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墜落した日航123便に何が起きていたのか?「524人の命乞い」より

2018.08.07.12:49

前回の続きです。→



奇跡の生還者4名は、機体後部に座っていた。
極限まで窮屈な空間に閉じ込められながら、生還者たちは救出されるまでの間に多くのものを見聞きしていた。
墜落直後の生存者は、この4名だけではなかったのだ。

当時12歳だった川上慶子さんはこう述べている。
「墜落したあと、ふと気づいたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。」
「気が付くと子供の泣き声などがざわざわと聞こえてきた。私が叫ぶと父と妹の咲子が返事した。しばらくして父は動かなくなった。その後、咲子としゃべった。咲子はゲホゲホと吐いて、しゃべらなくなった。」

落合由美さんの証言
「墜落の直後に、荒い息遣いが聞こえました。一人ではなく、何人もの息遣いです。そこら中から聞こえました。まわり全体で、早く来て!と言っているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。」
「突然、男の子の声がしました。ようし、びくは頑張るぞ!と、男の子は言いました。学校へ上がったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。中略。私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聴いているしかできませんでした。」
この時点で、相当の数の人たちが生存していたのは間違いないでしょう。

飯塚訓氏の「墜落遺体ー御巣鷹の日航機123便」によれば、犠牲者の遺体を5対が完全にそろっている完全遺体と離団遺体に分けて検討している。
検視総数2065体のうち、完全遺体は177体。
このうちシートベルトの圧迫損傷や衝突衝撃、脳挫傷などで即死したのは千体であり、救助されずに死亡したのは、約50体に上るという。

では、捜索救援活動や報道はどのように動いていたのか?
墜落の後、19時05分には、航空自衛隊の百里基地から2機のF4EJ戦闘機が発進している。
21分には、F4EJから横田多感300度32マイル炎上中と言う報告が入り、45分には運輸省が対策本部を設置。
自衛隊は百里基地から救難機V107、次いで、救難捜索機MU2Sを相次いで発進させ、20時30分には現場上空に到着したとされる。
墜落の18時56分30秒の後、1時間33分後である。
そして報道は素早く特番に変更し、情報を流し始めていた。

しかし、いかにも素早く立ち上がったかに見える創作救援活動や報道だが、ここから激しく迷走を始める。
自衛隊が上空から測定したという位置情報は一定せず、地図上でどこなのか一向に特定されないという事態が起きてくる。
報道では、誤報が垂れ流されるのだ。

21時の時点で、長野県警は墜落場所が群馬得kンだと判断する。
朝日新聞社のヘリも墜落地点に赤い火を発見し、周囲に飛行機やヘリの衝突防止灯が光っているのを目撃した。
上空から撮影した朝日新聞社のヘリは、位置を測定して、底がやはり群馬県であるという結論を得ている。
ところが21時39分になって、NHKが「御座山中腹で煙発見」と言う報道を始めた。
この場所は、実際に123便が墜落した御巣鷹の尾根とは県境を挟んで7キロも離れているのである。
さらに56分になると、自衛隊幕僚幹部も運輸省に対して、墜落場所は「御座山北斜」と連絡。
このころには日航も同じことを発表し始めた。
一方先ほどの朝日新聞社のヘリは、日付が変わるころ、改めてそこが群馬県側であることを計測している。
長野県警も「墜落場所は群馬県内と判断」と発表し、読売新聞朝刊は「御巣鷹山付近に墜落」と見出しを打った。
しかしNHKは、13日03時45分段階でも、「御座山南斜面」と執拗に報道し続けた。
これで多くの人が、墜落場所ではない長野県へ赴くことになった。

防衛庁が三国山北西約2キロで機体発見と発表し、陸上自衛隊のHU1からの現場撮影がされたのは、翌日の13日04時55分のことだった。

不可解な遅延である。
捜索活動にはさらに時間がかかり、墜落から16時間も過ぎてからのことだ。

このような誤報は、本当に測定誤差だったのだろうか?
「自衛隊は戦闘集団です。こんないい加減な目標地点の測定では、味方陣営を誤爆することになりかねません。それでは戦争などできません。」とある自衛隊幹部は語る。
「何か隠された意図があるんですよ。」とも語った。

真っ暗な山の夜。
苦し気な呼吸の音がいくつも折り重なって聞こえる中、不意に、ヘリコプターの爆音が響く。
落合由美さんは語る。
「やがて真っ暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえました。それもすぐ近くです。これで助かると、私は夢中で右手を伸ばし、降りました。けれどヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。一生懸命手を振りました。助けて!誰か助けて!と、声も出したと思います。ああ、帰っていく‥」

この時のヘリコプターが、その所属機だったかは長く謎とされた。
このため、墜落当日の夜に自衛隊が創作救援活動を一切行わなかったことは、早い段階から批判された。
自衛隊は、様々な言辞を弄して言い訳に努めたらしい。
しかし、その嘘が明るみに出たのは10年後のことだった。

アントヌッチ証言と言うのがある。
前回も紹介した空の上で、123便を見つめていた米軍航空機の搭乗人物である。
その証言によれば、米軍へリが墜落間もないころ、捜索救助要員を墜落現場に降下させようとしていたのである。
「横田基地所属のC130H輸送機で飛行中のアントヌッチ中尉は、非常事態に陥った123便の通信を傍受し、横田基地への着陸許可を求め許可されたのを知っていた。
ところが基地には着陸することが出来ず、飛び去ったのを見守っていたのは前回に既述したとおりである。
やがて19時ころ、横田管制から123便がレーダーから消えたという知らせが入り、中尉らは123便を捜索できないかと打診してきた。
中尉の乗るC130Hはこの時から123便の捜索を始め、19時15分に墜落から20分後に早くも、煙の上がる墜落現場を発見した。
C130Hは上空を旋回し、位置を報告している。
情報は横田基地から日本の当局にも伝えられ、知っていたのだ。
無論、追尾していた自衛隊の2機のファントムは当然していたということだ。

中尉の乗るC130Hに連絡が入った。

座間基地の陸軍ヘリUH1が救難に向かう準備をしているという。
やがてヘリは現場に到着、21時05分には兵士の降下に取り掛かった。
旋回して様子を見守るアントヌッチ中尉は、ヘリに変わり現場の状況を報告する。
ところがここで思いもよらないことが起きる。
日本側が救助に向かっているから、直ちに基地に帰還せよというのだ。
すでにヘリはロープをたらし、要員は降下を始めたところだ。
こうしてせっかく救援に当たろうとしていたC130HとUH1は撤収した。
一体、誰が、待ったをかけたのだろうか?
まもなく、最初の日本の飛行機がつらく現場上空に現れ、横田管制はそれが日本側の救難機だと伝えてきた。
アントヌッチ中尉は安心して引き上げた。
しかし、その後彼が知ったのは、一安心どころの事態ではなかったわけだ。

司令部に一連の経過を報告すると、ジョエルシルズ副司令官は
「マスコミには一切他言無用」と言い渡される。
そののと、アントヌッチ中尉は、報じた記事を読み生還した落合さんの証言を知り、大きなショックを受ける。
飛んできたヘリに合図をしたが去って行ったと証言されているそのヘリが、自分たちであると知ったからだ。
彼の胸の良心の呵責は消えなかった。
そして軍籍を離れ1男0年後の95年8月「サクラメントビー紙」に手記をまとめて発表した。
その内容は、米軍の準機関誌「星条旗」紙に転載された。

それは日本のテレビなどでも報道され、大きな波紋が広がった。
隠しきれなくなった中曽根康弘氏は、「米軍アントヌッチ中尉の救出活動は知っている」と語った。
しかしすでに彼は退任しており、ここでも責任を問われることはなかった。

おかしな話である。
米軍側に日本側が救出すると伝えておきながら、翌日になるまで救出活動を行っていないのである。

群馬県警本部は、8月12日21時、県警幹部につらくしたと思って行動してくれと訓令し、22時には上野村に現地対策本部を開設している。
とすると、早い段階から、墜落現場を知っていたという事になる。

土地勘のある住民たちは、墜落地点をほぼ確信していた。
12日夜、上野村に入ってきた群馬県機動隊は、住人に道案内を求めた。
仲の沢へ行く道案内だ。
しかし住民は墜落場所はスゲの沢だと進言した。
機動隊はそっけない態度であくまで中の沢を捜索した。
このころ、同じ上野村の消防団のメンバーたちは、自分たちでスゲの沢を創作しようと話し合っていた、県警はこれにも待ったをかける。
県警と消防団との怒鳴りあいになり、朝に4時に年長の団員たちが県警の制止を振り切って救助に向かっている。
それから数時間後に、群馬県警ではなく、長野県警が派遣したレスキュー隊員とともに、川上慶子さんを発見している。
それがこの写真である。

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墜落の翌日、8月13日、現場に自衛隊の習志野空挺団が到着したのは、8時49分だった。
9時30分には73名が現場に降下し、前後するように陸上自衛隊松本連隊の14名、長野県レスキュー部隊2名、上野村消防団などが陸路現場にたどり着いている。
群馬県警が現場に赴いたのは、10時15分になってからだった。
時間がかかりすぎてはいないだろうか?
生存者を発見したのは、上野消防団と長野県警のレスキュー隊であり、最も大きな部隊を派遣し、先に現場に到着した自衛隊はほとりの生存者も発見していない。
習志野空挺団は「生存者無し」と報告を続け、早くも「乗員全員死亡、救助打ち切り、遺体回収」を命令したという。
4名の生存も、長野県警や上野村消防団の活動がなければ、どうなっていたのだろうか?

そして妙なことに気づくのだ。
生存者の応急処置に当たったのは、あとから駆け付けた赤十字の医師と看護婦だ。
しかし墜落現場にはとっくに自衛隊が到着している。
すぐにでも応急処置はできたはずだ。
最初から生存者を想定していない、ということになるのではないだろうか。


日航123便墜落 遺物は真相を語るの著者、青山氏は、遺体の現場から発見された歯型の確認を行った医師にインタビューを重ねている。
123便の墜落現場での遺体は、骨の奥まで炭化するような燃え方で、まるで2度焼きしたような状況だったという。
墜落現場の木々は幹の中まで燃えていないのに、痛いだけは骨の芯まで燃えているという不思議な現象がみられたことを語っている。

著者は、これを自衛隊の特殊部隊による生存者殺戮の省察行為だったのではないかと語る。
特殊部隊は毒ガスによる殺害のあと、遺体をスゲの沢から火災現場に移して、火炎放射器で焼き殺したと推察される。

さらにに不可解なことがある。
8月13日の日経新聞には、生存者7名発見と報じられた。
その4名以外の3名について、朝日新聞社は無線で報告している。、
「いまさらに3名の生存者救出!2名はタンカに乗せられているが、1名はタンカが必要ないほど元気な女の子で、救助隊員に抱かれている。」
この報告について、朝日キャップの木村氏は、
「1人の女の子はタンカに載らないほどの元気で、救助隊員に抱かれている。他の二人は毛布をかぶされているため、男女の別やけがの程度ははっきりしないと報告。だがその後、その女の子はどうなったのか?フジテレビの「ニュースレポート」生放送でも、生中継のアナウンサーが、「現場は惨憺たる状況です。間もなくタンカに乗せられた少年が運ばれてきます」と語った。
その後、この少年い対する報道は途絶え、神隠しにあったように消息は出てこなくなった。
いったい、誰が連れ去ったのであろうか?

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123人墜落から1時間余りが過ぎた8月12日、20時ころ、上野村「三岐」には、総勢千名になる自衛隊の一段g集結していた。
21時30分過ぎ、尾根のある方向から信号弾が上がった。
集結していた部隊は整然と行動を開始した。
21時30分とは、アントヌッチ中尉が上空から撤退させられた時刻だ。
この自衛隊の一団の目的は何だったのだろうか?
著者はこれらを特殊暗殺部隊と呼ぶ。
彼らを山中で目撃したM氏の証言が、「疑惑」と言う著書の中で語られている。
墜落を知ったM氏は、オフロードバイクで現場に向かう。
翌朝の4時ころ、現場に到着したM氏は、ここで千人ほどの自衛隊員を目撃している。
暗視ゴーグルを装着し片手にはアーミーナイフ、後にやってきた一般の自衛隊とは明らかに異なるいでたちだった。
彼らはしきりに何かを回収し、袋に詰めヘリで釣り上げている。
M氏は、たどり着いた時、現場で40~50名のうめき声を聞いている。
所が現場の自衛隊員は、歌詞集には熱心だが、生存者には手当もしないし目もくれない。
それを見たM氏は不審に思った。

「自衛隊のひとたちがいる以上、自分が出来ることは、呻き声のするあたりを探しては場所を教え、早い手当を頼んでいました。ただ対応には不信感を覚えました。下手に動かすと危険だから、あとから部隊が来て手当てすることになっているというだけで、全く何もしようとしない。」
山を降りる頃には、大勢の生存者のうめき声が一つも聞こえなくなっていたという。
このM氏が見た出来事は、生還した川上慶子さんが語った証言を思い出させる。
「墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちで埋めき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。
しばらくすると、前方から懐中電灯の光が近づいてきて、助かったと思った。
また意識がなくなり、次に目覚めると、明るくなっていたが、救助の人は誰もいなくなっており、周りの人はみな死んでいた。」

この何かを回収してヘリで運び出していた自衛隊員の姿は、別の人物にも目撃されている。
深井教授は、13日朝7時ころ徒歩で現場に到着した。
彼は手記の中で、遺体が散乱する現場の状況とともに、夜が明けているにもかかわらず捜索救助が行われていなかったと指摘する。
現場は無人ではなかった。
南側斜面で活動する自衛隊員たちを目撃したのだ。
後に生還者がヘリで輸送されたのは午後になっての話で、教授が目撃したのはそれとはまったく別のヘリだ。
現場には早い段階から自衛隊が乗り込み、救助活動とは全く別の活動をしていたことがわかる。
その間、人の目を別の場所に向けておく必要から、誤報が流され続けたと著者は言う。

見られてはならないものを回収し、いてはならない生存者を消すための時間。
その工作は、救助活動に向かおうとしている一般に自衛隊員たちにも向けられた可能性がある。
123便が墜落して1時間ほどが過ぎた20時ころ、NHKに臨時ニュースが流れた。
全国放送の待っ最中、「自衛隊員が射殺された」と伊テロップが流れたのだ。
その後、長野県警の発表として、「数名の自衛隊員が射殺」と言う報道もなされた。
のちにこれは誤報として取り消された。

当時、捜索救助活動を担う、一般の陸上自衛隊員達は朝までの待機を命じられていた。
これらの情報から見ると、それでも救助に向かった一般の自衛隊員たちを射殺したのは、これら先に現場に到着し、救出活動など一切行わず何かをせっせと回収していた部隊であると推測される。

またこの時、東京では、自衛隊と警察が墜落地点の管轄権を巡って争っていた。
本来管轄権は警察にあることは、警察法で決まっているのだが、123便ではいち早く、救助をしない自衛隊が派遣されており、現場の実質的な管轄権を握って行動した。
当時、自衛隊が災害派遣を巡って動くためには、県知事からの要請が不可欠であり、規則に忠実な自衛隊は自らの意志で、部隊を派遣したことはなかった。
ところが123便の事件の時だけは、陸上自衛隊幕僚長が、災害派遣を独自の判断で決定したと報じられている。

以下略

詳しくは書籍をご覧ください。

^^^

さて、ここまで「524人の命乞い」から抜粋して転記して来ましたが、皆様はどのように感じられましたか?

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この人たちは、一体何をしていたのでしょうか?
そして本当に日本の自衛隊だったのでしょうか?

写真は、「新日本の黒い霧」さんからいただきました。


1985年当時の日本を取り巻く状況…
80~90年代に暗躍していたオウム真理教…
北朝鮮との関連が伝えられて久しいです。
そして今のではない崩壊前の旧ソ連との関係…

中曽根康弘氏は何をしようとしていたのでしょうか?
そして、周辺にいた政治家たち、北朝鮮もうでを行った政治家たち…
こういった想像をすることもできます。

当時相模湾で海上自衛隊が訓練を行っていた。
これの発端を作ったのはリモートコントロールされた無人標的機である。
これは偶然、123便に当たったのではない。
初めから撃墜する目的で当てられた。
しかし、残念ながら航空機は海に墜落したりしなかった。

百里基地から飛び立った2機のファントムであるが、百里基地は航空自衛隊である。
海上自衛隊である無人標的機を飛ばした事情を知ってはいなかったと言えるかもしれない。

2機のファントムは命令通りに、123便を追尾し続ける。
123便は、何とか横田基地へ着陸をしようとしていた。
横田基地も何とかして123便を救援しようとしていた。
それに待ったをかけたのは、誰だろうか?

もし…
初めから仕組まれていたとしたら…
この事件の後、日本は失われた20年と言われる停滞の時期に入り、北朝鮮には大量の日本人を拉致され、プラザ合意を飲まされ、日本版OSであるトロンの開発発売は出来なくなり、プラザ合意に反対していた政治家4人は全員死亡した。またグリコ森永事件と関連があったと思われる会社の社長が死亡。
それらを完全、抹殺を仕組んだものがいたとしたら?

その国の指示を受けざるを得ない状況があり、中曽根氏がいやいや応じて許可をしていたのだとしたら?
某米軍基地には、北陽線の平壌へ行く直行便があり、その表示が撮影されています。
平壌からも同じです。
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さて、もし…
この状況の中で、完全に抹殺したいものがいて、それを企んだ者たちが、一般の米軍基地、一般の自衛隊のあずかり知らぬところで、一連のことを実行したとしたら…?
そして日本の国内に米軍基地があるように、日本の国内に北朝鮮の軍基地が隠されており、そこから、日本の自衛隊に偽装した軍隊が出動しているとしたら…?

頭いいでしょう?
当たっているでしょう?
なんてすべて、妄想ですが‥

日本もま~ったく、美しい瑞穂の国などではない、恐ろしい闇に包まれている国であると言えるのではないだろうか?
最近、保守系ブログや動画が次々封鎖されて行っているが、その裏にも何かあるぞ。
ナショナリズムになられると困る勢力がいつのかも、知れない。

言っておきますが、私は反米ではありません。
そして、この事件は三十数年も前のすでに時効が成立している事件です。
あの時とは、米国も日本も、北朝鮮も事情が異なります。
すでに、米国は軍産の支配から抜け出そうとして、トランプ氏がもがいています。
現在の米国とは、しっかり協調していくべきと思っています。

同じに考えることは愚かなことです。
中曽根氏は、当時の状況の中でできうる最善を行ったのかも知れないしそうではなかったのかも知れない。
我々には、部分が見えるだけで、全体を見ることは出来ません。
それゆえ、妄想するしかないのです。
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日航123便墜落事故から33年…真相はいまだに隠蔽されたまま

2018.08.07.12:26

前回の続きです。‥



123便が必死で飛んでいたその姿を多数の村民が目撃しています。
以前にも書きましたが、その123便の後を2機の自衛隊のファントムが追尾していた。
そして、墜落の直前に、123便の後を、流れ星のようなものが飛んでいたという目撃情報の話です。
完全に隠すなど不可能なのです。


123便の乗客は、この段階でも、続けて緊急着陸態勢を取り続けていました。
生還した落合由美さんの証言から、その状況を追ってみます。

続けて、「524人の命乞い」からです。


「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。席の前のほうで、女の子が、キャーと叫ぶのが聴こえました。聞こえたのはそれだけです。」

どんなに恐ろしかったでしょうか…察してあまりあります。

瞬時のすさまじい横揺れ、そのような激しい横揺れが起きるのは、機体の左右のどちらか一方に巨大な力が加わった時以外に考えられない。
この時起きたことは、デジタルフライトレコーダーにも記録されている。
18時55分45秒に突然の激しい横揺れが記録され、垂直加速度の急激な上昇、急激な下降、そして異常な速度上昇が始まる。
それをきっかけに123便は猛烈な勢いで急降下し始めるのだ。
この瞬間に符合する音声は、クルーの「アーッ!」と言う絶叫だ。
直後に機長は、「パワー」「パワーアップ」「フラップアップ」と叫び続けている。


急峻な山岳地帯を飛んでいたにもかかわらず、この時の状況を地上から目撃した人は意外なほど多かった。

「航空機の胴体から火を噴きながら、超低速で東北の方角へ飛んで行った。」長野県南佐久郡南相木村住民の目撃。
「埼玉方面から飛んできた航空機が赤い炎を上げ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県堺に消えた。」南佐久郡川上村住民の証言。
「川上村の人たちは、飛行機は北東の方角へ炎を上げて飛んでいたと、
言っている」と村長が語る。
「墜落直前に機体後部から火を噴いていた。」読売新聞8月13日に載った証言。

そして最も不可解な証言がある。

「雲が真っ赤に染まったと思ったら、キノコ雲のような爆炎が上がった。」川上村住民の証言。
「ゴーンと言う音をさせながら航空機が飛んでいた。長野、山梨、埼玉県堺の甲武信ケ岳方向から飛んできて、上空を右に旋回して北東の方に行った。まもなく雷が落ちるようなバリバリと言う大音響がし、2度、パッ、パッと光った。そのうち、鼠色のキノコ雲が上がった。墜落したなと思った。」川上村住民の証言。

何とか山を乗り越え、高度を確保していた123便は、何故火を噴いたのだろうか?
重要な証言を思い出してもらいたい。

「飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが飛んでいくのが見えた。」南相木村住民の証言。

飛行機を流れ星のようなものが追いかけその飛行機は炎や煙を吹きながら炎上した。
だとするならば、この「流れ星」の正体は何だったのだろうか?

墜落の直前、機体は右に急旋回している。
急峻な山の上を飛ぶ123便が、急な旋回降下を試みるわけはない。
だが、123便の「外側」から、右エンジンの出力を一気に落としにかかったものがいたとしたらどうだろう。
機体の外から右エンジンの機能を停止させる。
「流れ星」をエンジンにぶつけたものがいる。

もし、それを誰かが行ったとしたら、破壊痕が残るようなミサイルであれば、検証で疑われてしまう。
もし、123便のエンジン排気口に、破壊力を小さめに抑えたミサイルを当てたとしたら。
ここで、第3の戦闘機の登場が語られている。
123便を追尾していたF4EJの他にもう一機。
それは自衛隊機のF15Jと書かれている。
F15Jが撃った単距離誘導弾が、右側第4エンジンに命中。
ここに高速でミサイルが命中すれば、大きな横揺れが発生する。
この時の状況を、落合由美さんが証言している。

「そして、すぐに急降下が始まったのです。全くの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両脇の髪が後ろに引っ張られるような感じ、そうなっていると感じるほどでした…怖いです。思い出させないでください。もう、思いだしたくない恐怖です。お客様はもう声も出なかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。真っすぐ落ちて行きました。」

日本のど真ん中で、自衛隊がミサイルを使って大型旅客機を撃墜。
これは架空の物語と思われかねない話であることは承知している。
だが、123便がミサイルで撃墜されたのだと最初に口にしたのは、日本航空の幹部だった。

8月12日の夜、123便の墜落が確実になった段階で、羽田の東急ホテルに設けられた日本航空対策本部には、乗客の家族たちが集合した。
誰もが混乱し、動転し、極度に興奮していた。
日航の役員に詰め寄る声は荒く、会場は殺気立っていた。
部屋の一角に大声が聞こえ、そこに人垣が出来ていた。
真ん中には泣きべそをかいた男性が突っ立っている。
胸倉をつかまれた半べその男性に家族が、こう詰め寄っていた。
「はっきり言え!一体飛行機はどうしたんだ!どこへ行ったんだ!」
「社長を出せ!」
この時だ。
詰め寄られていた例の日航社員が、唐突にこう口走ったのだ。
「うちの機は、北朝鮮のミサイルに撃ち落されたんだ!いまはそれしかわからん。」
ミサイル?
撃ち落された?
家族が虚を突かれた間に、その社員は会場から抱えだされて行った。

この日航社員は、ジョークを言ったのだろうか?
それとも、自分の憶測や想像を語ったのだろうか?
そんな状況ではないだろう。
彼は、自分が知らされていた事実を、必死の思いで口にしたのだ。
では、その情報を航空会社に伝えることができたのは誰か?
政府・自衛隊以外に考えられない。
ではなぜ、それを日航に伝えたのか?
それはあらかじめ、123便の墜落の状況を、日航に伝えねばならない事情が、政府・自衛隊の側にあったからだ。
発端は、無人標的機の衝突だ。
その隠蔽のためには、標的機の残骸をこっそり回収して破棄しなければならない。
そのためには、日航の機体を熟知する知識が必要となる。
123便は、秘密を要する特殊な経緯で撃墜されたのであり、日航に落ち度がないことは明らかだ。
無論自衛隊が撃墜した、とは言えない。
それで、北朝鮮と言う国の名前をかぶせ、傷がつかないように北によるミサイル撃墜の情報を伝えたのだと、著者は言う。
本当に北朝鮮だったのだろうか?

エンジンが破壊された123便はこの時、水平尾翼を失っている。
水平安定板と呼ばれ、機体を水平に保つ機能を持つ。
これが失われれば、機体は真っ逆さまに地面に激突する。
だが、機長は、それでも姿勢を立て直そうとしている。
「パワー」
「パワー」
「上げてます」
「頭上げろ」
「頭上げろ」
「パワー」と、最後まで必死に努力を続ける機長の声が残されている。
御冥福を心より、お祈り申し上げたい。

生還した吉崎博子さんの証言。
「飛行機は激しく揺れだしました。ジェットコースターにでも乗っているかのような感じで、真っ逆さまに落ちて行きます。窓の外の景色がどんどん変わりました。ものすごく怖いですが、スチュワーデスの方は、大丈夫ですから、大丈夫ですからと、何度も言っていました。
どこかが故障したので、機体は不時着するのだと思っていました。機体は何回かがたんと方向を下げてゆきます。長い時間だったようにも思うし、短い時間だったようにも思います。激しい衝撃がありました。黄色い煙が出て、上からバラバラと何か落ちて来ました。」

猛スピードで急降下していた123便は、山林にぶつかる直前の1500m付近で下げ止まっている。右に傾いた状態になりながらもわずかに水平飛行を取り戻し、わずかに上昇する気配すら見せている。
しかしついに、裏返しに横転した状態で御巣鷹の尾根に激突する。
機主と胴体部分の乗客全員はほぼ即死と見られ、多くの遺体が身元確認不能なほど損傷して四散した。
奇跡が起きている。
何とか水平を保ったおかげで胴体後部は中央部から分断されて尾根の斜面を300m滑り落ちた。
密集する樹木に衝撃を吸収され、それにより数十名は重傷を負いながらもこの時点では、命を取り留めている。
123便は、1985年8月12日、18時56分30秒、群馬県上野村の御巣鷹の尾根、地元でスゲの沢と呼ばれる一帯に墜落した。


^^^

疲れたので、また続きます→

日航123便墜落から33年、真相究明を続けた遺族が見つけた結論…だれが責任を取るべきか?

2018.08.07.12:25

1985年8月12日、日航123便が墜落した不可解の謎…自衛隊員二人が首つり自殺とは?


先日、この記事をアップした…
33年たってもいまだに解けない不可解すぎる墜落事件であった。

さらに調べていくと、この123便墜落の事件の前に、
1971年7月30日に起きた、「雫石事件」というものがあった。

雫石付近の上空で訓練中の2機の自衛隊機のうち一機が、全日空B727型機の尾翼部分に衝突し、両機ともに墜落したという事件だ。
自衛隊機のパイロットは、パラシュートで脱出したが、衝突された全日空B727型機は、空中分解し、乗員162名が地面に激突死亡するという大惨事となっている。

これは自衛隊機が、民間機が飛行する空域近くで演習を行うというずさんな訓練計画によって引き起こされた。
ところが、これほどの大事件でありながら、自衛隊機のパイロットと教官が、「見張り義務違反」で有罪となっただけで組織としての責任の追及は雲散霧消している。
結局、防衛庁長官だけが、責任をとって辞任するのだが、辞任したのは1か月前に就任したばかりの新任長官であり、実質的な責任を問うとすればそれまで自衛隊を指揮監督していた前任者だったが、たまたまこの事件の直前に退任していた。
それゆえ、この前任者は何ら責任を問われず、しかもその後、この1985年8月12日の123便墜落の時点での、内閣総理大臣であった。

それはいったい誰であろうか?
中曽根康弘氏である…
これを頭に入れておいて、さらに調べて行こう。


小田周二氏という次男と長女を墜落で失った遺族が、三〇年以上の歳月をかけて、執念の追跡調査を行い、書いた本、「五二四人の命乞い」という書籍からの抜粋である。

(注!私個人としては、これが真相であるとか、正しいとか判断する根拠を一つも持っていない。最終責任の持ち主がいるとすれば、中曽根康弘氏であるというのも、遺族である小川氏の結論であり、私は、ただただ、執念の追及を続けた遺族の調査の結果を、他の情報とすり合わせてみるのみである。)


時が立ち、その分様々な情報や異物が失われたものもあるが、逆に集められたものもあり、その断片であるピースをつなげていくと、浮かび上がってくるものがあるということを言われているのである。


^^

以下抜粋である。


異変がおきる直前、一二三便の窓外を飛ぶ、オレンジ色のロケットのようなものが撮影されている。
この撮影された方は亡くなったが、遺族は残されたカメラに、不思議な飛行物体の写真もあったということを知らされている。
遺族は早速、その写真をマスコミに公開したいと考えた。
しかし群馬県警がそれを制止した。
このフィルムが遺族のもとに返されたのは、五年の歳月を経て、前橋地検の不起訴が確定した後のことであった。
何故前橋地検は、日本航空、ボーイング社、運輸省の関係者を遺族たちが告訴していたが、不起訴としたのか。
理由は、「事故調がまとめた報告書から導かれたこの3者に責任があるという立件は不可能だと結論した。」からだ。
では誰が責任を取ったのか?誰も責任を問われてはいない。

5年を経てマスコミに公開された写真は、当時の技術では解析できず、写り込んでいる点影が何であるか議論は深まらなかった。
しかし、25年を経過し、進化したデジタル技術を使ってこの写真が分析しなおされた。

「黒っぽい円形の塊の領域内は、中心から右側へ帯状、もしくは扇状にオレンジがかっているのがわかります。円錐、もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、物体はオレンジ体の方向から、飛行機の進行方向へ向かっているように見える。

こう分析されているという。


墜落事件のあった1985年8月12日、静岡県の沖合では自衛隊によるミサイル訓練が実施されていた。
無人標的機と呼ばれる訓練用のジェット機が使用される。
当時の自衛隊は、「フィアビーとチャカ2」というリモコンで操作される、オレンジ色のロケットに似た円筒形の小型ジェット機を用いていた。
とはいえこれらの無人標的機にミサイルを直接ぶつけるのではなく、その後部に鋼鉄製のワイヤーの先にトービーと呼ばれる曳航標識、つまり吹き流しのようなものを付けて飛び、それをめがけてミサイルを撃つのである。

これに関して、大変重要な事柄が新聞に載っていた。
朝日新聞の「財産の守りは薄い防衛庁」と題した記事で、税金で購入した兵器や備品をなくしたり壊したりしたゾンザイさが、際立って全省内の中で多いという内容だった。
そこには、防衛庁の財産亡失の典型として、吹き流しを狙うはずの高速標識機を、実際に撃ち落してしまった、と言う事例が紹介されていた。
記事は、85年11月から86年10月までの1年間の亡失に関して報じている。
これは、関連が全くないと言えるのだろうか?
是非、防衛庁に聞いてみたいものだ。

また、別のパズルのピースもある。
航空自衛隊の基地司令官から、戦時に同じ部隊の戦友で会った男性にかかってきた電話の話である。

1985年8月12日、123便が墜落したその日、この司令官は元戦友にこう語った。
「えらいことをした。標識機を民間機に当ててしまった。いま、百里基地から偵察機2機に追尾させているところだ。」
この言葉こそ、123便が墜落した原因が何であったか、雄弁に物語るものと言えるのではないだろうか。
つまり発端は、オレンジ色に塗装された自衛隊の無人標的機の衝突だった。

123便の機長は、元海上自衛隊で航空機の操縦を学び、その後東亜国内航空を経て日本航空に移籍している、
つまり元自衛隊で戦闘機に乗ったこともある人物であるということだ。
彼は、この衝突があった際、11秒後には、手元のトランスポンダと言う信号機器に数値を入力し、「スコーク77」と呼ばれる緊急事態を告げる信号を発信している。
このコードである「77」とは、「要撃された」と言う事態を意味する遭難信号であった。
機長は、離陸し飛行中に、この空域で何かが行われているのを目視していたのかもしれない。
ためらうことなく、要撃された、と発信しているのである。

これは著者の推測である。

追尾していた2機の自衛隊機から、標識機が民間機に当たり、オレンジ色の塗料が付いているのが見えると報告を受けた部隊の指揮官から基地司令官、防衛長官から内閣総理大臣まで顔面蒼白になった。
雫石事件のこともある。
一刻も早く対応を考えなければならない。


この当時、123便を追う戦闘機の姿は、山梨県大月市をはじめ様々な場所から確認されているのである。
これに関して嘘は付けないのである。

無人標的機の衝突によって機体後尾部分を垂直尾翼もろとも破壊され、油圧系統を全喪失した機体。
それでも123便は飛び続けていた。
機長の必死の操縦は続く。

この場合、2つの方法が考えられる。
一つは、無人標的機が民間機に衝突してしまったことを直ちに公表し、最善の処置と対策、支援と救援を行うという選択。
もう一つは、衝突事故そのものを徹底的に隠すこと、事故の証拠となりそうなことをすべて消し去ることである。
もし、救援し乗員が生還した場合、どのようなことが起きるのだろうか。
自衛隊と自民党政権は大打撃を受ける。
この時、報告を受けた最高責任者は、一体どのような結論を出したのだろうか?

この時、彼らとは別に空の上に目撃者がいたのである。
それは一機の米軍輸送機C130Hであった。
マイケルアントヌッチ中尉は、交信にあたりながら、日本の民間機123便が「スコーク77」を発信しているのを知る。
以後、彼は横田管制と連絡を取るかたわら、自分が傍受していた123便と東京管制の会話が日本語に切り替わったのに驚いた。
通常英語が用いられる。
日本語で会話せねばならぬほど、切迫した事態に見舞われていると彼は思った。
直後、横田管制が123便に重要な呼びかけをしているのを聞く。
10年後に彼は、新聞や空軍機関誌に投稿した自分の記事でこう述べている。
「私達は横田管制が、123便に同基地への着陸を許可するのを聞いた。」
さらに続ける。
「めったにないことだが、パイロットは米軍基地への着陸を希望したのだ。」

機長が「羽田へ引き返したい」と東京管制に連絡したのは18時25分だった。
しかし羽田は過密で緊急着陸できる体制にない。
機長は横田を選択した。
その横田管制は、「スコーク77」を発信しながら飛ぶ123便の危機を知り、着陸許可を与えた。
アントヌッチ中尉が傍受したのはこの交信だった。

このとき、着陸態勢にあったのは、乗員も同様であった。
膝の間に頭を入れて両足首を掴むという安全姿勢をとって着陸に備えている。

ここで謎があるのだそうだ。
公式に事故調から出されたボイスレコーダーの記録に、横田と123便で交わされた会話が存在しないのである。
では、横田と123便の間に交信はなかったのかというと、123便の針路が横田からそれ始めると、横田管制から123便に交信を促す呼びかけが繰り返し登場してくる。
10回以上に及ぶ呼びかけは、当時の横田管制が救出のために必死になっていたという事が伺える。

ではなぜ、アントヌッチ中尉も聞いていた交信、そして横田基地からも必死でよびかけていたのに、両者の間の交信が消えているのか?
それを知られたくないものがいるからだ、と著者は言う。

123便は着陸体制に入っていた。
ところがその直後、18時46分、機長が無線の向こうの誰かに懇願するのを聞いた。
「このままでお願いします。」
また繰り返して懇願する声。
「このままでお願いします。」

この声は記録されており、消されてはいない。
機長は誰に必死でお願いをしていたのだろうか?
機長が話をしていた者の声は記録されていない。

この時、東京管制は、機長が話をしていた声を聴いていない。
理解しかねた東京管制が、「コンタクトしますか」とかみ合わない言葉を発している。

機長は「このままでお願いします」とまた言った。
話がかみ合っていない。
東京管制は、「はい、了解しました」と言っている。
恐らくコンタクトの必要はないと返事をしたと解釈したと思われる。

また機長は、「このままでお願いします」と言った。
それから、ポツリと言う、
「これはだめかもわからんね」と言う言葉で締めくくっている。
この間、機長は、東京管制ではない誰かと、交信していたのである。

著者は、この時、機長が続行しようとしていた、横田基地への着陸を顔の見えない相手から、拒絶されたのだと言っている。

この時の123便が横田基地へと向かう様子は目撃されている。
角田四郎氏は身延山の近くにいたそうだ。
123便は大きく旋回しながら、横田へ向かう場面だった。
彼は、「東の方向にある横田基地に着陸するのでは」と、思ったという。
また、角田氏は、もう一つ重要なものを目撃している。
123便を追うように飛んでいく2機の自衛隊戦闘機の姿だ。

この時、この2機の自衛隊機は何をしていたのだろうか?
そしてなぜ、横田基地と123便の交信記録が消えているのだろうか?
そして機長が、「このままでお願いします」と懇願していた相手は誰だったのだろうか?

奇跡的に生還した4名の中に落合由美さんがいた。
彼女は客室乗務員であり、この日は乗客として乗り合わせていた。
彼女とアメリカの国家安全委員会のインタビューでのやり取りから、圧力隔壁は破壊されていず、急減圧も起きていなかったと想定された。
しかし、事故調は、「圧力隔壁の破壊で機体が損傷し、操縦不能に陥って墜落した。と結論している。
また、ボーイング社であるが、「隔壁の修理ミスを犯したことは認めたが、圧力隔壁が破壊されても、垂直尾翼は破壊されない」と、堂々と主張している。
そして、事故機が推力レバーを操作することによって、操縦できたことは明らかだとまで主張しており、事故調のシナリオを否定している。

失われた垂直尾翼のごく一部は数か所から見つかっているが、全体の7割は、APU・補助動力装置と共に相模湾海底に沈んでいると考えられている。
それを引き上げて、復元し損傷具合を分析すれば、真実は明らかになる。
ところが、当時の中曽根政権は、海底探査を早々に打ち切り、残骸も未回収のままである。
それはなぜだろうか?

1985年8月12日19時ころ、つまり横田基地着陸を果たせなかったそのあとのことである。
長野県南佐久郡川上村。
数人のレタス畑で作業していた農夫が、突然大型ジェット機が姿を現すのを見た。

ほぼその真上をかすめ、石を投げたら当たるのではないか、と思えるような低空飛行だった。
機長はこのレタス畑に着陸を試みようとしていた、と想定されるのである。

しかし、事故調が報告書の中で発表した飛行経路図には、なぜか、123便は川上村上空を通過していないことになっているのだそうだ。
多数の村民がレタス畑の上を飛ぶ大型ジェット機を目撃しているにもかかわらずである。
ここで数回、機は旋回して何度も高度を上げたり下げたりしている。
しかし、農作業中の数人がいたために、断念したのではないかと言われている。




疲れてきたので、続きは後で書くことにする。

続く→

1985年8月12日、日航123便が墜落した不可解の謎…自衛隊員二人が首つり自殺とは?

2018.08.07.12:23

昨日、
「8月が巡ってきた、日航123便の墜落にまつわる解けない謎…いったいなぜ墜落したのか?」


こちらでいろいろと不審に思う様々な事象について記事にしましたが、まだまだ、不可解なことはあります。

その一つが、この事件のあと、「自衛隊二人が山中で首つり自殺をした」と言う報道がなされた事件があったことです。
私の記憶では、自殺したとされる自衛隊員二人は、自分ではつれないような高さで首つりをしており、実は殺されたのではないか?と噂が流れていました。

当時の私は、不思議に思いながらもスルーしており、その後、当時の状況とすり合わせてみると、明らかに不可解である、「二人の自衛隊員の首つり自殺」であったわけです。
この時代って、政治家や官僚や、銀行員がよく殺されてはいませんでしたか?
自殺だったり、奥様が玄関先で刺されて死んだり…
ありましたよね…


そして、さらに調べてみると、自殺者が出たのはこの二人の自衛官だけではなく、他にも自殺者が連続していた…という不可解どころか、何かがある‥としか思えない事柄が出てきました。

では、その不可解な、二人の自衛官の首つり自殺の事件を開いてみましょう。
いくつかの、この不可解な事件を追って、ブログを書いている方々の紹介で始めましょう。
それを見て、どのように思うか、判断されるかは個人個人で異なるでしょう。
真実を知ることは出来ません。
どんな話も、ピースをばらばらにおいてみたに過ぎないのです。
真相を知るには、当事者が本当のことを話す以外にないのですから…



<事故後にも死者が続出>

1978年のしりもち事故を起こしたパイロットと、それを修理した整備総担当者が自殺しています。
123便の尾翼付近にオレンジ色のミサイルが突き刺さっていたことを証言をし、真相を追っていた人物も、2009年8月8日の月例会で話している最中、ペットボトル『おーい!お茶500ml』を飲んだ30秒~1分後に突然倒れ、翌日死去しています。

また、事故現場にオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者の一人が、事故から何年も経った2010年5月16日に江戸東京博物館で目撃証言を依頼されましたが、講演の2週間前に車の後輪がバースト。
死亡事故には至らなかったものの、損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない熱戦銃によるものと判明しました。

放射能症にかかりながら何度も入山して証拠品を収集していた人物も、遅効性の毒ガスを撒かれる、車のブレーキに細工をされる、自転車を不審車に体当たりされるなど、何度も命の危機を感じています。


事件以降、自衛隊員の自殺者も増加しています。

自衛隊員の自殺は、最初に不審な自殺者が出たとされたのが1986年の7月。二人の航空自衛隊パイロットでした。

次に同年9月12日と14日、航空自衛隊員が二人自殺し、以降、自殺数が増加しています。

自殺数は1986年には年間90人以上。

(注!年間90人以上!これを異常と思わない方が異常だ。)

1981年から73パーセントも増加しました。しかし、これだけの自殺者が出ても報道すらされていません。

実際には発表された人数以上が亡くなっている可能性が大きく、本当に自殺かどうかも疑わしい件が何件もあります。

(注!そして二人の自殺した自衛官の首つりの写真がぼかしてのっていますが、確かに、踏み台もないところで、足が浮くような首つりを自殺で、どうして実行できるのか…不思議でなりません…詳しくはリンク先へ飛んでご覧ください。)

2a00326f0aedbe7b4f8c456de56db6e4.jpg


ここで、12日に死亡した自衛隊員が友人に預けていた二枚の写真について書いておかねばなりません。

一枚は『7月に自殺した同僚二人の首つり写真』です。
二人は自殺決行直後に発見され、搬送された病院内にて死亡したと発表されていますが、とてもおかしな話です。

まだ生きていたなら、首を吊っている状態の写真を撮る余裕なんてあるでしょうか?

(注!当然誰かが、脅しのために現場写真を撮ったものを密かに所持していて、友人に託した…としか思えません…)

また、踏み台も無い場所で二人並んで首を吊っているという不審な点もあるのに、司法解剖も検視解剖もされていません。

自殺というのも、病院内で死亡というのも、嘘だと思います。


もう一枚の写真は、暗い倉庫内に置かれた『飛行機の尾翼』が写っている写真です。
この尾翼には鶴のマークがあり、大きな破壊痕とオレンジ色のミサイルの一部が付着しています。
どう見ても、『見つかっていないことになっているはずの123便の尾翼』です。

この2枚の写真を、何の説明も無しに友人に預けた自衛官は、いったいどんな思いだったのでしょう。
自殺をする予定だった、もしくは、自分も殺されると察していたのでしょうか。

(注!自殺した自衛官が、自分が自殺する前の7月に首つり自殺したとされる同僚の首つり現場の写真と、見つかっていないはずの破損した日航機の尾翼の写真を友人に預けていたということは‥)

以上転記終了

^^^

また別の方のブログを見てみます。



自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真

日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。

自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。
(一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。)


最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。

そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)

そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、

一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。

2a00326f0aedbe7b4f8c456de56db6e4.jpg


この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。
だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。
それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)

そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真。
暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたよう。
これはなんなのか?
自殺した航空自衛隊員が、なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?


日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。

写真(b)の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。

折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?

自衛隊は二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機を所有している。



以上転記終了


^^^


さらに別の方のブログを見てみましょう。
この管理人さんは、自衛隊の中に、在日朝鮮人の部隊があり、それは米国によってつくらされた…とあります。
ありえる話だと…



JAL123便墜落事故・自衛隊員への銃撃、更に連続自殺⇒パイナップル・ブリゲイズ


日本航空123便墜落に関して、
今現在、最も真実に近いと思われる記事。
http://ameblo.jp/64152966/entry-11232911544.html


NHK速報の
「待機命令を無視して救助に行こうとした隊員を 射殺」 

NHKアナ「ただいま長野県警から入った情報です。
現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、
何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。
続報が入り次第お伝えします」


(注!ちょっと待ってよ…救助に行こうとした隊員を射殺した?!それがニュースで流れた…と言う話はすでに伝わっていますが、数名だったのですか?何者かに、「現地で銃撃されて数名が死傷した!のですか!一人かと思っていました‥
もしかして、これが、現場付近で行われたという戦闘のことをさしているのでしょうか…)


この事故(事件?)の1年後から何人もの航空自衛官が自殺に
見せかけられて殺されているようです。

自分も殺されると察したある自衛官は友達に2枚の自殺した
同僚の航空自衛官(1986年7月)の現場写真と決定的な証拠
写真を託して、その自衛官自身も同僚の死後、2ヵ月経った
9月12日に自殺させられたようです。



 わんわん
管理人

自衛隊員・男二人揃って仲良く首吊り自殺なんて聞いたことがない。
殺されたんだね。 
警察官が拳銃で自殺という事件も新聞などで結構目に
するけど、これも、口封じに殺されたのが大半だと思う。

日本の自衛隊の中には、"米軍に徴用された在日朝鮮人部隊"と
いう特殊な秘密部隊の存在があると言われています。

彼等なら、自衛隊員や墜落したJAL123便の生き残り搭乗者を
平気で銃撃したり、殺害出来るのも分るような気がします。

そもそも、幾ら命令されたからといって、自国民の同じ仲間の
自衛隊員や同じ国民を殺害出来る訳がないので、予め、
こういった日本人殺害専門の特殊部隊を創らせたのだろう。

創らせたのは、もちろん米軍CIAの連中である。更に、
この事件に関わる米軍に有利な情報などは、そのほとんどが
組織の特殊工作部隊によって流布されたものと考えて良い。
無論、撹乱情報としてである。


日本航空123便は、米軍機のミサイルによって撃墜された。
墜落したジャンボジェット機の中で、
未明まで生きていたとされるJAL123便の生き残り搭乗者の
40~50名は、特殊な殺人ガスを吸引させられた挙句に、
証拠隠滅の為に焼かれたものと考えられる。


自衛隊の中には、「日本国家乗っ取り」=クーデター部隊の
存在があるといわれており、日本版FEMAがこれに該当し、
陸上自衛隊幕僚監部調査部調査第2課調査別室、通称「調別」
である。

パイナップル・ブリゲイズというのは、この中の日本人暗殺部隊
という事になるのだろうか!?
或いは、在日米軍特殊工作部隊そのものか。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-365.html


^^^^^

そして、日航の関係者にも自殺が相次いだようです…
何故でしょう…?
このあと、日本航空にとって厳しい時代が続いたと記憶しています。


1985年9月21日
日本航空の「日航ジャンボ機墜落事故被災者相談室」の富永弘雄氏が
横浜市の自宅にて果物ナイフで自傷し自殺

◆利光 松男(1923年-2004年)
日本航空元重役<1985年頃>
その後社長、2004年首吊り自殺。
*********************
1981年 - 日本航空常務
1985年 - 日航商事社長
1987年 - 日本航空副社長
1990年 - 日本航空社長
1999年-自宅に銃弾が打ち込まれる。以降、総会屋・暴力団などの反社会的勢力とJALの決別の推進への報復を警戒し、2004年10月まで自宅が24時間体制で警察の警備を受けた。
2004年-警察の警備が解除されて約1か月後、利光は首をつった状態で発見された。


以上転記終了



^^^^



さて、これらの記事を、公安の方の、自衛隊でもなく、米軍でもなく、第3の勢力によって起こされた事件であるという見解とすり合わせると、どういう答えが導かれるのでしょうか?


もしかして、妄想ですが…
明らかに日本国内に北朝鮮の支援をしている勢力があります。
そこが金を出して、山を買い、どこかに秘密の軍事基地を構築しています。
北朝鮮の工作員はそこへ消えるのです。

それらを、宇宙人…と言っている頭の悪い人たちがいます。
もしかして、妄想ですが‥
本当にそこに北とつるんだ宇宙人がいるの?

そして、そこには様々な武器弾薬、航空機がひそかに隠されています。
金丸と言ったような、北や中国とつるむような勢力は、クーデターを起こして日本を制圧し、北朝鮮と日本を合体させる日を夢見ているのかも知れません。

であるとするならば、いま、日本がアメリカと非常に友好的な関係にあるのは大変重要です。無論それは、日本にとってだけではなく、アメリカにとっても非常に重要なはずです。
なぜなら、日本を制圧したら、次に狙うのはアメリカだからです。


^^^^

そしてこの時期、竹下氏が1987年に首相になっています。
彼は、↓
米軍に拷問されて殺された…と言う説がネット上で出回っています。
竹下氏は、確かに米国に逆らいましたが、金丸の一派でした。


竹下登氏の拷問虐殺シーンがビデオ撮りされ恐喝に使われている

……ロッキード社の航空機を買い続け、まるで米国に弱みを握られたかのような展開になっていくのです。




^^^^^^^^^^



おかしいと思いませんか?
この時代、思いだせるくらい、不可解な政治家の死亡、自殺があった時代…
きっと、ほんとうは戦争状態だったのでしょう。
この時期に政治のかじ取りをするのは、命がけであったという事がよくわかります。
改めて、自民党を支持しようと思います。
誰でもいいというわけではありまえんが‥
国際政治がわからない野党に政権を取らせたら、どうなるのか。

どことどこかは知りませんが‥
いまだに日本は戦争の中にあると言えるのかも知れません。

自衛隊は、国にやとわれています。
絶対服従です。
命令を無視したら、大変なことです。
しかし…
銃殺されていたとは…
今回のブログ管理人さんの記事内容から、自衛隊官舎から出る時に射殺されたわけではなく、現場に命令を無視して、救助しようとして赴き、そこで、「何かを作業中の得体のしれない何者かによって、射殺された…」のだということを推測しました。
それが、現場で多数発見された他の航空機の破片となった可能性も思いました。

自衛隊の内部では、真相を追求する動きもあったのかも知れません。
そうした人たちが、「口封じで、自殺に見せかけ殺された…」
そして、日航関係者の、「真相を知るものも、自殺に見せかけて殺されたか、自殺に追い込まれていた…」と、想像してしまいます。
これらの自衛隊員を自殺に見せかけて、大量に殺してしまうことが出来たのは、一体どの、勢力なのでしょうか?

いやねえ…
妄想ですが‥
自殺ではなかったのではないか?というのは私の想像ですが、たくさんの人がそう思っているという事です。
日本は我々が考えているよりはるかに危機的であるようです。
T教会のボスが、飛行機で爆死したのは幸いです。
それによって、変わることが出来た部分もあるでしょうし、北の影響を排除するのは難しい面もあるのでしょう。
朝鮮半島について、日本が蚊帳のそとだと批判した人たちは、北とかかわっている人たちでしょう。
あなたは、北朝鮮の国民になりたいでしょうか?
まっぴらですね!
早く潰れてもらいたいです。

もう一つ、こんな妄想も浮かんでくる…
どこかが単独で…と言うのではなく、例えば…ですよ…
日本と米国が協力して行った国家的犯罪であったという妄想も浮かびえるわけです。
そうすると、つじつまが合う部分が出てきます…

亡くなったプラザ合意に反対していた政治家の四人とは、どういう背景の方だったのでしょうか?
また、オウムの暗躍の時期とも重なることから、北朝鮮の疑いがあるわけで、裏に中国が…と言う説もあります。
このあと、北朝鮮による日本人拉致がぐっと増加するわけですね…

また、自衛隊が誤射して、それを隠蔽するために、ミサイルで撃ち落したとする説もありますが、誤射で尾翼を破損させたくらいで、撃ち落してまで隠蔽する必要はなかったと思われます。


真相は、藪の中ですが、いつかきっとすべてが明らかになる日が来ると思います。
911がそうであったように…

私達は、だまされないようにしなければいけないのです。


私は、もう大体推測付きました…
みなさまはいかがでしょうか…

世界は変動しています。
1985年を巡る世界の状況と今とは異なっています。
私たち市民は、何が起きても巻き込まれないように、本質を見失なわないでいたいものです…

8月が巡ってきた、日航123便の墜落にまつわる解けない謎…いったいなぜ墜落したのか?

2018.08.07.12:21

日航123便墜落から33年目の夏です…
これらのことを知ったのは2年くらい前ですが、とうてい転記して記事にして紹介する気持ちになれませんでした。
やっと、今年…
123便が墜落して33年目の8月になって、追及する気持ちが出てきました。
あれから33年が経過していますが、少なくとも50代以上の人たちは、決して忘れることが出来ません。
そしていまだに真相の解明を願っています。
亡くなられた罪なき人々のためにも…














^^^^

皆様のコメント



プラザ合意に反対していた関西の大物議員四人が乗っていたんですよ


トロンOSの技術者が乗っていたのは不運な偶然ですか


米軍の誤射…日本の領域内で実弾のミサイル打つか?…しかも相模湾で。
訓練中だったのか…にしても、相模湾で実弾ミサイル打たんでしょ
誤射で実弾ミサイルを発射し、標的に当てる?そんな訓練を相模湾でやってるの?
いくらなんでもないわ。訓練じゃなかったら、既に戦争状態ですわ…



墜落現場には123便だけじゃなく米の輸送機C130、ソ連のミグ25、北朝鮮の軍用機の破片まで散らばっていたそうです
思ったより闇は深い
現在出回っている情報だけでは真相究明は不可能かと


ボーイング社の整備不良は事実だと思いますよ。なんか真相は別にあるんでしょうがちょうどいい濡れ衣があったんだと思います。真相を覆い隠すためにボーイング社のせいにして圧力かけて黙らせてるんじゃないかと思います。



自衛隊の救援部隊の隊員が銃殺されたと当時テロップで速報されたそうですが、救援隊員が銃殺されたとはどのようなことでしょうか?

まず尋常な事態とは思えませんが・・・


相模湾に沈んでいる尾翼をひきあげるべきだと思うますが、なせサルベージできないのでしょうか?
飛行機の尾翼はそんなに重いのでしょうか?」


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以上転記終了



……


とすると…
やはり、誤射で墜落させてしまい、それがどこかのミスという事を隠そうとした?
確かに、ものすごくインパクトのある状況であるが‥

なぜ、123便だけではなく、ミグ、U-2?ステルスらしき黒い飛行機、などの破片が散らばっていたのは何故?
この黒いステルス機は、韓国の基地から飛んできたと言っている人がいました。

ここで戦闘が行われた…という説があるね…

まず…
昔の軍産が、力を持っていた時代が過去の状態であって、良かった…
本当に、怖いです。

もし、米軍の誤射説が当たりであったとしたら…
あの墜落現場にいた、自衛隊の、ような、格好をした妙な東洋人の部隊の正体は‥
韓国軍という事になるね…
もし…
自衛隊の誤射であったとすれば、あの墜落現場にいた、自衛隊のような東洋人の部隊は、どこから湧いて出たのでしょう??
山中の秘密基地?
それとも、ミグの破片があったことを考えれば、北朝鮮?
また、長野県上野村の村長の息子がロシアにわたって殺されたとか、村長がロシア関係者から裏金をもらっていたとかいううわさも流れていたようです。
とすると、旧ソ連がかかわっていたのかも知れません。


ここでいうロシアとは、旧ソ連のことで、現在のプーチンロシアとは体制が異なると言えます。ソ崩壊は1992年12月です。

不可解です…


自衛隊による誤射説、米軍による誤射説も、消えないで残っている‥ということです。
それにしても、なぜ、あの現場で、戦闘が行われたのでしょうか?
なぜ、ミグの破片が見つかったのでしょうか?
そして、U-2らしきステルス機の破片も‥
そして、走行車両やミサイルの破片まであったとはどういうことなのでしょう?
破片は群馬、長野、埼玉にわたって散らばっていたと言います。


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JAL123便墜落事故-真相を追う-31年目の真実


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青山氏の7月に発売されたばかりの本、「日航123便墜落 遺物は真相を語る 」

この本に関するコメントから

昨年出版された前作では、主に目撃者や関係者からのインタビュー、メールなどの情報提供で構成されていたが、本作は墜落現場にあった遺体、遺留品からのアプローチを試みている。

本書で私が注目したのは以下の部分だった。

・高浜機長の遺体と制服が見当たらない。同じコックピット内にいたはずの、佐々木副操縦士と福田航空機関士の制服や遺体は、焦げたり損傷が激しかったが、かなり残っていた。にもかかわらず、機長の制服は全くなく、遺体も歯型の一部しか見当たらなかった。
▶︎当局側が、機長の制服から証拠メモ等が出るのを恐れて?

・山林にあった遺体、不自然な黒こげ。地面に接した部分や裏側まで完全に焼けていた。通常、焼き肉を焼く時のように、ひっくり返さない限り反対側は焼けない。
▶︎遺体を火炎放射器では二度焼きした?可能性が浮上する。更に墜落現場ではにわか雨が降ったにもかかわらず、翌日午前中まで火がくすぶっていた。(本書巻頭部分に証拠写真が掲載されている)

・現場に落ちていた機体の一部が溶けた破片を分析すると、ベンゼンが大量に検出される。
▶︎ベンゼンはジェット燃料(灯油に近い)には含まれていない。ガソリンに大量に含まれる。ガソリンを使用した火炎放射器で二度焼きしたようだ?(非常に怖ろしい)

ボイスレコーダーについても、不自然に改ざんした形跡があったり、おかしな空白があるという。本来なら遺族や関係者には、ボイスレコーダーの生データを全て公開するらしいが、この事故(事件)については全く公開されない。私は、本書の中の以下の部分がものすごく頭に残っている。

『誰もが聞くことができ、誰もが閲覧できるようにしてこそ、それが真実であると言えるのであり、本物を聞かせていない、見せていないその閉鎖的な状況からは、調査した側にとって都合の良い部分だけ抜き取った改ざん資料と言われても仕方ない。』

最後に。
前作同様に今回も、妨害したり嫌がらせが多発することは充分予想されるが、真実というのは絶対に崩せないほどの重みがあり、妨害するほど真実味が増してくるものだ。



^^

33年前に世間を驚愕させた、あの世界航空史上最大の航空機事故。とはいえ、時を経て次第に風化が進み、あの出来事を直接知らない若い人たちも増えてきているようだ。事故以降に日航に入社した社員が全体の9割以上を占めるに至り、社長自身も入社は事故の2年後だという。
 520人の乗客・乗員の命を奪ったあの大事故が、実は運輸省事故調査委員会報告書の記述とは大違いの、恐るべき国家犯罪であったのではないか、との疑惑はかねて存在し、この疑問を追及する書物が何種類も出されてきている。本書もその1冊であるが、いわゆる「トンデモ本」とか、安易な「陰謀論」などと簡単に片づけられるべきものではない。
 実は著者の青山透子氏は、2010年に「天空の星たちへー日航123便 あの日の記憶」(マガジンランド)、2017年に「日航123便墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫る」(河出書房新社)を刊行していたが、本年また、「日航123便墜落 遺物は真相を語る」を上梓した。あの事故をめぐる多大な疑惑を再三にわたり指摘しながら、今一つ世論の盛り上がりを欠き、事件の再調査に向けた動きが一向に進まないことへの、著者のいら立ちと激しい怒りが感じられる。

 前著では、赤い飛行物体と日航機を追尾するファントム機についての目撃証言や、墜落現場である上野村の子供たちの文集証言などが紹介されていたが、今回の本では、さらに墜落の遺物が物語る様々な事実についての記述が目を惹く。具体的には、黒焦げに炭化した凄惨な遺体写真、それを見た警察医や燃焼専門家の意見、炭化遺体と格闘した歯科医師らの証言、御巣鷹の尾根から収集した証拠物の組成分析結果(ジェット燃料には含まれていない筈の、ベンゼンと硫黄が多量に検出され、自衛隊の火炎放射器が使用された可能性を示唆)などである。
さらに、遺体検視現場とされた体育館で法医学者が撮影したビデオテープが、群馬県警に任意提出させられたのち、何故か同県警から返還を拒否されている事実、修理ミスを犯した筈のボーイング社の航空機が墜落事故以降、日本側(自衛隊、日航、全日空)によって大量に購入され、同社の売り上げが最高を記録している事実など、不可解な様々な出来事についても言及されている。
 日航123便事故をめぐる疑惑を追及した書物はこれまでに数多く発刊されているが、その論拠とするところは必ずしもまったく同一ではない。
本書を含め、それらの説くところがすべて統合され、総合的な検討が加えられることで、先の事故調報告書の結論が完全否定されたうえ、事件全体の再調査が始動することを切に期待したい。



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以上転記終了


「524人の命乞い 日航123便乗客乗員怪死の謎 」と言う本が真相に迫っているようで、購入しました。
いつかきっと…
この無念が晴らされますように…


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もう少し、追加してみます。

まず、尾翼が破損したとみられる123便をファントム機が2機追尾していたという証言があること。

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そして不可解にも、墜落現場にファントム機の破片があったということ。



そして現場で回収された米国のU=2ステルス機の破片

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さらに現場で回収された、ソ連製のミグ戦闘機の破片

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これが真実であれば、米国やミグを使っているどこかの国も当然何らかの発言を行ってしかるべきであるのに、いまだに沈黙をまもっている点…

そして、自衛隊と思われる…制服を着た者たちが活動をしていたにも関わす、救出したのは地元の消防隊員であった点…


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最初は7人と報道された生存者が、最終的に4人となった点。そして、その4人(全員女性)は、みな地元消防団員によって発見されています。

なぜ、写真も撮られている、これらの制服を着た者たちが自衛隊であったのなら、なぜ、一番に行うはずの救出をしなかったのでしょうか??

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この隊員の襟には襟章が付いていません。
助け上げられたと思われた男の子ですが、生きていたのではないか?と囁かれています。
しかし、生き残ったのは女性が4名です。
この男の子はどうなったのでしょうか?


さらに、現場で回収されていたという、あたかもどこか…欧州の宇宙人ユミットやボロネジの宇宙人たちがつけていたマークを思わせるような物体が、現場で回収されていたのは何故でしょうか?

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そして、墜落した123便の機長は、最初横田基地に着陸しようとして断られ、次に麦畑に着陸しようとして果たせず、現場である山へ向かっているのは何故でしょう?
向かわされていたのかも知れません…

さらに、現場上空での目撃者が、123便と一緒に流れ星のようなものが飛んでいた…と、発言していたのは、「何」のことなのでしょう?

(注!まず尾翼が狙われ、後巣鷹山まで行って目的通りにミサイルで撃墜した…と言う説があります。)

そして、123便に関連して、決して表に出ることのない、日本の裏にいる秘密結社の存在が噂され続けるのは何故でしょう?

また、日本国内に登録されていない外国人が100万人いるとされているのはどういうことでしょう?

さらに、フィリピンに隠されたもの…金?との関係も指摘されています。
フィリピンはカトリックの国…何か、米国や欧州のや日本裏にもいるという、「イエスズ会」が関連しているのだろうか?

そして、現場近くの貧しい寒村だったはずの、「123便墜落現場の南側、長野県南相木村」に、建築ラッシュが起こり新築の真新しい家が立ち並び始めたのは何故なのか?
政治家の関与が噂されているのは何故なのか?


123便の墜落現場で調査をした人が被ばくした…とはどういうことなのか?


オウム真理教の一連の事件は、1980~1990年代に起きています。
重なっています。
そして、オウムは北朝鮮、旧ソ連とかかわりがありました。

この時代、私達一般市民が知りえないところで、戦争が起きていたのかも知れないと思います。


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1985年8月12日、123便は墜落しました。
520人の犠牲です。
きっと、いつか…
真相が明かされることを願います…


当時、ニュースでも流れた、「救助に向かった自衛隊員が射殺された話」ですが
こちらで調べました。

続きです。

ついでに、元公安の方が調べたときの話を付け加えておきます。

「間違ってミサイルを発射して飛行機が撃ち落された…と言う説があるんですが、可能性としてはありえますね。」
「やったとしたら米軍だろうと言われているけど、米軍とも自衛隊とも言えない第3の要素…があるのでどっちとも言えないんです。」
「一つには、自衛隊がオレンジ色の標識機を飛ばして、それを撃ったら大きく外れて尾翼にぶつかったという説があり、もう一つは、プラザ合意に日本が同意しなかったので、脅かす意味で米軍が撃ち落したという説があります。後者はないと思います。前者は、あのぐらいの飛行機を打ち落とすくらい簡単で、どこの国でも出来る。」
「アメリカがかかわっていたら、あんなことはやらないですよ。ロッキードは国策企業ですからね。ロッキード社を追い込むようなことはやらないですよ。グラマンもやらないし、アメリカの航空会社はみなやらないですよ。となると残るのは、自衛隊説ですけれども、幹部の航空自衛隊のやつが、事件の直後に、不思議だ!不思議だ!と言っていたんですね。」
「いまだに不思議だと言っているんですが、元航空幕僚長の田母神さんも、自衛隊説は否定しているんですよ。」
「直後に御巣鷹山に入った自衛隊員と話をしましたが、自衛隊が何らかの形で関係しているのかと聞いたら、それは考えられません、と答えた。ただ、一番ひどいのは、応急処置をさせなかった当時の担当官庁の奴だと言っていました。実は、最初に入った自衛隊がみんなが生きていたのを見たらしいです。その時には、多くの人が生きていた。」
「生き残った女の子の証言として、自分以外にも、お母さんと男の子が生きていて会話していたし、他にも苦しそうな声が上がっていた。多くの人が生きていて、夜中に人が来た。

(注!ここ重要だね。夜中に人が来たんだよ。それがどこの、誰?だったのか、これを解明したら、全貌がわかるかもね…)

夜中に人が来て、何かを探してごそごそやって、全く助けずに帰って行ったと聞いています。最初に来た人たちは、何もせずに帰ってしまったから、次第にみんなの声が途絶えて行ったというのです。」
「米軍があのとき、助けようかと言ったんですね。それを、日本政府のどこかがいらないと断った。」
「第1陣が行ったとき、何もしないで戻ってきたというのは、何のためだったのか?証拠隠滅のために、オレンジ色の的を回収したのではないかと言われていますね。そういわれていますが、自衛隊員じゃないですよ。自衛隊員の中でも、航空自衛隊がの調査隊がつぶさに調べているけど、自衛隊員が行って、証拠隠滅をしたという活動記録は全然ないんですね。」
「調査隊って実は自分たちにも厳しい実質的な情報組織で、機能はCIAなんですよ。陸上と海上と航空自衛隊がありますね。
以前、調査隊の講師をしていて、かれらに情報収集の技術指導もしているんです。もと自衛隊の○○さんも、自衛隊説を言わない。米軍説も疑わしい、と言うのです。もし、米軍がやっていたら、力関係を考えても、日本政府を押しのけてでも、自分で行って救出しています。やばいですから。」
「では、自衛隊がミスしたのかと言うと、それはまったくわからないです。航空自衛隊の記録にも、自衛隊員が関与した記録がないんです。」
「静岡沖で演習をやっていた艦隊が誤射した、という説もありますが、それなら海上自衛隊の関係と言うことになる。しかし、海上自衛隊の幹部に聞いても、情報が全く出てこなくて、わからないと言っています。」
「生き残ったJALの搭乗員さんだった人から聞いた話によると、窓側の人が機外にオレンジ色の飛行物体が飛んでいるので、あれは何だろうと、使い捨てカメラで撮影していたのです。その方は亡くなったのだけれど、写真は残っていて、見たらやっぱいオレンジ色の物体が飛んでいるのが写っていた。」
「それは、ネットニュースで流された。オレンジ色の物体が並行飛行していたのは事実なんです。そのあと、それが標識機、として撃ち落されて接触したのかは、別問題として、とにかく並走していたのです。」
「第3の勢力は、その演習を知っていたんですよ。」
「第3の勢力とは、はっきり言ってしまえば、北朝鮮とか、中国大陸です。」
「たとえば、阪神淡路大震災の時に、神戸の長田区の地下で、おびただしい数の自動小銃が発見されています。それを必要とする人たちは、日本人以外の、半島や、大陸の人たちで、飛行機を打ち落とすことが出来るような武器をトラックで、日本のどこにでも持ち運ぶことが出来るってことです。」
「暴力団だって、RPG、ロシアの対戦車擲弾などバンバン持っています。密輸でいくらでも入るんです。北朝鮮の工作員と日本の暴力団は一脈通じている。親戚関係のやつも多い。」
「飛行機を狙うのは簡単で、演習の日程は全部わかるんですよ。その時に混乱させようと思えば、打ち落とすことは簡単にできます。」
「僕は機密の中枢にいるような立場であったわけで、当然耳に入ってもいいのに、あの事件だけは入ってこない。陸幕の秘匿部隊もあったがそれも全く関与していない。ということは、もう一つ、全く別の勢力があるということになる。」
「あれが工作だとすれば、自衛隊と米軍に罪を着せれば、当時誰が喜んだかと言えば、金正日は喜んだと思いますね。」

「北朝鮮の可能性はあります。現場に最初に入った一団の話がある。北朝鮮の秘密部隊は、日本に大体、一万人くらいはいる。工作員は少なくとも千人は入っている。彼らは一人当たり10人、在日の協力者を作る。それ全部、土台人と言って、朝鮮半島に親族がいるんです。それを殺してしまうぞと言って脅して工作させる。資金は、パチンコ、風俗、焼き肉などいろいろある。それでお金を出さざるを得なくて、金正日が新しい対日組織を作った。金日成軍事総合大学とは別に、江西学院というのが、対日組織なのです。

(注!日本だけをターゲットにした北朝鮮の謀略組織がある現実をしっかりみなければいけない。そしてその支援者が国内にいるという事も。)

「その連中の実態はCIAもあまり把握はしていないが、公安は大体把握している。そいつらも金丸信に献金をしていた。北からもらった金塊もあった。」


(注!金丸訪朝は、1990年、)政府の大幹部として北朝鮮に赴くのに、コリアンの逮捕者が大量にに出てはまずかろうと、捜査がストップになった。ストップさせたのは誰か?金を持っていた、北朝鮮と組んでいたものだ。金丸と組んでいた者たちの名前を見るがいい。このストップが無かったら、日本人の拉致もなかったと言われています。)

「選択肢を消していくと、米軍はない、航空自衛隊はない、海上自衛隊はない、となって残るは北朝鮮か中国のどちらかになる。工作員は日本を混乱させて、米軍の評判を落とすか、政府や自衛隊の評判を落とすことが目的だったと想像される。
地上から高精度で撃ち落せる兵器は、日本国内でも出回っていた。」

(注!この1985年と言う時代は、オウムが活躍していた時代と重なることを思い出してほしい。)

「金丸訪朝の前夜に捜査にストップがかからなければ、一網打尽のようなことを繰り返して、その後の北朝鮮による拉致事件も起こらなかった、と言われています。拉致のネットワークは全部つかんでいた。今でも資金がどこから出ているかわかります。」
「朝鮮半島と関係の深いT教会 からある政党が恩恵を受けていた時期があるからです。Sと言う日本の大ボスが、反共主義の政治団体を擁護して金を出していたが、それを創設したのはT教会の教祖なんです。教祖は北朝鮮の出身です。与党は恩をあだで返せなかったのでしょう。」
「T教会の教祖は飛行機に乗っていて爆発で死んだ。」
「北朝鮮には、有事の際に内乱を起こすという話があり、オウム真理教に指令が行って、麻原はOKを出した。」



^^^^

以上転記終了


……

ということは、公安の見解は、自衛隊でもなく、米軍でもない、第3の勢力が起こした事件であり、それは北朝鮮か中国である可能性が高いという事です。

続きます→
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