勢に入っていた。
デヴィッドは窓の外を見つめていたが、ケイトが起きたことに気づくと、こう言った。
「いいかい、もう少しはっきりするまでは、日記のこともチベットのことも、中国の施設のことも黙っておこう。まだ確信が持てないからな。」
クロックタワーの局員は2人が降り立った途端に集まってきて、すぐさま彼らをこの家まで運んできた。
それ以後、デヴィッドとはほとんど、言葉を交わしていない。
背後でドアが開いた。
ケイトはハッとして期待に満ちた笑顔を振り向けた。
そこにいたのは、クロックタワー の局長、ハワード・キーガンだった。
慌てて顔から笑みを消し、彼に見られていないことを願った。
彼が外へ出てドアを閉めた。
「ご一緒しても構わないかね、ドクター・ワーナー?」
「どうぞ。それから、ケイトと呼んで下さい。」
キーガンは隣に立ったが、手すりを握ることも、ケイトに顔をむけることもなかった。
彼はただじっと夜陰が濃くなっていく湾を見つめていた。
60は過ぎているはずだが、とても若々しく見える。
いかにも頑丈そうなのだ。
少しばかり気まずい沈黙だった。
「計画はどうなっていますか?」
ケイトは聞いてみた。
「順調だ。どうせ、必要ないものだがな。」
キーガンが抑揚のない低い声で答えた。
ケイトは背筋が寒くなるのを感じた。
雰囲気を明るくしようとこう言った。
「まあ、よほど自信がおありで…」
「もちろんだとも。明日のことは、もう何年も前から計画してきたのだ。」
彼は眼下の通りの警備員たちを示した。
「あれはクロックタワーの局員ではない。イマリ警備の隊員だ。家の中のいる警備員もな。明日になれば、クロックタワーに残っている反イマリ派の局員は全て死ぬことになる。デヴィッドを含めてだ。」
ケイトは手すりを押して、体をおこし、相変わらずテーブルを囲んで笑ったり、指を差したりしている男たちを振り返った。
「どう言うこと…」
「振り返るな。私は君と取引するためにここにいるのだ。」
キーガンは囁くような声で言った。
「取引?」
「彼の命だよ。君の命と引き換えに助けてやろう。君は今夜ここを出るんだ。あと数時間以内に、全員が部屋に引き上げた後で。今夜はみな早くベッドに入りだろう。夜明けに攻撃を開始する予定だからな。」
「約束を守るとは思えないわ。」
「そうかね?私だって彼を殺したくはない。彼を好ましく思っているんだよ。私と彼はコインの表と裏にいると言うだけだ。たまたまな。だが我々は、なんとしても君を手に入れたい。」
「なぜ?」
「ベルを生き延びたからだ。そこが全ての鍵になる。理由を明らかにする必要があるのだよ。約束は守る。君は質問責めにされ、検査されることになるが、それで彼の命は助かるだろう。君にどんな選択肢があるか考えてみたまえ。我々は今すぐあの局員たちを殺すこともできるのだ。無論、こんな住宅地で騒ぎを起こせば、面倒なことになるが、不可能ではない。これは長期間にわたる作戦で、誰がこちら側へ着くかずっと様子を見てきた。彼も来てくれることを期待していたが、もう十分すぎるぐらい待った。それに君が考えるべきことは、他にもある。君が賢く交渉すれば、あの子供たちも助けられるかも知れないんだぞ。君自身と交換させると言う手立てだってあるだろう。あの2人は、君が行く施設に監禁されているからな。」
キーガンはケイトの目を見つめた。
「それで、君の答えは?」
ケイトは唾を飲み、首を縦に振った。
「わかったわ。」
「もう一つある。機内の録音音声を聞いたが、君とヴェイルは日記の話をしていたな。それを渡してもらいたい。我々がずっと探していたものだ。」

続く→

第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー67

2020.05.27.22:13


100

南極大陸東部 イマリ調査基地、プリズム

ドリアンはマーティン・グレイの実力を認めざるを得なかった。
専門家としての彼はやはり優秀なのだ。
南極の調査現場は、驚きの連続だった。
この30分の間、ドリアンはマーティンに案内され、ムカデのような形状の移動式研究所を見て回っていた。
二匹の猿の死骸がある霊長類研究室があり、ドリル制御室、スタッフの宿舎、会議室、そして2人が今いる中央指令室があった。
「ここで隠し事はなしにしよう、ドリアン。万全を期す必要があるからな。この南極には観測基地がいくつもある。もしこちらの動きに気づかれでもしたら…」
「どうなると言うんだ?」
ドリアンは言った。
「気づいたところで、いったい誰に通報する?」
「もうすぐどこの国でも、疫病騒ぎで大忙しになる。地球の隅で許可なく氷を掘っているからといって、誰がそんなことを気にするんだ。心配ない。時間を無駄にするのはやめて、さっさと本題に入るぞ。潜水艦の現場からは何が出てきた?」
「ほぼ予想通りのものだ。」
「彼は?」
「いや…ケイン将軍は。」
マーティンはどこかためらうように、その名前を口にした。
「発見された死体の中には、いなかった…」
「じゃあ、中にいるな。」
願望のせいで、ドリアンはいつになく感情的な口調になっていた。
「そうとは言い切れない。他の可能性だって考えられる。」
「どうかな…」
マーティンがなおも言った。
「チベットの奇襲攻撃の時に死んだかも知れないだろう。船旅の途中で命を落とすことだってあり得る。何しろ長い旅だったからな。あるいは…」
「彼は中にいる。俺にはわかるんだ。」
「もしそうなら、色々と納得できない点が出てくる。1番の疑問は、なぜこれまで外へ出なかったのかと言うことだ。こちらに連絡がなかったのもおかしい。それに、時間という現実問題がある。ケインが南極に到着したのは、1938年だ。75年も昔のことだぞ。もし彼が中にいるとしても、すでに140歳を超えている計算になる。とうの昔に死んでいるはずだ。」
「彼は連絡しようとしたのかも知れない。ロズウエルのUFO騒ぎだ。あれは警告だったのさ。」
マーティンは少し考え混んでいた。
「興味深い説だな。だが、たとえそうだとしても、君はケインに執着しすぎている。彼の捜索ばかりにこだわっていると、他の全員を危険に晒すことになるだろう。この作戦を指揮するつもりなら、もっと冷静になってもらわねば…」
「俺は冷静だ、マーティン。」
ドリアンは立ち上がった。
「確かに俺は、コンラッド・ケインを見つけることに拘っているかも知れない。だがな、あんただって、もし自分の父親が行方不明だとなればこだわりたくもなるはずだ。」

ロバート・ハントはエンジンをかけたままスノーモービルから降り、2人を待たせていた岩のくぼみへ近づいて行った。
そこに彼らの姿はなかった。
が、スノーモービルが一台だけ残されている。
次の現場へ出発したのか?
俺のことを報告してしまっただろうか?
もしかして、後を追ってあの現場まで戻ったのか?
もしそうなら間違いなく、俺の行動はバレてしまっただろう。
庇の下から駆け出して広い氷原に立ち、双眼鏡を取り出してすべての方角を見渡した。
何も見えない。
くぼみへ戻った。
中は寒かった。
凍えるほどの寒さだ。
置き去りにされたスノーモービルのエンジンをかけようとした。
燃料が切れていた。
なぜだ?
俺を尾行した後、どうにかここまで戻ってきたと言うことか。
いや、この跡は新しいものではない。
ここに駐めたままエンジンをかけていたのだ。
なぜそんな真似を?
暖を取るためか?
きっとそうだ。
ここでずっと待っていたが、ガス欠になって車体の熱に頼ることができなくなった。
そこで残ったスノーモービルに乗り、2人でどこかへ去ったのだ。
だが一体、どこへ向かったのだろう?

101

「頼むからやめてくれ、ドリアン。」
マーティンがドアの前に立ちはだかって、両腕を広げた。
「仕方ないだろう、マーティン。その時がきたことはわかっているはずだ。」
「そうとは限らない。」
「はっきりしているのは、連中の都市がごっそり欠けて海を漂っていたこと。そしてベルの一つが75年前に作動したと言うことだ。潜水艦の死骸が何よりの証拠だろう。それでもまだ危険を放置しておくつもりか?連中が近いうちに、休眠から覚めるのは間違いないし、もしかするとすでに目覚めているかも知れないんだ。調査だの協議だのと、悠長なことを言っている暇はない。連中が出てきたら最後、人類は絶滅するしかないんだからな。」
「それはあくまで推測で…」
「わかっているだろう。俺もあんたも、自分の目でベルの威力を見ているんだ。しかも連中にとってあれは、玄関にぶら下がっているランプ程度のものだ。そこを抜ければ、俺たちには…仮に連中と同じ程度の技術を開発できる力があったとしても、何千年かけても建てられないような都市が広がっている。そこにどんな兵器があるか想像してみろ。ベルは、眠りを邪魔する虫を寄せつけないための虫取り器みたいなものだ。連中には誰も中へ入れたくない理由があるんだろう。そして俺は確実に、人類が生き残れるようにしたい。となれば、方法はこれしかないんだ。」
「これほど重大な行為を、そんな憶測だらけの仮説に基づいて…」
「偉大な指導者は、困難な決断と言う炎に鍛えられてこそ生まれるものだ。」
ドリアンは言った。
「さあ、あんたはどいてろ。」
その小部屋に入ると、ドリアンは膝をついて2人のインドネシア人の子供と向かい合った。
2人は霊長類研究室のすぐ外にいて、白いベンチに座っていた。
床から10センチほど浮いた足をぶらぶらさせている。
「2人とも、その防護服を脱ぎたいだろうな。」
少年たちはただドリアンを見つめるだけだった。
「俺はドリアン・スローンというんだ。君たちの名前は?」
2人は虚な視線をゆっくりと逸らし、床に目を落とした。
「答えなくていい。このゲームに名前は必要ないからな。どのみち、あの名前をもじって遊ぶネーム・ゲームってやつは面白くない。もっと楽しい遊びをしよう。かくれんぼをしたことはあるか?俺が子供の頃、大好きだった遊びだ。すごくうまかったんだぞ。」
彼は助手の方を振り返った。
「ドクター・チェイスのところへ荷物を取りに行け。」
ドリアンは少年たちを見据えた。
「今から君たちを迷路に入れる。大きな迷路だ。そこでこういう部屋を見つけてくれ。」
そう言って、一間の画像を差し出した。
「わかるか?ガラスのチューブがたくさん並んだ部屋だ。人が入れるくらい大きな筒だぞ!びっくりだろう。この部屋を見つけてそこに隠れられたら、賞品をあげよう。」
ドリアンは濡れたように光るそのプリントアウトを、子供たちの膝においた。
それはCG画像で、イマリが考える巨大なチューブ室の予想図だった。
少年たちが順番にその画像を眺めた。
「賞品って?」
1人が口を開いた。
ドリアンは両手をあげた。
「それは俺が聞きたいことだよ。そうか、君は賢いな。とても頭がいい。」
彼はあたりを見回した。
全く何を賞品にすればいいんだ。
まさかそこを聞かれるとは思わなかった。
この子供たちも、その質問も腹ただしかった。
「実はいくつか用意してあるんだが。そうだな…君たちは何が欲しい?」
もう1人の少年が、プリントアウトをベンチに置いた。
「ケイト。」
「ケイトに会いたいのか?」
ドリアンは聞いた。
2人は黙って頷き、それに合わせるように足をぶらぶらさせた。
「よしそれじゃあ、こうしよう。この部屋を見つけて隠れていなさい。そこで待っていれば、ケイトが迎えに来てくれる。」
ドリアンは、目を見開いた少年たちに頷いて見せた。
「そうだよ。ケイトのことを知っているんだ。実を言うと、俺たちは昔からの友達なのさ。」
自分にしか通じないジョークに思わずにんまりしたが、その笑顔が功を奏したようだった。
少年たちが興奮したように、ベンチの上で小さく身を弾ませたのだ。
研究助手がバックパックを手に入ってきた。
「お持ちしました。」
彼はドリアンを手伝って、子供たちにそれを背負わせた。
「胸の差し込みバックルを留めると、核弾頭のスイッチが入ります。解体できないよう入念に細工してあります。もしバックルを外せば、直ちに爆発しますし、ご要望通り、一度スイッチが入ったら手動でも遠隔でも止めることはできません。爆発までの時間は4時間ほどに設定しました。」
「よくやった。」
ドリアンは胸のストラップをきつく閉めて、バックルを留めた。
そして、少年たちの肩を掴んだ。
「ここからが、このゲームの一番大切なところだ。絶対に荷物を下ろしてはいけない。もし下ろしたらゲームは終わりで、賞品はもらえない。ケイトに会えなくなるからな。ちょっと重いかも知れないが、途中で休むのは構わない。だが忘れるなよ。荷物を下ろしたら、ケイトには会えないんだ。それから、最後にもう一つ。」
ドリアンは1通の封筒を出し、背の高い方の少年の胸元に安全ピンでそれを留めた。
表には大きくこう書いてあった。
パパへ。
彼は封筒にもう数本安全ピンを刺し、動かないようにしっかりと固定した。
「もし中で軍服を着たおじいさんに会えたら、君たちの勝ちだ。その人にこの封筒を渡せたらな。だから、もし見かけたら走って行って、ディーターに言われてきたと言うんだぞ。ちゃんと覚えたか?
少年たちが頷いた。

15分後、ドリアンは指令室から2人の少年の姿を眺めていた。
彼らは研究所の地下2キロメートルほどの地点まで下り、おぼつかない足取りでベルの方へと近づいていた。
装置は全く動く気配がなく、ランプを点灯させることさえなかった。
2人の前方で、何層かに重なった巨大な入り口の扉が開いた。
まるで爬虫類のまぶたのようだ。、とドリアンは思った。
少年たちの防護服から送られてくる映像に目をやった。
彼らが上を向くとカメラも上を向き、数十メートル上方の、巨大な氷のドームから吊り下がるベルを撮した。
ドリアンはボタンを押した。
「怖がらなくていい。そのまま中に入るんだ。チューブの部屋のことを覚えているな。」
ボタンを放して、指令室の技術者の方を向いた。
「チューブの画像を防護服のディスプレイに表示できるか?よし。」
少年たちの防護服につながる回線をまたオンにした。
「見えるだろう?そのチューブを探すんだ。」
ドリアンは椅子に体を沈め、扉を抜ける少年たちを見守った。
扉が閉まると同時に、2人から送られてくる映像が途絶えた。
指令室には、外側の空間とベルを映しているモニターがあり、彼はそちらに目を向けた。
ドーム状の空間は深と静まりかえり、物音一つしな買った。
スクリーンが並ぶ壁にはデジタル時計が表示され、爆発までの時間を数えていた。
03:23:57
03:23:56
03:23:55…

続く→

第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー66

2020.05.27.22:11

98

インド ニューデリー

「ここで待っていてくれ。もし俺が15分しても出てこなかったら、警官を探して、店の中に強盗がいると言うんだ。」
デヴィッドが言った。
ケイトは、タイムピース商会の建物と、周囲の通りに目をやった。
道路は混雑していた。
年代物の車がひしめき合い、バイクに乗ったインド人が、目の前に迫ってきては走り去って行く。
デヴィッドの話では、その店はクロックタワーの前哨基地の一つで、地元の情報屋や諜報員が中央へメッセージを送るための連絡窓口となっているとのことだった。
彼はもしまだクロックタワーが動いているなら、窓口も機能しているはずだ、と考えていた。
それは大きな賭けだった。
万が一、クロックタワーが、完全に陥落していたら、こうした基地もイマリの監視下に置かれているはずだからだ。
それどころか、所在不明の諜報員などを片付けるために、人を配備して待ち構えている可能性も十分にあった。
ケイトが頷くと、通りから店の方へ足を引きずっていたデヴィッドが、あっという間に中に消えてしまった。
ケイトは唇を噛んでじっと待った。

店内は品物で溢れていた。
床置き式の時計を除けば、この店の時計は全てガラスケースに納められているようだ。
どれも極めて精巧に作られた工芸品という印象で、いかにも壊れやすそうに見える。
怪我した足を庇いながら、背の高いガラスケースの間をすり抜けていると、デヴィッドは自分が、食器屋に闖入した雄牛になったような気がした。
明るい戸外から薄暗い店内に入ったせいで、周囲がよく見えなかった。
気づくと古い懐中時計が並ぶケースに、ぶつかっていた。
片眼鏡をかけ、つやつや光るヴェストを身につけた紳士が持っていそうな時計だ。
ケースが揺れて、中の時計や小さな部品がかちゃかちゃと音を立てた。
慌ててケースを掴み、無事な方の足でバランスをとりながら揺れを抑えた。
何か一つでも間違った動きをすれば、ここにあるもの全てが倒れてしまいそうだった。
店の奥から声が響いた。
「いらっしゃいませ。今日はどういったものをお探しですか?」
デヴィドは店内を見廻し、もう一度視線を巡らせたところで奥のデスクにいる男に気づいた。
片足を引きずり、立ち並ぶガラスの地雷を避けながら、そちらへ向かった。
「特別な時計を探しているんだ。」
「それなら当店がお役に立てるでしょう。具体的にどういった品をお望みですか?」
「クロックタワーだ。」
店員が探るような視線をよこした。
「珍しいご要望ですね。ですが、お客様はついていますよ。当店はこれまでにも、そうしたお客様にクロックタワーを見つけてきた実績があるのです。もう少し詳しく聞かせていただけますか?建設時期や形や大きさなど、どんな情報でも結構です。」
デヴィッドは正確な符丁を思い出そうとした。
自分がそれを口にする日が来るとは、思ってもみなかったのだ。
「時刻以外のことを教えてくれる時計だ。決して折れない鋼鉄でできている。」
「その品なら心当たりがあります。電話を1本かけてきましょう。」
彼の口調が変わった。
「ここでお待ちを。」
抑揚のない声でそう言うと、男はデヴィッドの答えを待たずに、戸口に吊るされたカーテンの奥へと消えていった。
首を伸ばし、耳をそばだてたが、カーテンの向こうからは何も漏れてこなかった。
壁の時計に目をやった。
もうすぐ店に入って10分になる。
ケイトは約束を守るだろうか?
店員が戻ってきた。
仮面のような、真意のわからない表情をしている。
「売り手があなたと話したいそうです。」
彼はそう言って、デヴィッドを待った。
銃があれば、と心から思った。
黙ってうなずき、デスクを回り込んだ。
店員がカーテンを開けて、デヴィッドを暗がりに押し込んだ。
彼の腕がデヴィッドの頭へ伸びるのがわかったが、デヴィッドが振り返る間も無く、その手が下へ引かれた。

99

デヴィッドが後ろを向いたのは、店員が手を引き下ろした時だった。
光がデヴィッドを包んだ。
頭上で電球が揺れている。
店員の手には照明の紐が握られていた。
「電話はそこです。」
彼はそう言って、角のテーブルを示した。
そこには80年代の電話ボックスで見かけそうな、ずんぐりしたプラスチック製の受話器が置いてあった。
人を撲殺できるタイプのものだ。
電話機本体も古く、回転ダイヤルが付いている。
テーブルに行って受話器を取り、体の向きを変えて店員と正対した。
彼は一歩こちらへ足を踏み出していた。
受話器からは何も聞こえなかった。
「中央か?」
デヴィッドは呼び掛けた。
「名前を。」
声が言った。
「ヴェイルだ、デヴィド・パトリック・ヴェイル。」
「所属は?」
「ジャカルタ支局。」
デヴィッドは答えた。
正確に覚えているわけではないが、通常の手順とは違うことだけはわかる。
「お待ちください。」
回線がまた静かになった。
「アクセスコードは?」
アクセスコード?そんなものは存在しない。
ボーイスカウトの隠れ家とは訳が違うのだ。
中央ならこちらが名乗った瞬間に、声紋を認証できるはずではないか。
時間稼ぎをしているのだろうか。
受話器を握ったまま、店員の様子を伺った。
店に入って何分になる?
もう15分経っただろうか?
「アクセスコードはわからない。」
「そのままお待ちを。」
声が返ってきた。
先ほどより警戒しているようにも聞こえる。
「名前を言っていただけますか?」
デヴィッドはためらった。
だが今更、何を隠す必要があるだろう。
「リードだ、アンドリュー・マイケル・リード。」
今度はすぐに答えが返ってきた。
「局長につなぎます。」
その2秒後、ハワード・キーガンが電話に出た。
孫にでも話しかけるような口調だった。
「デヴィッドか、ずっとお前を探していたんだぞ。無事なのか?今どうしているんだ?」
「この回線は安全ですか?」
「いや、だが、はっきり言えば、今はそんなことを気にしている場合ではない。もっと深刻な問題が起きているからな。」
「クロックタワーのことですか?」
「敵の手に落ちてしまった。だが、壊滅したわけではない。今反撃態勢を整えているところだ。問題はまだあるんだ。世界中に疫病が広まっているのだよ。こちらでは時間との戦いになっている。」
「解決の手がかりを見つけたかも知れません。」
「どんな手がかりだ?」
「まだはっきりとは言えないんです。とにかく移動手段が必要です。」
「目的地は?」
「ジブラルタルです。」
「ジブラルタル?」
キーガンが面食らったような声を出した。
「何か問題が?」
「いやまたとない朗報だ。実は私もジブラルタルにいるのだよ。残った局員と、ここにあるイマリ本部に反撃を仕掛ける準備を進めているんだ。移動手段はその店員が確保してくれるだろう。だがその前に、お前に伝えておくことがある。デヴィッド、お前がこちらに着けないとか、私がその前に消えてしまうとか、そう言った場合に備えて、先に知っておいて欲しいことがあるんだ。実はイマリを調べていたのは、お前だけじゃない。私も彼らの陰謀を暴くことに生涯を捧げてきたのだよ。しかしもう、時間がないとわかって…彼らを止めるには、お前に託すのが一番だと考えたんだ。あの情報提供者は私だよ。イマリの内通者を総動員して、お前に協力しようとしたんだが、力が及ばなかった。私が戦略を誤ったせいで…」
「それは過去の話でしょう。我々には新たな情報があるんです。きっと役に立つはずです。まだ終わったわけではありませんよ。ジブラルタルで会いましょう。」

続く→

第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー65

2020.05.20.08:54

97

南極大陸東部 第六掘削現場から2、4キロの地点

ロバート・ハントは幾分スピードを落とした。
巨大な傘に引っ張られて、2度もスノーモービルから飛ばされそうになったのだ。
何度か試した末に、ちょうどいい速度を見つけたが、そのスピードでもモーターと風にはためく傘は、耳を聾するほどの音を響かせていた。
騒音に混じって何か聞こえた。
背後に目を向けた。
あの2人が追いかけて来たのだろうか?
スノーモービルを停めた。
エンジン音ではない。
人の声がする。
ジャケットの前を開いて、無線を探した。
受信ランプが点灯していた。
呼び出されているのだ。
エンジンを切ったが、ランプはもう消えていた。
そのまましばらく待った。
遠くで起きた一陣の風が、なだらかな丘に積もった雪を舞い上がらせていた。
無線のボタンを押して言った。
「こちらスノー・キング。」
深く息を吸い込んだ。
いきなり帰って来た鋭い声が、彼をぎくりとさせた。
「スノー・キングか、なぜ応答しなかった?」
ロバートは少し考えてからボタンを押し、できるだけ落ち着いた口調で答えた。
「移動中だからな、無線の音が聞こえにくいんだ。」
「移動中?現在位置は?」
ロバートは唾を飲んだ。
これまで現場の移動中に無線が入ったり、位置を聞かれたりするようなことは一度もなかった。
どう答えればいいんだ?
上空から見られているのだろうか?
「スノー・キング、聞こえているのか?」
シートの上で姿勢を変え、無線を持ち上げて顔の前に戻した。
「バウンティ、こちらスノー・キング。第7掘削現場からおよそ3キロの地点にいる。」
ボタンを放してまたスノーモービルの方へ無線を下ろし、深呼吸をした。
「今は…スノーモービルの一台が不調なので、修理をしているところだ。」
「そのまま待て、スノー・キング。」
それから数秒が経過した。
凍えるほどの寒さだったが、感じるのは首で脈打つ血の流れだけだった。
「スノー・キング、応援を要請するか?」
ロバートは即座に答えた。
「いらない。バウンティ、こっちでなんとかする。」
一瞬待ち、すぐに付け足した。
「目的地を変更するか?」
「その必要はない、スノー・キング。至急修理を終えろ。現地での秘密保護規程を遵守するように。」
「了解、バウンティ。」
無線をシートに下ろした。
鉄の塊でも握っているように、にわかにそれが重く感じられた。
アドレナリンが徐々に退いていき、それとともに右腕に痛みを感じ始めた。
ずっと傘を持っていたせいだ。
拳を握ることもままならず、歯を食いしばって傘を反対側に移動させた。
寒さと痛みの中で、彼の心が叫んでいた。
今すぐ引き返せ。
なぜ無線が入ったのか考えてみた。
可能性は二つしかない。
A,彼の企みに気づいている。
B,彼が間違いなく現場を去ったことを確かめておきたい。もし気付かれているなら、どのみち計画は失敗だ。
そして、もし現場でひと目に晒せない行為が行われているとすれば、自分もかなりまずい立場に立たされることになる。
当初はもし捕まっても、現場に忘れ物をしたと言えばいいと考えていた。
何も不審な点はない。
傘について聞かれても、現地での秘密保護規定を守っただけと、答えれば済むのだから。
だがこの無線の会話のおかげで、そんな言い訳はまるで役に立たなくなってしまった。
いま捕まれば良くても仕事を失うのは確実だし、もし彼らが違法行為をしている犯罪者なら、もっと悲惨な結末を迎える可能性だってある。
そこで折衷案を取ることにした。
一番近い丘の頂まで行き、そこから見える範囲で様子を探ってから、引き返すのだ。
そこまですれば、やるだけのことはやったと言えるだろう。
もうスピードは出せなかった。
傘を左肘に挟んで、胸で支える様にして走っていたからだ。
おかげで丘の頂上に着くまでに、1時間近くもかかってしまった。
双眼鏡を取り出し、現場がある地平線を見渡した。
ロバートは我が目を疑った。
そこには見たこともないほどの巨大な重機類が、そびえていたのだ。
これまでの数々の大型重機を目にして来た彼でさえ、初めてみる大きさだ。
すっかり縮んだ様に見える現場は、まるで竜巻が通り過ぎた後の様になっていた。
掘削やぐらが横倒しになって、雪に埋もれかけている。
ちょうど公園の砂場に顕微鏡が転がっている様な眺めで、あたりにはおもちゃの建設車両も散らばっていた。
だがここは砂場ではないし、おもちゃの、雪上車も高さ15メートルはあるはずだ。
一番大きい車両はムカデの様な姿をしていた。
150メートル近い長さがあり、それを牽引する運転席が、まるで小さな頭のようについている。
胴体部分は白い風船のような形の節が連なってできており、それが現場の周りを半円形に取り囲んでいるのだった。
ムカデの傍には、通常の建設現場で見かけるタイプの10倍はありそうな、白いクレーン車があった。
クレーン部分を天高く、起こしている。
何かを引き上げているのだろうか?
いや、何かを下ろしていると考える方が妥当だろう。
ロバートは倍率をあげた。
クレーンのケーブルに焦点が合う前に、何かが視界をかすめた。
ぼんやりとした輪郭が、ムカデのすぐそばに見えた気がする。
双眼鏡を左に振ったが、倍率が高いせいで、位置関係がまるで分からなくなった。
いったん倍率を下げて全体を視界に収め、また倍率を上げて、ムカデのちょうど真ん中あたりに焦点を合わせた。
あれはロボットだろうか?
人間か?
よくわからないが、やたらと大きな防護服のようなものを身につけている。
ノロノロとぎこちなく動き回っていて、まるでミシュランマンか、ゴーストバスターズのマシュマロマンのように見えるが、背丈は人間のサイズだ。
ロバートは掘削地点に近づいていく1人を、双眼鏡で追った。
クレーンがムカデの方へ首を振った。
どうやら穴から何かを引き上げていたようだ。
マシュマロマンがもう1人視界に入って来て、2人でクレーンに吊るされたものを地面に下ろした。
黒っぽい色をした、ミラーボールのような物体だった。
彼らの背後で白いムカデの最後尾のドアが開き始めた。
ドアが下から上ヘ上がっていくと、黄色い光とたくさんのコンピュータースクリーンが現れた。
大きな白い箱もある。
中にいた防護服姿の2人が、その箱を押して、中にいた防護服の2人がその箱を押して、スロープを下ろして行った。
簡単に取れるところを見ると、布か何かの柔らかい素材でできているらしい。
ロバートは双眼鏡の焦点を合わせた・
箱はオリだった。
猿が二匹入っている。
体の大きさからしてチンパンジーだろう。
二匹は激しく跳び回り、オリの棒を避けるようにして、身を寄せ合った。
きっと凍えて死にそうになっているのだ。
1人が素早く膝をつき、オリの底にあるコントロールパネルのようなものを操作した。
ぼんやりオレンジ色に光っていたオリの天井が赤く輝き、それで猿たちは少し落ち着いたようだった。
もう1人が手を振ると、クレーンが頂上までやって来た。
彼らはケーブルにオリを取り付け、黒いボールも一緒に吊るした。
彼らが脇に退いたところで、クレーンがオリを引き上げて穴の上まで運んで行き、それを下に下ろし始めた。
と、2人がクレーンの背後に消え、それぞれカニの様な機械を運転して戻って来た。
穴の淵まで行って、二台の機械をつなげている。
合体した機械は、ケーブルが通る隙間だけを残して穴をすっぽりと覆った。
4人が一斉にムカデへと急ぎ、中へ入ってドアを閉ざした。
それから数分の間は、何も起きなかった。
ロバートは腕が痺れてくるのを感じた。
いつまで待つべきだろう。
もう疑いの余地はない、彼らの目当ては石油ではないのだ。
だが一体何をしているんだ?
それになぜ、マシュマロの防護服を着る必要があるのだろう。
自分は着用させられなかったし、ついでに言うと猿も着ていない。
答えは間も無くわかりそうだった。
マシュマロたちがムカデから飛び降り、穴に向かい始めたのだ。
蓋をしていた機械が外された途端、爆発したように穴からオリが飛び出して来た。
オリはケーブルを揺らして、何度か宙でバウンドした。
その動きが落ち着き、地上から1メートルほどの位置を旋回する様になると、彼らがオリを静止させて扉を開けた。
猿たちの体は白っぽい灰色のもので覆われていた。
雪だろうか?
二匹ともびくりともせずに横たわっている。
猿を引っ張り出すと、彼らの服に灰色が付着した。
雪ではないようだ。
猿はそれぞれの死体袋に投げ込まれ、すぐさまムカデの2番目の部屋へと運ばれていった。
そのドアが開いた時、ロバートの目が2人の子供の姿を捉えた。
子供たちはガラスのオリに入れられ、次は自分たちの番だというように、じっとベンチに座っていた。

続く→


第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー64

2020.05.16.00:12

96

デヴィッドは答えに困った様子で、あたりに目をやった。
やがて口を開こうとしたが、ケイトが手をあげてそれを遮った。
「ええ、馬鹿げた話に聞こえるでしょう。分かっているわ。でも最後まで説明させて。どうせしばらくはここにいることになるでしょうし。」
ケイトはバスケットや頭上の気球を手で示した。
「それはそうだが、ひとこと言っておく。そういう話は、俺の専門外だ。どこまで知恵を貸せるかわからないぞ。」
「あまりにも突飛な方向へ進み出したら、教えてくれればいいわ。」
「終わった話でもいいのか?つまり、君が今行ったことは…。」
「分かったわ、じゃあ、しばらく黙って聞いて。その後妙な点があれば、指摘してちょうだい。まずは事実を説明するわね。今から七万年前ほど前、トバ火山が大噴火を起こした。地球は六年から十年の間、火山の冬に閉ざされ、その後もおよそ1千年は影響が続いたと考えられている。火山灰はアジア南部やアフリカの上空を厚く覆った。人間の数は3千万から一万人ほどまで激減し、交配できる対は、1千組まで減ってしまった可能性がある。」
「よし、その通りだ。ここまでは正常だと認めよう。」
「当たり前よ。トバ事変のことは、元々私がジャカルタであなたに教えてあげたじゃない。」
デヴィッドが両手を上げた。
「おいおい、俺は協力してるだけだぞ。」
ケイトは、あのトラックの中で、自分が同じセリフを言ったことを思い出した。
遥か昔に感じられるが、ほんの数日前の話なのだ。
「本当に子どもっぽいんだから。とにかく、人口の激減によって、その時期に遺伝学で言う、ボトルネック効果が生じたのよ。最近では、地球上にいる人間は、全てごく少数の個体の子孫であることが分かっているわ。7万年前ほどに生存した、1千組から1万組みのカップルから生まれたのよ。そして、アフリカの外にいる人間たちは皆、約五万年前アフリカを出たわずか百人ほどの部族から広がっていったことも分かっている。実のところ、今生きている人間は、全員、6万年前にアフリカにいた1人の男性の子孫なのよ。」
「アダムか?」
「科学者はY染色体アダムと呼んでいるわ。イブもいるのよ。ミトコンドリア・イブと呼ばれているけど、彼女がいたのはもっと昔ね。19万年から20万年ほど前だと考えられているわ。」
「タイム・トラベルをしてたって話か?これは突飛な方向へ進んでいると…」
「タイム・トラベルではないわ。ご協力ありがとう。実はアダムもイブも、人間の共通の祖先を指す、単なる遺伝学的用語でしかないの。面倒な話になるからやめておくけど、結論だけいうと、このアダムは圧倒的な強みを持っていたのよ。彼の子孫たちは、他の仲間より遥かに進歩していたの。」
「彼らはアトランティス遺伝子を持っていたってことか?」
「今はまだ事実だけを追いましょう。それがなんであれ、彼らはなんらかの強みを持っていた。そして人間は、およそ5万年前に、それまでとは違う行動をとるようになった。急激に複雑な行為をこなせるようになったの。言語を使い、道具を作って、壁画を描くといったことよ。私たちはこの人類史上最大の進歩を大飛躍、と呼んでいるわ。ただその前後の人間の化石を比べても、さほど大きな違いがあるわけじゃない。ゲノムにも大きな差はないのよ。分かっているのは、遺伝子のわずかな変化が、私たちの思考法を、おそらく脳の神経回路を、変えたということだけ。」
「アトランティス遺伝子だな。」
「それはともかく、この神経回路の変化は、いわば遺伝の歴史上の大当たりだったの。絶滅の危機にあった人間、荒れ果てた土地で、狩猟や採取生活をしていた、わずか1万人以下の人々が、ほんの5万年の間に、70億人以上まで数を増やして、地上を支配するようになったんですもの。進化の歴史の中では、一瞬と呼べるような期間で、そこまで達したのよ。驚くべき復活で、遺伝学者からみると、にわかには信じられない話だわ。だって、かつて生きていた人間すべてを合わせた数の12%がいまだに生きているんですものね。私たちが誕生したのは、わずか20万年ほど前よ。人間は今でもも大飛躍の影響の只中にいて、それがどうして起きたのかも、この先どこへ向かっていくのかも、全くわからないのよ。」
「なるほど。だが、なぜ俺たちだけがそんな幸運を手に入れたんだ?他にも色んな人類がいたんだろ?ネアンデルタール人とか、他の名前は忘れたが、彼らはどうなった?もしアトランティス人が救助に来たんだとしたら、なぜ他の人類も助けなかったんだ?」
「私なりの仮説はあるわ。5万年前には、少なくとも4種の人間が存在していた。私たち現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人、そしてホビットと呼ばれるホモ・フローレシエンシスよ。多分、まだ発見されていない種が、他にもいたでしょうけど、亜種としてはこの4種がいて…」
「亜種?」
デヴィッドが言った。
「ええ、厳密にいうと亜種になるわ。彼らは皆人間だから。私たちは種の定義を、交配して子孫を残せる生物のグループとしているの。そして、人間のグループに入るこの4つはすべて交配可能なのよ。実際、交配があったという遺伝学的な証拠もあるわ。数年前にネアンデルタール人のゲノム配列を解読したところ、アフリカの外にいる人間は皆1から4%ほどのネアンデルタール人のDNAを持っていることが分かったのよ。特にヨーロッパで数字が高かったわ。ネアンデルタール人の本拠地でね。デニソワ人のゲノムを解読したときも同じ結果になったわ。メラネシアの、特にパプアニューギニアの人々は、最大6%のゲノムをデニソワ人と共有していたの。」
「興味深いな。それじゃあ、俺たちはみんな雑種だってことか?」
「厳密にはそうね。」
「じゃあ、俺たちが他の亜種を吸収して、一つの複合体にまとめたのか?」
「いいえ、まあ、ほんの数%はそう言えるかもしれないけど、考古学的な証拠を見る限り、この4つのグループは別種として離れて暮らしていたのよ。そして、私たち以外の亜種がアトランティス遺伝子を与えられなかったのは、その必要がなかったからだと思うわ。」
「彼らは…」
「絶滅寸前ではなかったのよ。」
ケイトは言った。
「ネアンデルタール人は、遥か60万年から35万年前にはヨロッパに存在していたと考えられているわ。他の亜種もやはり私たちより古くから存在していた。だから、私たちより個体数が多かったんじゃないかしら。それに、彼らの居住域はトバ火山の噴火の影響が少ない場所にあった。ネアンデルタール人はヨーロッパ、デニソワ人は今のロシア、ホビットは東南アジア。みんな火山から遠いか風上の地域で暮らしていたのよ。」
「つまりこういうことか。俺たちが死にかけている頃、彼らは何とかまともに暮らしていた。だがその後、俺たちが遺伝子の宝くじに当たり、彼らの方は絶滅させられた…俺たちの手で。」
「ええ、しかも短期間で死に絶えたの。ネアンデルタール人は私たちよりも力が強くて、脳も大きくて、私たちが現れる何十万年も前から、ヨーロッパに住んでいたのよ。ところが、わずか1、2万年の間に消えてしまった。」
「多分、今の話もイマリの壮大な計画と関係がありそうだな。」
デヴィッドが言った。
「トバ計画はアトランティス遺伝子を発見することだけが、目的ではないのかもしれない。イマリは休眠しているアトランティス人…俺たちより進化した人類…が戻ってきた時、競合する人類すべてを一掃するはずだと考えているんじゃないか?アトランティス遺伝子を手に入れた俺たちが、この五万年でしたように、彼らも脅威になりそうな存在はすべて消すはずだと思っているんだ。ケインの発言を読んだだろ。連中はアトランティス人との戦いが迫っていると考えていた。」
ケイトはデヴィッドの説について考えてみた。
頭にマーティンとの会話が蘇ってきた。
彼は進化した種が、自分たちの脅威になり得る劣った人類を皆殺しにすると言っていた。
それに人間は、コンピューターのようにプログラミングされていて、たった一つの結末、同一の人類だけが残った状態…を盲信的に目指す、とも話していた。なるほど、これが最後のピースだ。
「その通りね。トバ計画はアトランティス遺伝子を発見すれば終わりじゃないんだわ。彼らはアトランティス人を創ろうとしているのよ。人間を進化させて変えることでね。アトランティス人に合わせて人間を作り替え、同じ種にしてしまえば、アトランティス人が戻ってきても、脅威だと認識されない。マーティンはトバ計画を、緊急用のプランと言っていたの。イマリはもしアトランティス人が起きてきて、その時人間という70億の野蛮人がいたら、大殺戮を始めると思っている。でももし人間が少数しかいなくて、しかも遺伝的に自分たちとよく似ていれば、生かしておいてくれると考えているのよ。同じ種族の仲間だと認識されるから。」
「ああ、だが、それは計画の半分でしかないんじゃないか。」
デヴィッドが言った。
「何というか、それは科学目線の遺伝子側からのアプローチで、バックアップ用の計画だと思う。イマリは戦争が始まると考えている。だとすれば軍人の考え方をするはずだ。以前俺は、連中の狙いは軍隊を作ることだと言っただろう。今もそう思っているんだ。ベルに被験者をかけて実験していたのは、ある目的のためなんだよ。」
「彼らが生き残るためでしょう。」
「生き残るため、確かにそうだが、もっと具体的な話だ。連中はベルの下を通り抜けるために実験していたのさ。ジブラルタルの構造物は、ベルを掘り出して取り除かなければ、内部へ入れなかった。もしかすると、アトランティスの構造物にはすべてベルがぶら下がっているのかもしれない。部外者を防ぐ門番みたいなもので。俺たちは人間とアトランティス人の雑種だから、この装置が誤って作動してしまう。しかしもし、アトランティス遺伝子を活性化する方法を見つけられれば、イマリは軍隊を中に送り込んで、アトランティス人を殺すことができるだろう。トバ計画は緊急時の最終手段なのかもしれない。殺害に失敗してアトランティス人が起きてきたとしても、彼らと同じ種族だけが残っている状態にしておくためのな。」
ケイトは頷いた。
「イマリは恩人を虐殺しようとしているのかもしれないわ。彼らは私たちを絶滅から救ってくれた人々で、もしかすると疫病を終息させられる唯一の存在かもしれないのに。」
ケイトはため息を漏らした。
「だけど、どれも仮設と推測でしかないのよね。すべてが間違っている可能性もあるわ。」
「じゃあ、分かっていることに的を絞ろう。中国から死体が運び出されたのは事実だし、ベルで死んだ死体が、かつて疫病を流行させたことも事実だ。」
「保健機関に警告した方がいいかしら?」
デヴィッドが首をふった。
「日記を読んだだろう。連中は隠蔽工作が得意なんだ。今はさらに巧妙になっているだろう。何しろ、かなり長い時間をかけて、トバ計画を練ってきたはずだからな。俺たちはまず、君の仮説が正しいかどうか確かめる必要がある。それに何か強みを手に入れたい。アトランティス人と交信する手段とか、イマリを止める方法とか。」
「ジブラルタルね。」
「それが最善の選択だろう。パトリック・ピアーズが見つけたという隠し部屋だ。」
ケイトは気球に目をやった。
高度が下がってきているし、落とせる砂袋も残りわずかだった。
「とてもそんな遠くまではいけそうにないわね。」
デヴィッドは笑みを浮かべ、何か役立つものを探すようにバスケットを見回した。
隅の方に包みがあった。
「これを持ち込んだのは、君か?」
ケイトも今初めて気づいたのだ。
「いいえ。」
デヴィッドがそちらへ腰を滑らせ、包みを開き始めた。
目の荒い織布でしっかり包まれていたのは、インド・ルピーと2人の着替えと、今気球が飛んでいるはずのインド北部の地図だった。
デヴィッドが折り畳まれたその地図を開くと、小さなメモ用紙が落ちた。
彼は地図を脇に置いて、メモに目を通し、それをケイトに渡した。

何もできないことを許してほしい。
戦いは私たちの性に合わないのです。
チェン

ケイトはメモを置いて、気球を眺めた。
「もうそろそろ、空にはいられなくなりそうね。」
「そうだな、俺に考えがあるんだ。まあ、少しばかり危険は伴うが。」

続く→

第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー63

2020.05.10.21:24

ケインの調査隊

ケインはアジアの高地の隅々まで、調査隊を派遣している。
チベット、ネパール、インド北部などにだ。
彼はイマルがその地域に潜み、世界の週末を阻止できるような重大な秘密を隠し持っていると信じている。
ケインによれば、イマルは寒冷な高地に住むはずだという。
北方人種がこれだけ長くヨーロッパ大陸を支配しているのは、イマルの血筋を引いているからであり、その彼らが寒冷な環境で繁栄したことを指摘すると、彼はすぐに手を振ってこう言った。
「それはイマリが北上する過程で、遺伝子の恩恵を授けただけだ。イマリはアトランティスを探し、自分たちの体質にあった自然環境を求めて、北へ向かっていたのだ。」
彼がいうには、人類が持つ才能は全てこの「アトランティス遺伝子」が授けたものであり、この遺伝的な遺産は、イマリの血に最も濃く受け継がれているのだそうだ。
彼らはそこからさらに、アトランティス人の残りも、どこか寒い環境で休眠し、地球を奪還する日を待っているはずだと考えるようになった。
その結果、ケインは南極に執着し始めている。
そこにも調査隊が派遣されたが、まだ何の報告もない。
彼は自分で後を追うことにしたようで、ドイツ北部の造船所で、超大型潜水艦を造っているようだ。
私もどうにかして、造船所の正確な場所を突き止め、爆弾を仕掛けられないものかと考えた。
だが聞いたところでは、潜水艦はもう完成間近であり、彼は間も無く極東へ出発してイマルとカタをつけ、それから南へ進路を変えて、南極のアトランティス人の拠点を見つける予定なのだという。
何とも壮大な計画だ。
彼の不在を利用して、イマリの主導権を奪えないかとも考えたが、彼はそういう危険性もしっかり考慮に入れているようだ。
もし私の読みが正しければ、私はもうすぐお払い箱になるだろう。
事実上、永遠に。
そこで私は他の策を講じた。
調査隊の兵士の1人を説得し、この日記をあなたちに届けさせることにしたのだ。
ケインならイマルも見つけ出すだろう。
その時この兵士が約束を守ってくれるはずだ。
もし日記を持っていることがバレたら、彼の(そして私の)命はないだろうが。

隠し部屋

最後にもう一つだけ、伝えておきたいことがある。
私は興味深いものを発見した。
ジブラルタルの遺跡の奥深くに、何かのための部屋があったのだ。
この部屋には構造物を理解する手がかりがあると信じている。
アトランティス人の謎を解く、鍵もあるかもしれない。
この部屋に用いられている技術は、非序に先進的だ。
悪人の手に落ちれば、危険だろう。
この場所のことは、長い間ケインに隠し通して来た。
部屋への地図を同封する。
入り口は偽の壁で隠してある。
どうか急いで欲しい。

ケイトは地図が描かれた脆そうな黄ばんだ紙を開き、少し眺めてからそれをデヴィドに渡した。
「ベルというのは、中国にあったのと同じ装置だと思うわ。私や大勢の人間が、その機械にかけられたの。彼らの狙いはこれだったのね。どんな遺伝子があれば、装置に抵抗できるか、その手がかりを見つけようとしていたんだわ。私の研究も含めて、イマリの遺伝子研究は、どれも同じ目的のためにあったのよ。アトランティス遺伝子を見つけるという目的のために、マーティンはずっと私を騙していたんだわ。これまでの私の人生は…私は、利用されたのよ。」
デヴィッドは地図を返し、眼下をゆっくりと去っていく山や森に目を向けた。
「まあ、俺としてはありがたいがな。」
ケイトは彼を見つめ返して来た。
「他の誰かが利用されていたかもしれないだろ。その誰かは君ほど強くなく、君ほど賢くない人間だったかもしれない。だが君なら答えを見い出せる。彼らを止めることだってできるだろう。」
「どういう…?」
「これまでにわかったことを整理してみよう。とりあえずパズルのピースを全部広げて、組み合わせられるものがないか調べるんだ。いいかい?」
ケイトが頷くと、デヴィッドは先を続けた。
「あの寺院で、ベルの正体に心当たりがあると言っただろう?第二次世界大戦にまつわる古い噂があるんだ。陰謀論者はいまだに口にしているよ。グロッケ、あるいはベルの話をな。
彼らはそれをナチスが開発していた最新兵器か、なんらかの革新的なエネルギー源だと言っている。反重力装置だの、タイムマシーンだのと、もっと過激な説もたくさんあるが、しかし、もしそれが1918年にスペイン風邪を引き起こしたもので、今現在、中国の死体が各地に運ばれているとしたら。」
「また世界規模の流行が起きるわ。しかも今回は、スペイン風邪よりもっと大規模に。」
「そうそこなんだ。それほどの規模で流行することがあり得るのか?」
デヴィッドが言った。
「そもそもイマリの統計データは、正確なんだろうか?総人口の2から5%を殺すような病気なのにワクチンがないなんてとても信じられないな。」
「学生の頃に、スペイン風邪について教わったわ。今は1918年インフルエンザとも呼ばれているけど、そうね、データはほぼ正確よ。スペイン風邪では5千万人から1億人が死んだと考えられているの。当時の総人口のおよそ4%が死んだ計算になるわ。」
「ということは、今なら2億8千万人が死ぬというわけだ。合衆国の総人口に近い数字だな。もちろん今はワクチンがあるだろうが、それにしても、イマリはどうして事実を隠し通せたんだろう。なぜインフルエンザでごまかせたんだ?」
「当初はインフルエンザだと思われていなかったのよ。デング熱やコレラ、腸チフスと診断されていたの。一番の理由は、症状がインフルエンザと全く違っていたことでしょうね。患者は鼻や胃や腸の粘膜から出血していて、皮膚や耳から血を流していることもあったそうよ。」
ケイトはベルが吊るされたあの部屋を、思い出した。
暗い室内に人々が蹲り、血を流しながら次々と死んでいく。
頭からその光景を追い払い、先を続けた。
「とにかく、世界中にあるインフルエンザ株の中で、このインフルエンザ株ほど謎が多くて、致死率も高いものはないわ。ワクチンも存在しないの。スペイン風邪は、基本的に体内で自己破壊が起きる病気よ。サイトカインストームという、自分自身の免疫の異常反応によって死に至るの。一般的なインフルエンザ株の場合、免疫力が弱い子供や老人に重い症状が現れるわ。だからワクチンを打って免疫システムを活性化する。だけどスペイン風邪は根本が違うのよ。免疫力が高い人間を殺してしまうの。免疫システムが活発なほど、サイトカインストームも激しくなるからよ。25歳から34歳までの死亡率が高かったのはそのためね。」
「確かに、脅威になりそうなものを殺すように聞こえるな。イマリが兵器だと考えても無理はない。」
デヴィッドが言った。
「だがなぜまた流行させようとするんだろう?今ならひとたまりもないじゃないか。第一次大戦末期の1918年当時は、あちこちの国境が封鎖されていて、世界中が移動を停止していた。だが今の世界の、流動性を考えてみろ。同じような流行が起これば、ものの数日で俺たちは全滅してしまうだろう。君の話が本当なら、こうしている今も中国を出た病原体が、世界中を走り回っているんだろう。連中は一体なぜ、そんな真似をする?」
「きっと他の選択肢がなかったのよ。」
「選択肢がないなんてことは。」
「彼らはそう考えているのよ。」
ケイトは言った。
「この日記の考え方に従えば、いくつか仮説を建てられるわ。多分、彼らは自分たちがあの装置から生き延びるために、アトランティス遺伝子を探しているのよ。だから私の研究にも興味を持ったし、あの子たちをさらったんだわ。時間がないのかも知れない。」
「あの衛星写真…裏に暗号が書いてあったやつだ。真ん中に潜水艦が写っていた。」
「ケインの潜水艦ね。」
ケイトは言った。
「きっとそうだ。それに下に何かの構造物があった。連中が1947年から潜水艦を探していたことは分かっている。ニューヨーク・タイムズ紙の死亡広告を解読すると、南極大陸で潜水艦を発見できず、捜索を続けるか指示を、と書かれていたんだ。つまり、連中はついに潜水艦を発見して、その下にもう一つのアトランティス…脅威…を見つけたというわけだな。」
デヴィッドが頭を振った。
「だがまだわからない。専門的な話しなのかもしれないが、なぜまた大流行を起こそうとしているんだ?」
「多分、ベルの死体こそがトバ計画なんじゃないかしら?ベルとじかに接触すればほぼ全員が死ぬみたいだけど、このベルがきっと一つしかないのよ。だから死体を世界中にばら撒こうとしているのかもしれないわ。そこから大流行が起きれば、世界の人口が劇的に減って、残るのはベルを生き延びた者。アトランティス遺伝子を持つ人間だけになる。」
「ああ、だがもっといい方法があるだろう?よくわからないが、ゲノムの配列を読むとか、何かのデータを入手してその遺伝子を持っていそうな人間を割り出すとか。」
「無理だと思うわ。仮にそれでアトランティス遺伝子を持つ人間を特定できたとしても、それだけでは不十分だし、エピジェネティクスと遺伝子活性の問題があるから。」
「エピ…」
「複雑な話だから詳細は省くけど、結論を言うと、重要なのはどの遺伝子を持っているかだけじゃないの。どの遺伝子が活性化しているか、それらの遺伝子がどう影響しあっているかも問題になるのよ。もしかすると、この疫病はアトランティス遺伝子を活性化して、その遺伝子を持つ人間に第二の飛躍をこさせるのかもしれないわ。あるいは全く違う話で、疫病によって人口を減らし、トバ事変の時のように突然変異や進化を促そうということかもしれない…」
ケイトはこめかみを揉んだ。
まだ何かある。
他のピースが、すぐそこに…。
ふいにチェンとの会話が蘇った。
タペストリー、炎の洪水、厚い灰に覆われて死に瀕している人々…救済者…彼が血の杯を与え、森に潜んでいた獣が現代的な人間の姿に変わって現れた。
「まだ何か欠けていると思うわ。」
「それは…」
「もし最初の大飛躍が自然に起きたわけじゃないとしたら?あれは生物学的な進化ではなかったら?人間が絶滅の危機に瀕しているときに、アトランティス人が助けに来てくれたのだとしたら?彼らはトバ事変を生き残れるよう、死に瀕した人間に、あるものを授けたのかもしれない。そう、遺伝子よ。遺伝的な強みを授け、生き残るための賢さを与えた。脳の神経回路を変化させることでね。もしかすると、彼らが私たちにアトランティス遺伝子を授けたんじゃなのかしら?」

続く→

第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー62

2020.05.08.21:50

Ⅲ アトランティスの霊廟

95

チベット自治区

デヴィッドの包帯を巻き終えると、ケイトは反対側へ走って行って、バスケットにもたれかかった。
2人は長いこと無言で空を漂い、顔にそよ風を感じながら、眼下の雪山や緑の高原を眺めていた。
どちらも口を開こうとはしなかった。
彼を引き上げた時、酷使し過ぎたせいで、ケイトの筋肉には火照るような痛みがこもっていた。
やがて、デヴィッドが沈黙を破った。
「ケイト。」
「日記を読み終えてしまいたいの。」
ケイトは薬が入った袋から小さな革の手帳を引っ張り出した。
「先のことはそれから決めましょう、ね?」
黙って頷くと、デヴィッドはバスケットに頭をもたせかけ、最後の数ページを読むケイトの声に耳を傾けた。

1919年2月4日 チューブで目覚めた1年後…

世界は死にかけている。
私たちが殺したのだ。
私はケインとクレイグと共にテーブルに着き、まるで競馬のオッズでも聞くようにその統計データに耳を傾けていた。
スペイン風邪(我々はこの流行病をそう名付け、世間を納得させた)は、わずかな島国を除いて、世界中のあらゆる国に広まっていた。
かつて流行したインフルエンザとは違い、弱った者よりもむしろ健康な人間が死んでいるとのことだった。
クレイグは周りくどい言い方で長々と説明を加えたが、要はこう言う話をしていた。
これまでワクチンを発見した者はいないし、無論イマリとしても見つかるとは思っていない。
だが今後も、インフルエンザということで押し通せるだろう。
これは「朗報」だと、クレイグは言った。
彼の話は続いたが、その雰囲気や見通しは概して楽観的なものに変わっていた。
膨大な数の死傷者が出るだろうが、人類が滅びることはなさそうだと。
彼らの試算では、私たちが解き放った疫病で死ぬ者は、世界人口の2から5%、すなわち3600万人から9千万人になるとされていた。
また予想される感染者数は、10億人前後だった。
現在の世界人口を18億人程度と見積もれば、クレイグにとってこれは、それほど悪くない数字、なのだそうだ。
島嶼部にいれば比較的安全なはずだが、現実には人々は恐怖にかられ、世界中が感染者と疑われるものを徹底的に排除していた。
今回の戦争で死んだ者は、約1千万人とされる。
そしてこの疫病…スペイン風邪と呼ぶべきかもしれないが…は、戦死者の4倍から9倍の人間を殺そうとしていた。
もちろん事実を隠蔽するのは問題だ。
戦争と流行病が重なり、およそ5千万人から1億人もの命が奪われようとしているのだから。
だが私の頭にはたった一つのことしかなかった。
なぜ彼女が死んで、私が生きているのか、と言うことだ。
私は貝のように口を閉ざしていた。
それでも耐えていたのは、ある理由があったからだ。
ケインが冷ややかな視線をむけて来た。
私も彼を見返した。
彼に報告を求められたので、重い口を開いて淡々と声を発した。
私はあの人工物の周囲を掘り終えたと報告した。
「兵器だ。」
と、彼が言い直したが、それを無視して自分の見解を述べた。
あれをとり外してしまえば、構造物の中に入れるだろう、と。
あれこれ質問を受けたが、それに対しても自動人形のように機械的に答えていった。
終戦についての話があり、マスコミの目が疫病に集中していると言う話があった。
もちろん彼らは、対策を準備しているようだったが。
アメリカにウイルスを調べている医師たちがいて、インフルエンザではないと、突き止める可能性があると言う話も出た。
クレイグがいつものようにその場を丸く治めた。
自分がしっかり状況を把握しているので心配ない、と彼は言った。
いわくウイルスは自然に鎮火する山火事のように、徐々に力が弱くなってきているのだそうだ。
流行が終息に向かえば、研究者の関心も薄れるはずだ、と言うのが彼の意見だった。
前提にあるのは、この破滅的な疫病も、感染を繰り返すうちに死亡率が低下すると言う説だった。
坑道内にいた者は、即座に死亡した。
その彼らを発見した者は、発病してから死亡するまでやや時間があった。
現在感染しているのは、ジブラルタルから離れた地域の人々で、5次か6次感染ぐらいだと思われる。
生存率が上昇しているのはそのためだろう、と言うのだ。
最初に感染が広まった後も流行の波は2度あったが、これはどちらも、ジブラルタルやスペインで死んだ早期感染者の死体が、人口密集地域に運ばれたためだと考えられていた。
私は世間に公表して、ジブラルタルから出た者を、追跡するべきだと訴えた。
だがケインは、受け入れなかった。
「死ぬときは死ぬんだ。ピアーズ、言わなくともよくわかっているだろう。それに、彼らの死は、役に立つ。流行の波が起これば、それだけデータも集められるからな。」
私たちは声が嗄れるまで怒鳴り合った。
自分が何を言ったかよく覚えていない。
最も私が何を口にしようが、関係ないのだが。
どのみち組織を掌握しているのはケインであり、私には彼を止めることなどできないのだから。

ケイトは日記を閉じて、顔をあげた。
「彼らは列車に死体を積み込んでいたわ。あの中国の施設で。」
デヴィッドはしばらくバスケットの外に、視線を向けていた。
「とりあえず、事実を全て把握しておこう。後どれくらい残っているんだ?」
「1日分だけよ。」

1938年10月12日

最後に日記を書いてから、20年近くが経ってしまった。
随分長く中断していたが、決して書くことがなかったわけではない。
どうか私の気持ちを理解してもらいたい。
私がこれを書き始めたのは、無力な怪我人になってしまったと言う暗い絶望から、一時的にでも逃れたかったからだ。
日記は自分の気持ちを整理して、見つめ直すための手段だった。
そしていつしか、何かの陰謀と思われる行為を、記録するためのものになった。
だが、想像してみてほしい。
世界で一番愛する者の死を目の当たりにし、その死の原因を自分の手で何の自覚もなく解き放ってしまったのだとしたら。
全ては彼女と手を取り合って、生きていくためだったのに。
最後に手の中に残ったのが、真っ赤に焼けた石炭だけだったとしたら。
ペンを取って、もはや何の意味も亡くなった人生を、書き連ねようと言う気持ちにはなれないだろう。
しかも自分が恥じている行為の数々を。
テントにいたあの日から、私はそうした人生を送ってきた。
だが、もう十分だ。
あまりに遠くまで来てしまった。
ここが私の終着点になるだろう。
大虐殺に協力することなどできないが、私にはそれを止める力もない。
あなたたちが阻止してくれることを願うばかりだ。

前回、日記を記したあとでわかったことを、以下に書いておく。

装置について
我々はベルと呼んでいる。
ケインやドイツ人の取り巻き連中は、グロッケと呼ぶが。
ケインはこれを超兵器だと確信しており、人類を滅ぼす可能性がある一方で、大いなる恵みをもたらすかもしれないと期待している。
ベルが遺伝的に優れた人間だけを生かし、その選ばれし種族に取って脅威となる者を滅ぼしてくれると考えているのだ。
彼は人種の優劣という理論に取り憑かれ、この装置によってもたらされる終末を生き延びる支配人種について、熱心に研究するようになった
そして何とも都合の良いことに、自分はその優れた種族だと信じている。
彼らの研究の焦点は、やがて来ると思い込んでいる、アトランティス人の襲撃の前に、こうした支配人種をいかにコントロールして創り出すか、という点に向けられているようだ。
ベルが運び出されてからというもの、私の存在価値は下がったが、それでも内情を耳にする立場にはいる。
ケインはベルをドイツに持ち帰り、ダッハウ近郊で実験を行なっている。
彼の故国では、大規模な飢饉や失業率の上昇によって、深刻な経済不安が広がっている。
こんな国の政府を操るのは、容易いことだろう。
彼はそのチャンスを、存分に生かしているのだ。

イマルについて
イマリの歴史とその姉妹集団であるイマルについて、色々と知る機会があった。
遥か昔、イマリとイマルは一つの集団だった。
現存する最も古い文字資料を見る限り、少なくともそれが記されたシュメールの時代までは、同じ名前だったようだ。
イマルとは、シュメール神話において、光を意味する言葉だ。
ケインは遥かいにしえの大洪水の前から、イマルが装置のことも人類の運命についても、知っていたと信じている。
そして自分たちイマリは、優越人種の集団であるイマルのなかでも、人類を救えると信じた一派であり、他の仲間を説得できなかったために、たもとを分かったのだと推測している。
ケインが考える歴史はこうだ。
彼のイマリの祖先たちは、安全な暮らしを捨ててアーリア人の故郷からヨーロッパへと旅立った。
なぜならプラトンも書いているように、そこにアトランティスの遺跡があると信じていていたからだ。
そしてそれを発見することが、人類を救う鍵になると考えていたのだ。
ケインがこうした恣意的な歴史観を披露したとき、私は冷めた口調で聞いた。
だったらなぜ、後代のイマリにはその事実が伝わっていないのか。
何にせよ、そうした歴史的事実があるなら知らせておいた方が役に立つではないかと。
するとケインは馬鹿にしたような目つきで、私を諭した。
例えば、「王冠をいただきし頭は重いものだ」、とか、「自分たちの手に人類の運命がかかっているとわかれば、我々は耐えられなかっただろう。祖先は賢明だった。精神的な負担を取り除き、我々が全力で真実を探究して、世界を救えるようにしてくれたのだ」、などと言って。
日毎に発言力を増していく狂人と、議論を戦わせるのは、決して簡単なことではない。

続く→

第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー61

2020.05.05.20:02


94

仕留め損ねた。デヴィッドが引き金を引くより1秒早く、ドローンが2発あるミサイルの1発を発射した。
軽くなった機体はわずかにその速度を速め、デヴィッドの狙撃ライフルの弾をかわしてしまった。
薬室に次の弾を送り込み、再びドローンを探した。
今では濃い煙が、渦を巻いて立ち上っていた。
すでに寺院の大部分が炎に包まれ、火は眼下の森にも広がりつつあった。
顔をしかめて立ち上がると、意外にも足は素直にいうことをきいた。
鎮痛剤が効力を発揮しているようだ。
もっと見通しの利くポイントに、移動しなければ。
後ろを向き、そこでギョッとなった。
展望デッキの隅で、ミロが目を閉じてあぐらをかいていたのだ。
リズミカルに浅い呼吸を繰り返している。
デヴィッドは彼の肩を掴んだ。
「何をやっている?」
「うちなる静寂を求めているのです、ミスター…」
彼を立たせて、山の方へ放った。
「山頂まで行ってから求めろ。」
デヴィッドは指を差し、戻ってきたミロの体を回してまた山の方へ押しやった。
「上まで登れ。ミロ、何があっても足を止めるな。本気で言っているんだ。さあ、行け。」
ミロがしぶしぶと言った様子で、崖のくぼみに手をかけたので、デヴィッドは少しの間、岩壁を登る彼の姿を見守った。
展望デッキに注意を戻した。
端の方まで歩いて行き、そこで待った。
チャンスが訪れた。
煙が途切れたのだ。
膝をついてスコープを覗くと、照準を合わせる間も無くいきなりドローンが現れた。
先ほどとは違うドローンだ。
こっちにはミサイルが2発とも残っている。
いったい何機あるのだろう?
躊躇いはなかった。
深呼吸を一つし、ゆっくり引き金を絞った。
爆発したドローンが細い煙の尾をひいて落下して行った。
次のドローンを求めて空を見回したが、発見できなかった。
立ち上がって足を引きずりながら、デッキを横切った。
と、煙の中から色鮮やかな物体が出現し、空と森の風景が黒い雲を押し分けた。
気球だ!ケイト!
彼女と目があった瞬間、足元の山が吹き飛んでデッキの半分が消えた。
バランスを失ったデヴィッドの手から銃が離れ、音を立てて岩の上を転がった。
寺院が崩れようとしていた。
一機目のドローンが残り一つのミサイルを、打ち込んだのだ。
とどめの1発を。
不安定に揺れているものの、気球はまだそこに浮かんでいた。
デヴィッドの2、3メートル下にいる。
崩れ続けるデッキは、もはや残りわずかになっていた。
立ち上がり、デッキの端へ突進してジャンプした。
胸がカゴの縁に当たって息が止まりそうになった。
必死でそのカゴにしがみつこうとした。
ケイトの指が彼の両腕を掴んだのは、手が滑って落ち始めた瞬間だった。
彼女はデヴィッドを離すまいと、全力で握りしめていた。
が、落下は止まってもそこから先がどうにもならなかった。
傷の痛みのせいで、カゴの縁に手を伸ばすこともできなかったのだ。
下から熱を感じた。
足を這い上がって全身に伝わるそれは、刻々と強さを増していた。
デヴィッドが気球を地獄に引きづり込んでいるのだ。
ケイトに手を離してもらうしかない。
この高さなら、苦しまずに死ねるだろう。
「ケイト、俺は上がれない!」
鎮痛剤を飲んでいても、肩の痛みはあまりに激しかった。
「その手を。」
「絶対に離さないわよ。」
ケイトが叫んだ。
彼女はカゴの側面に足を踏ん張り、残った力を爆発させるようにして、彼の腕を引き上げた。
デヴィッドの手がカゴの縁を掴んだ。
彼女が手を離して去って行った。
デヴィドはじっと待った。
腕が痺れ、熱が全身を包み込んだ。
地上から一つ、また一つと砂袋が着地する音が聞こえて来た。
滲んだ汗が、カゴを握る手に広がっていくのを感じた。
指先が徐々に滑り始め、もう直ぐ燃え盛る寺院に落下するというとき、ケイトがまた腕を握った。
そしてデヴィッドを引き上げ、カゴの内側へと引っ張り込んだ。
彼女は力を振り絞ったせいで汗だくで、デヴィッドは日に炙られたせいで汗だくだった。
わずか10センチ先に彼女の息を感じた。
そちらへさらに顔を寄せ、彼女の唇に近づいた。
いよいよ唇が触れ合うという、まさにその瞬間だった。
彼女がいきなり起き上がり、その勢いでデヴィッドを仰向けに転がした。
デヴィッドは目を閉じた。
「すまない。」
「違うわ、その、触ったらわかったのよ。出血してるわ。包帯が破れてしまった見たい。」
そう言うと、彼女はデヴィッドのシャツを引き上げて、傷の手当てを始めた。
デヴィッドは洗い呼吸をしながら、気球の雲を眺めた。
この空の下のどこかで、ミロが無事に山頂に座っていることを願った。
そしていつかどこかで、彼がうちなる静寂を見つけ出せることを祈った。

続く→

第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー60

2020.04.25.08:44

93

チベット自治区 イマルの寺院

ケイトは眠い目を開けて、周囲に視線を巡らせた。
夜ではないが、完全に朝というわけでもない。
日の出の最初の光が、アルコーブの大きな窓からうっすらと差し込んでいた。
ケイトはそれから逃げるように窓に背を向け、朝の訪れを無視した。
そして、デヴィッドに頭を寄せて目を閉じた。
「起きてるんだろ。」彼が言った。
「起きてないわ。」ケイトはうつむいてじっとした。
デヴィッドが笑った。
「返事をしているじゃないか。」
「寝言よ。」
デヴィッドが小さなベッドの上で、体を起こした。
長いことこちらを見つめていたが、やがてケイトの顔にかかる髪を払った。
ケイトは目を開け、デヴィッドを見つめ返した。
期待があった、彼が身をかがめて、そして…。
「ケイト、行くんだ。」
ケイトはがっくりして寝返りを打った。
言い争いはしたくなかったが、譲るつもりもなかった。
彼を置き去りにはしない。
だが、いったいどこから出てきたのか、ケイトが嫌だと口にする前に、ミロが姿を現した。
いつものように明るい表情を作っているが、その顔や動きにはどこか疲れた様子が感じられた。
「おはようございます、ドクター・ケイト、ミスター・デヴィッド。ミロと一緒に来てください。」
デヴィッドが彼の方を向いた。
「1分だけ待ってくれ。」
若者はこちらへ足を踏み出した。
「1分だって待てません、ミスター・デヴィッド。チェンが時間だと言っています。」
「時間?なんの?」
デヴィッドが聞いた。
ケイトは体を起こした。
「出発する時間です。そう…。」
ミロが眉を上げて見せた。
「脱出作戦ですよ。ミロの秘密の計画です。」
デヴィッドは首を傾げた。
「脱出作戦?」
新たな道が開けるかもしれなかった。
少なくとも、デヴィッドとの口論は先送りにできる。
ケイトはチャンスに飛びついた。
戸棚に駆け寄り、抗生物質と痛み止めのボトルを集めた。
傍でミロが布の袋を広げてくれたので、そこに薬を放り込んで小さな日記帳も入れた。
いったんは戸棚から離れたが、すぐに戻って念のためにガーゼと包帯とテープも掴み出した。
「ありがとう、ミロ。」
背後にいるデヴィッドが立ち上がった途端に、よろめく音がした。
急いで腕を伸ばし、倒れる寸前に彼を捕まえた。
袋に手を入れて痛み止めと抗生物質を取り出し、抵抗される前にそれをデヴィッドの口に押し込んだ。
そして水なしで錠剤を飲み込んでいる彼を、半分引きずるようにして部屋から連れ出し、屋外の渡り廊下に向かった。
太陽は今や全速力でその姿を現わそうとしていた。
廊下の床板のすぐ先、山の斜面に、パラシュートが広がっているのが見えた。
いやパラシュートではない、熱気球だ。
全部で3つある。
ケイトは首を傾げて気球の一つを観察した。
てっぺんが緑と茶色に塗られていた。
迷彩柄のようにも見える。
これは…木だ。
森を描いているのだろう。
面白い。
音がした。
鉢の羽音。
近い…。
デヴィッドがこちらを向いた。
「ドローンだ。」
彼はケイトに回していた腕を下ろし、彼女を押した。
「気球に乗れ。」
「デヴィッド。」
ケイトは反論しかけた。
「だめだ、乗れ。」
彼がミロの腕を掴んだ。
「俺の銃、初めてここにきたときに持ってきたやつだ、まだあるか?」
ミロが頷いた。
「あなたの持ち物は全て。」
「取ってきてくれ。急ぐんだ。高い場所に上がる必要がある。展望デッキで会おう。」
ケイトはもしかしたら最後にデヴィッドが戻ってきて、そして…と思った。
が、彼は片足をひきづりながらまっすぐ寺院を抜け、這うようにして山の斜面にある石の階段を登り始めてしまった。
気球に目をやり、またデヴィッドの方を向いた。
彼はすでに去っており、階段には誰もいなかった。
ケイトは急いで廊下を進み、木製の螺旋階段がある端まで行った。
階段の下を覗くと、 巨大な気球が見えた。
下のデッキでは五人の僧侶がケイトを待っていた。
こちらに手を振っている。
ケイトの姿を確かめると、そのうちの2人が一1つ目の気球に飛び乗ってロープを外し、デッキを押して宙を漂い始めた。
山から離れていく気球の上で、僧侶たちがこっちを見ろと言うような仕草をした。
彼らは紐や炎をいじって気球の動きを調整し、どうやって操縦するか、ケイトに手本を示そうとしていた。
1人がケイトに頷き、ロープを引いてバスケットの側面にある袋を落とした。
瞬く間に気球が上昇して、山から遠く離れていった。
美しい、静かな飛行だった。
それにあの色、赤と黄色の地の所々に、青と緑の斑点が見える。
まるで大きな一匹の蝶のように、それは高原の彼方へ飛んで行った。
二つ目の蝶の気球にもすでに僧侶2人が乗り込んでいたが、彼らはロープを外そうとしなかった。
どうやらケイトを待っているようだ。
五人目の僧侶が、3つ目の気球に乗るようにケイトに合図した。
あの、天辺に森が描かれている気球だった。
ケイトはその気球の下半分が雲の模様になっていることに気づいた。
青と白に塗られている。
これならドローンがある程度離れた下方から見たときに、空と見分けがつかないだろう。
もしドローンが上方にいるなら、今度は森しか見えなくなるはずだ。
とてもよく考えられている。
ケイトが雲と森の気球に乗り込むと、前方で二つ目の蝶の気球が出発した。
最後までデッキに残った僧が、ロープを2本引いてケイトのバスケットの袋を落とし、ケイトを空へ送り出した。
気球は不思議な夢の中の出来事のように、音もなく上昇し始めた。
振り返ったケイトの目に、広い高原の上空に浮かぶ何十もの、いや何百もの…気球が飛び込んできた。
視界いっぱいに広がる美しい色が、上へ上へと舞い上がり、朝日を浴びて輝いている。
寺院という寺院が、一斉に気球を放ったのだろう。
ケイトの気球は次第に速度を上げて上昇し、乗り込んだデッキからも、寺院からも離れて行った。
デヴィッド…。
ケイトが操縦用の紐を握った時だった。
爆発の衝撃が気球を揺らした。
一瞬にして山の側面が消滅したように見えた。
気球が激しく震え、木の破片や石が空を切って飛んだ。
煙と炎が上がり、宙を舞う灰がケイトと寺院の間を埋め尽くした。
何も見えなかったが、気球は無事のようだった。
ドローンのミサイルは寺院を挟んだ反対側の山腹に、撃ち込まれたのだ。
必死で気球をコントロールしようとした。
上昇スピードが速くなっていた。
速すぎる。
また音がした。
銃声だった。
上から聞こえてきたようだ。

続く→

プロフィール

kitako

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