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「エイリアンインタビュー」その130・検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.02.28.10:34

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130です。


920cc75ed44e6ecbf767a13ea5ce7165.jpgロバート・モンロー

‥色とりどりの雲の塔、記憶にある通りだ。
ただあれは雲ではない…輝く色彩の影のように漂い流れていく‥かつて思い描いたありとあらゆる色彩、記憶にあるけれど言い表せない色もある‥

雲の中でちょっと止まって、観察し感じよう‥目で見るのではなく、感じ取るんだ‥
‥それに音楽も響いている‥千の楽器、何千もの歌声‥旋律の上に旋律が折り重なって紡がれていく‥完璧な対位法、私の良く知っている和声の形式だ。

ちょっと先へ進んで、雲に包まれてみよう‥音楽が私を取り巻き、私の中にあふれる‥千年なんて、ほんの一瞬にすぎない…ほんの一瞬だ‥この安らぎと陶酔‥記憶にあった通りだ。
何と素晴らしいことだろう!
ここに戻って来て永遠にとどまるなんて…永遠に…そうとも…

小さな虫のような陰りが、私の恍惚のうちに侵入してきた。
何かまずいことがあるのか?
いや、肉体に戻れという信号ではない…じゃあ、何だ?
この雲のどこがいけないんだ?
よく見るんだ!
‥明るい青の大きなやつ、続いて、ちょっと小さい黄色いのが二つ‥見たような気がするぞ!
他のも見たことがある!
‥どういうことだ?

あれは、全く同じ雲の塊じゃないか…それに他のもみんな同じだ!
ずっと同じ繰り返しだ!
何度も何度もループみたいに同じパターンを繰り返しているんだ!

‥例の虫、私の好奇心がむくむくと頭をもたげる。
音楽は、音楽はどうだろう?‥
そんなはずはない‥だが、そうだ、繰り返している‥同じだ、さっき、それとも永遠の昔に感じたのと全く同じ…全く同じだ。
他のところで試してみよう、他の視点から…
「故郷」の他の部分に移動‥
‥ここでいいな…ここなら違うだろう。
いやだめだ…前と同じだ‥全然変わらないじゃないか!
もっと遠くへ行こう‥もっと遠く‥でもまだ、私の「故郷」の中だ‥

‥ほら、こうでなくっちゃ。
いや、ここでも同じだ。
‥何も新しくない、変わっていない。
同じパターンが何度も何度も繰り返して、同じ雲、同じ音楽だ‥もっと深いところへ入ってみよう‥

あそこで、渦が、エネルギーの渦たちがゲームをしている。
そうそう、こんな感じだ!
私もかつてあんな渦の一つだったんだ‥私もゲームに入れてくれよ!
ぐるぐる回って‥上がって下がって‥中へ外へ‥このゲームも終わりのないループみたいだ。
ぐるぐる回って‥上がって下がって‥やめてくれ、もういい、たくさんだ。

‥新しいゲームをやってみたらどうだい?
ねえ…?
え、今ので充分だって?
変わりたくないって?
そうかい、だったら今やっているのを続ければいいさ…

じゃあ、どこへ行こうか?
どこへ‥?
これで全部なんだ!
これ以上は何もないんだ。
だけど、永遠に同じ雲の中で、同じ繰り返しの音楽を聴きながら、ぶらぶらしていたくなんかない‥同じ繰り返しばかりのゲームもやりたくない…

どうして夢見たりしたんだろう‥?
もうここには、求めるものなどない‥全く何も‥
やっと思い出したぞ…前にもこんなことがあった。
それで、ここを離れたんだ‥それで、もう来なかったんだ!
来る気になれなかったんだ!

帰った方がいい‥やり方はわかる‥どうしたらいいかわかっている‥

移動の感覚があって、また周囲を風が吹き抜けた。
それから、静寂があり、そしてたやすく肉体に溶け込む。
目を開くと、視界は涙で曇っていた。
月光に照らされた寝室はどこも変わってはいなかった。
しかし…
私は変わってしまっていた。
刺激が強すぎ、落胆が大きすぎて、私は何時間も寝付かれずに過ごすことになった。

(注!私の臨死体験の章で、コメントをくれた方が、私の部屋の中から繰り返しの美しい音楽が聞こえたという話を、このモンロー氏の体験とすり合わせて、KT-95ではないか?というコメントを入れてくれたことがありました。
あの音楽はとても美しい、心の休まるクラッシック的音楽であったのですが、楽器が何かと、特定できるような要素はありませんでした。
もしかするとそうかもしれないし、そうではないかも入れない…今のところはわからないのです。)


続く→
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「エイリアンインタビュー」その129・検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.02.28.10:32

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129です。


920cc75ed44e6ecbf767a13ea5ce7165.jpgロバート・モンロー

確かめておきたいんだが、あなたは神では‥神々の一人ではなくて‥もしかすると、他の惑星からきたんじゃないか?

<いや、他の惑星から来たわけではない>

あなたは我々を‥この地球を‥創造した存在、あるいはそういう存在の一人なのか?

<いや、がっかりさせて申し訳ない。でも、創造のプロセスに関しては、私たちの知っていることを教えてあげられるよ。どうしても知りたいかい?>

それはもう…頼むよ!

<こういうことさ‥>


私は押し寄せる膨大なエネルギー、きわめて強力な高い周波数の振動に満たされ、ほとんど圧倒されそうになった。
これは私がロートと呼んでいる、関連付けられ秩序を与えられた思考エネルギーで、思考や概念を凝縮した玉のようなものだった。


すごいな!とても一度には理解できないよ…

<理解出来るさ、時間をかけて吟味していけばね>

ありがとう!

少し間があってから、またインスペックはコミュニケートしてきた。

<自分の進歩、成長に、自信をもっていないんだな>

その通りだ、自信はないよ。自分の目指す目標、目的はわかっているつもりだけれど。
自信が持てないのは、そこにたどり着けるかという事なんだ。

<何が自分の目的だと思うんだい?>

そうだな…多分…人類に奉仕することかな…。

<それは実に崇高な目的だね。完璧になりたいという願いは、君たち人間に常に付きまとっている。でも、人間ではなくなる時、願いは別の方向に向かうんだよ。もっと別の目的もあるんだ>

もっと重要な願いが?いや、そうじゃなくて…人間の経験とは別の願いがある、ということかい?

<かなりいい線ついているよ>

そういうことは、よく考えることがあるんだ。

<答えは見つかるよ…さて、もう肉体に戻る必要があるようだね>

本当に私の心を読めるんだな!何だかわからないが、戻らなくちゃいけない。どうしたら、また会えるんだい?

<この瞬間を、意識に刻んでおきさえすればいい。そうしたら、またここで会えるよ>

ありがとう。


何事もなく、肉体に戻ることが出来た。
帰還信号が発せられていたのは、いつものように膀胱がいっぱいになったからではなく、お気に入りの猫が、枕元に寝ていたせいだった。
部屋は点検しておいたはずだが、なぜか入り込んできたらしい。
興奮していたので、少しも腹は立たなかった。


このインスペックとの邂逅があってから、人類への奉仕と言う私の目的について、改めて考えなおし始めた。
この目的を、私は長年にわたって追い求めてきた。
肉体的存在としての人類が、現代の常識では想像もつかない完璧さを手に入れられるように、手助けをしたいと考えてきたのだ。
そしてさらに、これを超える目的があると聞いて、心が躍った。
「異なる世界観」が、興奮を大いにかき立ててくれた。

というわけで、この問題を厳しく吟味することにした。
肉体の生において、他人がよりよく生きられるよう手助けをするということは、同機の点で大きな危険性をはらんでいる。
なぜならそのような行為は、地球のエネルギー系に生きる人間につきものの「動物的な副自我、これは私の呼び方だが、からくる本能的な衝動の影響をまぬかれないからだ。

最大の誤謬は、単純な事実にあることがわかった。
私が何をしようと、何を書こうと、何を言おうと、人間の運命に与える影響は微々たるものだ。
周囲の人々に奉仕するのはいいことだが、それは一時的な自己満足にすぎない。
2世代も先になれば、すべて忘れ去られ、砂に残された足跡も時の流れに洗われて消えてしまう。

インスペックは正しかった。
他にもっと普遍的な目的があるはずだ。
すべての人間を駆り立てる普遍的な目的を探し求めるうちに、私はまったく自明なものを見出した。
郷愁、すなわち、「ホーム・故郷」に帰りたいという願望だ。
その「故郷」」とは、自分の生まれ育った地球上の場所、住んだことのある家や町、都市、田舎などを差すこともあるだろう。
郷愁と言っても、それは事実上すべての動物に様々な形で存在する「帰巣本能」にすぎないのかもしれない。
あるいは、様々な形をとって各種の宗教にあらわれている願いも、郷愁と言えるのかもしれない。

科学の分野における人間の努力が、無意識のうちにこうした動機に後押しされているというのは、大いに考えられることだ。
天文学や宇宙探査や、電波望遠鏡のようなものに巨額の金をつぎ込むのは、将来我々の生活に良い影響をもたらしてくれるからだ‥と言う主張は、いかにも根拠が薄弱である。
むしろ、「故郷」を見出したいという無意識の願望に駆り立てられてのことだと考えた方が、ずっとしっくりくる。

私はすでに「既知」となっている事項を熱心に調べてみた。
自分がどこから来たのかに関しては、記憶はとてもはっきりしていた。
私が「故郷」と呼ぶその場所に行き、そこにとどまるということこそ、新たに追い求めるべき目的なのだ。
ずっと前に2回だけ、短時間そこを訪れたことがある。
人生で学んだことはみな、そこへ帰った時、計り知れない価値を持つことになるだろう。
このような知識はまさに、大きな変化をもたらすに足るものだ。
この素晴らしい考えに、私は思わず有頂天になった。

すぐにこの発見をインスペックの友人と分かち合いたかった。
深夜、肉体のフェーズを抜け出して、Hバンドを超えたところにある、いつもの待ち合わせ場所に向かった。
開けた場所に出ると、光り輝く存在は接触点で待っていてくれた。
インスペックは、たちまち私の心を見通した。

<君の願いは「故郷」に帰ることだね。ああ、それは確かに別の目的だとも>

この人生を終えたら、私は「故郷」に滞在してから、最後にもう一度だけ人間として生きるために戻ってくる。
今から何千年か先にね。

(注!このことの記述がー魂の対外旅行ーにありましたね!3千年を超えた未来で肉体を使いもするが、ほぼIS・BEとして生き、地球の管理者をしている未来だったね。)


そのあとは、「故郷」に戻って、とどまることになるんだ。

<故郷を訪ねることと、人間になって戻ってくることの違いを、よく理解できたね。君の言う通りだ>

ああ、でも、まだよくわからないんだ。つまり、人間でない状態ということがね。

<記憶をたどればはっきりしてくるはずだ。基本的なものの見方が人間としての概念にとらわれているうちは、人間なんだ。その基本が変わってしまえば、人間ではなくなるということさ>

そうか‥起きていようと寝ていようと、身体の中にいようと外に出ていようと、肉体的に生きていようと死んでいようと、ものの判断基準が人間的である限り、私は人間なんだな。

<その通り>

しかし、人間としての記憶や経験は、どんな状態で存在するようになっても残るんだね。

<そうとも、君はずい分学んだね。こうした経験は人間ではなくなったときに、大きな価値を持つんだよ。それが、この世で人生を送ることの基本的な目的の一つさ。人間でなくなったら、その経験がいろいろと役に立つだろう。ただし、興味は別の方向へ向かう。人間としての経験を卒業してきた者は、他の場所で、非常に敬われるんだよ>

ということは私が「故郷」として覚えている場所に帰ったら、もう人間ではなくなるということかな?

<以前の状態に戻るという事さ。ただ、人間としての経験が付け加わるけれど>

私が本当に属している、暖かく懐かしい場所に戻るってことだな。

<とても強い願いを持っているね>

ああ。

<またそこへ行きたいかい?>

それを思うと、時々、感情を抑えきれなくなる。
でも今はまだ、この生のサイクルが終わっていないことはわかっている。時が来るのを待たなくちゃならないな。

<今この状態では、時は存在しないと同じだよ>

いま、「故郷」に帰れるっていうことかい?ちょっと行って来られるってこと?
ずっと前にやってみたことがあるけれど。

<君が望むならね。そうしたいかい?>

ああ、行ってみたいよ!ぜひ!

<結果として、いろいろなことが学べるはずだ。用意はいいかい?>

いいとも!

<心をそこに向かって伸ばすんだ。君の知っている「故郷」に向かって。そしてここを離れれば、向こうに行ける。私は見ていて、必要なら手助けするよ>


私は「故郷」のことを精一杯思い浮かべ、インスペックが言ったように、その場を離れた。
移動の感覚があり‥周りに風の流れるような音がした。
前方に…周り中に…その風景が見えてきた…

続く→

「エイリアンインタビュー」その128・検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.02.23.10:23

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128です。


920cc75ed44e6ecbf767a13ea5ce7165.jpgロバート・モンロー

第二章

長い長い道程


人類の歴史を通じて、現状に甘んじようとしない者たちには、様々なレッテルが貼られてきた。
不信心者、神秘主義者、罪びと、反逆者、革命家、不適応者、ノイローゼ患者、山師、謀反人、探検家、幻視者、研究者‥
その気があれば、このリストにはまだまだ付け加えられるだろう。
許容される基準を少しでも逸脱すれば、必ずリスクが伴うものだ。
しかし、こうした逸脱者たちはみな、大体において、そのリスクを承知していた。
仮に知らなかったとしても、言い訳はできない。
行動の結果、支払うべき代償が生じるとすれば、行動を起こす前に知っておいてしかるべきだったのだから。

こうした場合、傷つき倒れた者を悼む涙など流してはもらえない。
私もそのことはよく承知しているし、読者のあなたも身をもって知ることだろう。
だから、言っておかなくてはならないことがある。
あなたが関心を持ち始めた「異なる世界観」というものは、まだ単なる信念にすぎないのだ。
日々積み重ねている人生経験の中で、「人間精神」としての力を発揮し、自らの手で検証を始めない限りは。

ささやかな信念が次々と「既知」の仲間入りをするうちに、やがて大きな「異なる世界観」も、どうような過程を経て「既知」となっていくだろう。
そして自由が得られるのだ。

こうしてみると私個人の話をするのが、一番手っ取り早く確実な説明になりそうだ。
私にとって「既知」であることも、読者のあなたには、せいぜい信念を生み出す助けにしかならないだろう。

ただしすでに私と同じような立証を要する体験をした‥あるいは、現在しているというなら話は別だが。
そういうわけで、まずは信念を手に入れていただくために、「私の場合はこうだった」と言う話をさせてほしい。


そうすればその信念は、いずれ経験を通じて「既知」に変わっていくだろう。

私個人は、30年以上の体脱活動を経て、満足すべき静穏な状態に至った。
一つの周期が完結した、あるいは完結したらしい。
私自身の「異なる世界観」は完成し、素晴らしい実りをもたらした…そう、もたらしたに違いない。

私は自分がどこから来たのか、どのようにここへきて人間となったのか?なぜここにいて、最終的にはどのようなスケジュールで、どこへ去っていくのかを「知る」ことが出来た。
このほかに重要なことなどあるだろうか。
そう、そして私にはインスペックの友人がいた。
実験のセッションで、よく知っている人の肉声を通してそういう精神、意識と会話することもある。
だがその存在と面と向かい合うというのは、全く別種の体験だ。

このエネルギー体の呼び名として、私達はふざけ半分に、インテリジェント スピーシーズ、知的な生命体を縮めたINSPEC、インスペックという呼び名を採用した。
そこには人間精神は、彼らより劣ったものであるという意味合いが込められている。

しかしこのインスペックは、私がそれまでに出会った者たちとは違っていた。
私は長年にわたって、肉体によらない出会いや、交流や、触れ合いを数多く経験してきたが、その相手は肉体を持っているにせよ、すでに失っているにせよ、明らかにとても人間的だった。
ところがこのインスペックは違った。

私たちがいつも会合場所にしていたのは、Hバンド騒音をちょうど通りすぎたあたりだった。
Hバンド騒音とは、地球のあらゆる生物、とくに人間から発するコントロールされていない思念波のピークである。
現在通用している枠組みの中でも、本当に充分な考察を加えさえすれば、この無秩序で不協和なエネルギーの塊の大きさが、少しはわかるはずだ。
このバンドの各部分の振幅は、思念に含まれる感情によって決定される。

しかし私達の文明は、このHバンドの存在を認めようともしないのだ。
私の印象では、Hバンドは現在だけではなく、これまでに存在したあらゆる思念のパターンを含んでいるようだ。
通時的であると同時に共時的でもあって、古い思念の放射が層をなしているために、現在の放射をとらえることしかできないのだろう。

これを客観的に調べたかったら、そんな無謀な試みをあえてしようというのなら、非物質界である「向こう」へ行き、地球と直接結びついた人間精神の活動が痕跡を留めているこの層を越えて、その先の断絶状態に向かって移動してみればいい。

Hバンドは一種の反射層のようになっていて、そこを越えると物質界の影響は急速に減速する。
この層の騒音はすさまじいので、さっさと通過した方がいい。
叫び声をあげている怒れる暴徒をやり過ごすのと同じだ。
おしよせてくる様々な言語や訛りは、まさにそのような騒ぎに聞こえるのだ。

さて、インスペックの友人に話を戻そう。
初期の邂逅の一つを抜粋してみることにする。
私は肉体のフェーズを離脱し、Hバンドを越えたところまで行った。

・・
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この存在は、自分の放っている光がどんな強いか、わかっているのだろうか?
要するに、これはETなのか?

<光にはそのうち慣れるだろうよ。君も私達から見ると、同じ放射をしているのだから…それと私達は、君の言うような意味での地球外生物ではないよ>

私の考えを読めるのかい?

<その通り。君が私の考えを読めるのと同じだよ>

私が?
<今だってある程度読んでいるんだよ。ほんの表面だけでもね>

うん。あなたの言う通りだ。確かに、これは言葉や音じゃない。振動する空気もない‥ただ心の中に…間違いない。

<君の言葉で言えば「核自我」が、ちゃんと覚えているんだよ>

そう…確かに覚えている‥あなたを覚えている‥あなたの‥この感じ‥

<怖がっていないのはいいことだ。恐怖の障壁が取り除かれれば、たくさんのことが出来るようになるから>

ああ、恐怖は少し残っているけれど…

<でも、恐怖に知覚をゆがめられてはいないだろう?たとえば、今この瞬間に、あまり恐怖を感じていないのは何故なんだい?>

わからない。だけど、怖くはないな。本当だ。今この瞬間、私はここにいて、理性的にあなたと話をしている‥とても親しみを感じる‥このまばゆく光り輝く姿を、人はきっと神とか天使とか、あるいは最低でも宇宙人だとか考えるだろうな。それなのに私達は、普通の人間同士みたいに、ここで話し合っているんだ‥ただ、言葉を使ってはいないけど…
<以前と違って、恐怖がなくなったということさ>

途方もない可能性があるんだな…
あなたは実際、誰なんだ?それとも、こう聞いた方がいいかも知れないな。
あなたは何なんだ?やっと聞く勇気が出てきたよ。

<今はまだ経験が足りないから、理解できないだろうね。でもわかるときがくるよ。それもすぐにね>

また会えるのかい?
<私たちの助けを求めさえすればいいんだよ>

それはつまり、瞑想をするってこと?お祈りをすることかい?

<言葉や儀式は無意味だ。思念‥感情‥そういったものが、信号なんだよ。正しい信号さえ出してくれれば、私達は手助けできるんだ>


続く→

「エイリアンインタビュー」その127・検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.02.23.10:17

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127です。


920cc75ed44e6ecbf767a13ea5ce7165.jpgロバート・モンロー

体外への離脱は、情報収集のための優れた手段となる。
特に簡単に出来る情報集めの旅としては、大切な友人が無事に過ごしているか確かめに行くということがある。
これも体脱のターゲットとしては、恐らく一番簡単なものだろう。
例えば出張などで、配偶者、つれあいと離れているとき、相手のところに舞い戻って、何も問題が起こっていないことを確かめられれば、ずいぶんと慰めになるはずだ。

例えば私は娘の一人が遠くの大学へ行っていた時、様子を見るために体脱活動の途中に折にふれて立ち寄るようにしていた。
しかし娘が帰省した時に、そのことをつい娘に話ししてしまった。
1年後、本人から聞いた話では、そのことを知ってからというもの、娘は毎晩寝る前に、部屋の天井に向かって声をかけたということだ。
「もしそこにいるならパパ、おやすみなさい!」と。

のぞき趣味などというものは、体脱状態ではほとんど存在しない。
もっとエキサイティングなことが出来るのだから。

対外離脱によれば、どんな時代にも、過去、現在、未来のどこへでも行くことが出来る。

(注!すごいね!時間移動も自由自在なのだ!私は臨死体験では、このエリアの過去未来へ行ってみるという事はなかったけどね…)

自分の思った場所に直行し、そこにあるもの、起こっていることをつぶさに観察することが出来るのだ。

(注!このあたり、臨死体験をした木内鶴彦さんが地球の過去未来へ移動していろいろ観察してきたという話と重なりますね。)

目標地点では、その一帯を動き回り、いろいろ違った視点から観察することが可能だ。
困るのは、物体を持ち上げることが出来ないということだけだ。
手が物を突き抜けてしまうから。

こうした自由を手に入れれば、私たちが研究所で行ってきた探検旅行の道筋をたどることもできる。
地球の内側や向こう側に突き抜けることさえ可能だ。
逆に外側を目指して、月や太陽系に遊ぶこともできる。
美しく、畏怖にうたれる光景ではあるが、そのうち退屈に思えてきたりする。
このように私達は、NASAの探査船が写真を撮る前から、月の裏側を見て知っていたのだ。
火星も同様で、私達は何らかの知的生命の証拠となるような、人工的な建物や建造物などを探していた。
太陽系外への旅を何度となく試みたものもいるが、たいていは迷ってしまい、つまり地球とどういう位置関係にある場所に来たのか特定できなくなってしまうのだ。

戻ってくる方は問題なかった。
探検者は、自分の肉体に焦点を合わせればいいのだ。
この場合、光速の壁などというものは存在しない。

この物質界としての宇宙に知的生命体が存在するとしても、私達には発見できなかった。
それが隠されているせいか、あるいはもっとありそうなことだが、探すべきものがわかっていなかったせいだろう。
もちろん私達の調査など、微々たるものにすぎない。
もっと遠い銀河を探していたら、何者かに出会っていたかもしれないのだ。

(注!ここが不思議なところです。地球上でも宇宙人は見られていますが、体脱では遭遇できなかったという事です。ガイドが言うには、そのように会うようにセッティングしても、相手がこちらの思うように思ってくれなくて、遭遇が良い結果を生まないので、遭遇しないようにしていた、という言葉がありましたね。それと、もしかすると生物体の周波数が異なっていることがあった場合、相手の周波数をわかっていないと、いる場所に行けない、という事があるかもしれない…と考えたりします。)

いつか私たちの誰かがそうした出会いをするかもしれない。

非物質界となると、話は全く別である。
私達は何千とはいかないまでも何百という出会いを経験しているし、その相手のほとんどは人類以外の存在だった。
体脱による旅は、物質界の外側を経験する最良の方法である。
体脱状態における「第二の身体」が、物質的なものではないことは確かだ。
それは別のエネルギー系に属している。
このエネルギー系は、地球の生命系と混在してはいるが、位相が異なっているのだ。
肉体の生を離れた人たちをいともたやすく見つけることが出来るという事実は、これを知る手掛かりになるだろう。

この別のエネルギー系、つまり向こう‥で動くものを探せば、たちどころに成果が得られると言っていい。
その系には、きわめて多くの住民があり、体脱に熟練すれば、特別な友人たちに出会うことができるのだ。

体脱による冒険や探索の道は、幹線も脇道もあるが、広く多様性に富んでおり、ほとんどが通常の時空の観念を超えている。
そして私達には、地球の生命系と直接かかわっている部分しか、理解できない。
それ以外の部分、(これは無限にあるように思われる)について報告しようとしても、正確な報告に必要な、比較の基準となるしっかりとした知識や経験がないのだ。
問題は、見出したものを理解し翻訳すること、つまり、持ち帰ることなのだ。
肉体に戻った時に、涙がほほを濡らしていても、決して驚いてはいけない。

それはあなたが「既知」の地図に描かれていた領域を飛び越え、それまで「未知」であった重要なものを携えて戻ってきたということなのだ。
この新しい「知識」の正しさを、他の人に納得させることが出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。
しかし、それをあえて試みるものはほとんどいない。
自分が個人的に知っているだけで、充分なのだから。

このような「知識」は、単なる信念や信仰ではない、真の知識は、人の生き方のパターンを全く変えてしまう。
自分が本当に肉体以上のものであり、肉体の死後も生き続けるという知識。
このような知識が、条件も不確定要素もなしに、まさに「未知」から「既知」に変わるとき、どれほどの変化が訪れることか!

「異なる世界観」、明晰なものの見方、が与えられるとき、こうした知識は自分自身のものになる。
さらにもっと、それ以上のものが得られるのだ。
だから、旧来の考え方にあなたを縛り付ける安全ベルトを外して、靴にアイゼンを付け、道を切り開く鉈を手に取って、さあ、高みを目指して登って行こう。

続く→

「エイリアンインタビュー」その126・検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.02.12.13:04

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126です。


920cc75ed44e6ecbf767a13ea5ce7165.jpgロバート・モンロー


1915年に大学教授の父と内科医の母である学者の家庭に生まれ、アメリカ伝統的ないわゆる南部地方で育つ。子供の頃に高熱を伴う重篤なしょう紅熱を患う。 成人になり、事業家として成功を収めていた彼が、睡眠学習の研究をしていた42歳の1958年に体外離脱を経験するようになる。それを機に、体外離脱の研究を始める。そして更なる研究を追求すべく、彼が社長として勤務する会社に研究部門を創設し、その部門が独立、1971年にモンロー研究所を設立する。


1979年、会社社長を辞任し、モンロー研究所は現在の場所であるバージニア州郊外に移転独立。


以後、20年以上の研究に携わり、その間に自身の体外離脱体験の記録と検証などをまとめた著作を刊行。1995年3月肺炎からくる合併症で死去。79歳没。


^^^^^^


続きです。





1960年代にモンロー研究所では、意識の諸相に関する通史的研究だけではなく、私や他の人たちの対外離脱の研究も開始した。


体脱体験は睡眠の状態と関連づけられ、そのため単なる夢として片づけられていることが多いとわかった。


ただしその体験は、夢特有のおぼろげで非現実的な感じとは異質なものである。


他に、本人の意図しない体脱は、麻酔手術中にも起こっている。


ふと気が付くと、自分が手術台の上方2mから2m半くらいのところに浮いており、後になって、そのような物理的にはありえない位置から見聞きしたことを正確に報告した、というような例だ。


こうしたことはしばしば起こるが、その大部分は公には報告されずに終わっている。


また他にも、事故や怪我によって無意識とみなされる状態に陥るときに体脱が起こっている。


たいていこれは異常とみなされ、変則的事項、あるいは本当には起こらなかったこととして、記憶の底にしまい込まれてしまう。


私たちの信念体系が、それ以外の解釈を許さないのだ。


自然に起こる体脱のうち、特に興味深いのは、臨死体験と呼ばれるものである。


これもまた麻酔手術中に起こることが多い。


多くの場合、この体験によって、患者の信念体系は変わってしまい、真の「異なる世界観」ともいうべき啓示が与えられる。


患者たちは、自分が単なる肉体以上のものであり、疑いようもなく肉体の死後も生きのびるという事を知って帰還してくるのだ。


いま私たちが体脱体験と呼んでいるものは、実は歴史の随所に現れている。


いい例が、私たちの使っている言葉だ。


私達は「我を忘れ」たり、「自分をなくし」たり、眠りの淵から「浮かび上がった」り、気を「失った」りする。


過去10年間に行われたこの問題に関連する数少ない調査の一つによると、合衆国の人口の25%以上が、少なくとも一回は自然に対外離脱した経験を持つという。


よく考えて見れば、あなたもその25%のうちの一人かも知れないのだ。


(注!そうだ、その一人だ。)


「飛行夢」を見たことはないだろうか?


(注!ある。何度もある。)


飛行機に乗ってでも、そうでなくても飛んでいる夢を。


(注!何度も何度もあるね。)


また夢の中で駐車場のたくさんの車の中から自分の車を探していて、見つかったとたんに目が覚めたという経験はないだろうか?


私達はしばしば、潜在意識において、自分の車を身体の延長とみなしている。


「墜落する夢」で、下にたたきつけられる前に目が覚めたという事は?


(注!あるね、落下する夢だ。)


これは体脱者が目覚まし時計に急き立てられて、肉体に戻るときによく起こるのだが!


1970年までは、研究の努力はみな隠れて‥とまではいかなくとも、目立たないように続けられた。


結局のところ、私は普通の人たちを相手にする普通の会社の社長だったわけで、私の生活の隠された面が明らかになれば、仕事上の重責を担う経営者としての能力を疑われることになると思ったのだ。


しかし私は、そのまま沈黙を守ることは出来なかった。


一作目の「体外への旅」が出版されると、私たちの研究は注目を集め始めた。


実験の被験者となるボランティアも大勢選ぶことが出来るようになった。


多くの人が、私たちの開発した方法によって、私がいつも体験している体脱状態を同じように体験することが出来た。


1980年代には、体脱体験についての話題があちこちの大学やテレビ、ラジオ、さらにスミソニアン学術協会でも取り上げられるようになった。


アメリカ精神医学会の年会に、カンザス・メデイカルセンターとモンロー研究所の後援によって、このテーマの論文が3つ発表された。


今や、雑誌を見ても体脱体験の実在を前提にした漫画のジョークに出会うようなご時勢だ。


TシャツのプリントにもOBEを扱ったものがあるし、ボブ・ホープも体脱をテレビでジョークのネタにした。


その実在は徐々に認められつつあり、「OBE]と言う言葉も定着した。


体脱体験についての「既知」の事実とは何だろうか。


第一に挙げられるのは、もともと自分自身が肉体以上の存在であると考えていたとしても、今やそれを自ら確かめる手段が与えられたという事実だ。


もっと別の物差しを用いれば、科学界、ひいては全人類に対して、それを立証することも可能だと思う。


しかし今のところは、個人の経験に頼るほかはない。


だが、立証のための手段がやがて手に入ることは確実だ。


コントロールされた体脱体験は、私たちの知る限り、「知識」を集めて「異なる世界観」を形成するための最も有効な手段である。


そうした「知識」の中でも第一の、そして恐らくもっとも重要な知識が、私たちが肉体の死後も生き続けるということである。


このことを知るために、ただ望んだり、信仰したり、信じるというだけでなく、まさに知るために、体脱体験よりも良い方法があるのかもしれないが、今のところは見つかっていない。


体脱に少し熟達すれば誰でも、すぐにこれを「知る」段階に達する。


付け加えておくが、死後の生というものは、人が好むと好まざるとにかかわらず存在するのであって、肉体の生での行いがどうであれ存在する。


そんなことに左右はされはしないのだ。


肉体の存在を超えて自己が生き続けることは、自然でおのずと定まったプロセスである。


私達は何故今まで、あんなにも狭い考え方をしてきたのだろうか。


第二に挙げられるのは、体脱体験に熟達していくうえで、最大の障壁となるのは恐怖ー未知なるものと死に対する恐怖であるという事実だ。


私たちの精神、意識は物理的な環境にしっかりと結びつけられているから、実際のところ、私たちが考えることはすべて、時空の範囲で表現するしかない。


しかし私達は今や、全く異質なものを、今ここで理解可能なものに翻訳する必要に迫られているのだ。


こうした恐怖を和らげるには、私たちの知りえた限りでは、体脱体験のプロセスに入っていくとき、一歩づつ、いわばスローモーションのように進んで行くことしかない。


そうすれば初心者も小さな変化に対応し、なじんでいくことが出来るし、そのような変化は物理的な生命に対する危険や脅威とはならないことがわかるからだ。


学習者がこうした変化を積み重ねていく間、私達は、覚醒した物理的な意識の方を、継続的に振り返るよう手助けをすることにしている。


常に利用できる慣れ親しんだ参照点を確保するためである。


こうして徐々に、基本的な恐怖は解消されていく。


最も重要なのは、体脱状態にある精神、意識は、肉体の覚醒状態にあるときとは確実に異なっているという事実だ。


少なくとも私たちの理解する限りでは、初期の段階では、焦点を絞った知的、分析的活動は行われないようだ。


ただし、ここに肉体的な意識が持ち込まれると、状況は変化する。


これとは逆に、右脳に象徴される極端な感情はしばしば全く存在せず、普通これをかき立てる方が難しいくらいだ。


愛は厳密に解釈すれば、この文脈でいう「感情」にはあたらない。


体脱状態の精神、意識においては、自分のすべてがいわば「あからさま」にさらけ出される。


この状態では、抑圧された層に隠された潜在意識や無意識などというものは存在しない。


したがって人を欺いたり、屈折した行動をとったりということはありえない。


自分の全てが丸見えなのだから。


どんな人でもありのままの自分を示すことになる。


肉体での思考や習慣の名残りはいくらか残っているが、それもやがて邪魔になれば手放し、捨ててしまうことになる。


これと同じくらい重要だと思われるのが、人は自分がおのれの肉体をはるかに超えた存在であることを、体脱状態下で教えられるということだ。


熱意と勇気さえあれば、自分がなぜ、どのようにして存在しているかと言う問いに対して、厳密な答えが得られる。


何かを探し求めて、得られた答えが気に入らないということがあるとしても、その答えが正しいということはわかるのだ。


もしあなたが、人が死後も生き続けるという事を、他の誰かにではなく自分自身に対して、証明したいなら、体脱状態に入ることを覚えて、最近亡くなった友人や身内の人や、身近な誰かを探せばいい。


その人を見つけるのには、それが誰でどんな人だったのかというあなたの記憶にチャンネルを合わせるだけでいいのだ。


そのような出会いを何度かかされば充分だろう。


あなたは証拠を、他人のためではなく自分のための証拠を手に入れることが出来るのだ。


こうした接触は相手の死後あまりたたないうちに、行わなくてはならない。


彼らの多くは、自分の終えた生にたいする興味を急速に失っていくものだから。


続く→

「エイリアンインタビュー」その125・検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.02.11.21:09

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125です。


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当時の私は健康的に申し分なく、大した問題もストレスもないと思っていた。

生活は大変忙しかった。

いくつかのラジオ局のオーナーをしていたし、他の事業もあった。

ニューヨークのマディソン・アヴェニューにオフィスを構え、ウエストチェスター郡に家があり、そして何より妻と二人の幼い子供がいた。

薬は飲んでいなかったし、ドラッグもやらず、アルコールもほとんど飲まなかった。
特に信仰する宗教もなく、哲学や東洋思想を学んでいたわけでもない。

こんな途方もない変化は、予想もしないことだった。

こうした状況で私が感じていた恐怖と孤独感は、筆舌に尽くしがたいものだった。

誰にも相談できないし、心配をかけたくなくて、はじめのうちは妻にも話せなかった。

私は一般的な西洋文化と科学に深くなじんでいたので、当然のように従来の医学とオーソドックスな科学に答えを求めた。

医者は精密検査の後で、脳腫瘍もなければ生理的な要因も見当たらないと、太鼓判を押してくれた。

だが、それ以上のことはわからなかった。

その後ようやく、友人の精神科医と心理学者にこの問題を打ち明ける勇気がわいてきた
うち一人は、私が精神病ではないと保証してくれた。この友人は私のことを知り抜いている友人だった。

もう一人はインドの導師の下で何年か修行してみたらどうか?と言った。

これは私にはまったく思いも及ばない考えだった。

私はどちらの友人にも、他の誰にも、自分がどんなにひどく怖がっているかを打ち明けることが出来なかった。

これまで自分が属していると思っていた文化、賛美し敬意を払ってきた文化の枠からはみ出してしまったのだから。

とはいえ、生存本能とはしたたかなものだ。
少しづつ、ほんの少しづつではあるが、私はこの現象をコントロールするすべを覚えて行った。

これは必ずしも死の前触れではなく、制御が可能であることが分かった。

しかし、まるまる1年を費やしてようやく、体外離脱(体脱)体験と言うものの実在を受け入れるに至ったのだ。

今でこそOBE-アウトオブボディエクスペリエンスと言う呼び名も定着しているが。

私は体脱の旅を慎重に確認しながら40回も繰り返してはじめて、信じることが出来たのだ。

この旅は私にー私だけにー豊かな知識を与えてくれた。

その知識に出会うとたちまち恐怖は消えていき、それにとってかわったのは同じくらい強い好奇心だった!
これではまだ一件落着とはいかなかった。

私はいろいろな疑問の答えを求めていたし、それがインドの修行場で見つからないことはわかっていた。

良かれあしかれ、私の思考プロセスは、西洋文明の産物だった。

それで私は組織的な援助を得るために、またこの不思議な「未知」に関する情報を集めるために、私と家族の所有する会社に研究開発部門を創設した。

この部門が後に独立し、現在のモンロー研究所の母体となったのだ。

このように私の当初の目的は、単に個人的な差し迫った問題を解決することーつまり、私の恐怖の源である「未知」なるものを、可能であれば「既知」の知識へと変えることだった。
それはすなわち、体脱体験をコントロールし、理解するすべを学ぶことだった。

第一そんなことを必要としているのは私だけなのだから、動機は個人的で利己的なものだったのだ。

決して理想主義的な深遠で高邁な目的があったわけではない。

このことで弁解をするつもりはないーそもそも出資をしたのは私だったのだから。

現代的なものの見方で言えば、体脱体験とは「自分自身を自己の肉体を区別し分離して、知覚する意識の状態」である。

その分離は5cmだったり、5千キロだったり、あるいはもっと離れていたりする。

こうした状態でも、肉体を伴っているときと同様に考えたり行動したり、物事を知覚したりできるーただしいくつか重大な例外はあるが。

体脱状態の初期段階では、自分が物理的な肉体の形を保っているような感覚がある。

頭、肩、両腕、両足などがちゃんとあるような感じがするのだ。

だが、このもうひとつの存在の仕方になじむにつれて、だんだん人間らしい形ではなくなってくるようだ。

ちょうど型から取り出されたゼラチンのようなものだ。

しばらくは型の形をとどめているが、やがて外側から溶け出して、しまいには液体かふにゃふにゃした塊になってしまう。

ただ、体脱の状態でこうなってしまっても、一瞬念じれば再び完全な人間の姿形になることが出来る。

この説明から明らかなように、この「第二の体」は極めて可塑性に富んでいる。

しかし肝心なのはどのような形であれ、自分は自分だということだ。

この事実に変わりはないーただ自分がそれまで思っていた以上のものであると、気が付くだけのことだ。

この状態では、どこへ行こうと何をしようと、全く制限はないようだ。

制限があるとしても、今のところ見つかってはいない。

体脱状態では、もはや時空に縛られることはない。

時空の中に存在はしても、その一部として縛られてはいないのだ。

非物質的な自己は、他のエネルギー系にも問題なく適応できるし、素晴らしい自由の感覚を伴う。
とはいえ、完全に自由だというわけではない。

それは糸のついた風船か凧のようなものだ。

見えない糸の反対の端は、物理的な肉体に結びついているのだ。

研究を始めて間もなくわかったのは、我々の文明や文化では、目覚めているときの物理的な意識ばかりが重要視されるということだった。

それとは異なる存在の状態を立証するのは、たやすいことではない。

ほんの少し調査しただけで次々と出てくる変則的な事項は、現在一般に「既知」とされていること、つまり信念体系の範囲では、位置づけも説明も不可能なのだ。

ただし、この「信念」という言葉は一般に、充分な理解や確認ができないものを差す言葉として使われているということも念頭に置く必要がある。

ともかく私達は、意識一般に関する問題に取り組み始めた。

頭部への打撃やショックや、卒倒やアルコール、ドラッグの過剰使用、麻酔、睡眠、あるいは死などによって意識を失う時、その意識はどうなっているのだろう。

意識と言うものは、電流が止まったとたんに消え失せてしまう電磁石の磁場のようなものなのだろうか。

だとすれば、「電流」を変化させると、意識も薄れたり強まったりするのだろうか。

もし私たちが実際こうしたことをしているのだとすれば、やり方も知らずにやっていることになる。

一体どうしたら、こんなことをコントロールできるというのだろう。

もしできるとすればの話だが。

問題を提起するのは実にたやすかったが、問題がさらに問題を生み、解決の糸口もつかめないといった状態になった。

すぐにわかったことは、巨大な情報の欠落が存在するという事実だった。

私達は進むべき道を示してくれる前提条件のようなものを必要としていた。

私達は物質主義的な説明を探し続けるのをやめ、正反対の道をとることにしたーもし「電流」が弱まった時も、意識が存在し続けるとすればどうだろう?

すぐに実例探しが始まった。

問題は次のような矛盾の存在だった。
体脱状態にあるとき、意識は失われているのだが、それでいて意識があるともいえる。

記憶も弱まったりはっきりしていたりするし、物理的な感覚もあるものは働き、あるものは働きを止めているといった具合だ。

少なくとも、普通考えるような完全な意識の状態にはなく、そのため、この状態は根拠のないものとみなされてしまうのだ。

考え方によっては、肉体が本人の意のまま動かず、刺激にも反応しないなら、一般的な意味では意識がないということになる。

つまり通常のコミュニケーションが不可能ならば、意識があるとはいえないということだ。

しかし昏睡状態の人間でも、意識を保っている場合はいくらでもある。
ただ彼らには、物理的なコミュニケートする手段がないというだけなのだ。

こうして私たちの文化は、意識せずに行われるあらゆる肉体的な機能に、何とか説明をつけるために、無意識と言う仕組みを考え出さねばならなくなったのだ。

自律神経とか、潜在意識、大脳辺縁系、それに眠りなどといったものを。

意志の力でコントロールできない活動はみな、意識の領域には納めきれないからだ。



続く→


さて、続きです。

「エイリアンインタビュー」その124・検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.02.02.20:50

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124です。


さて、続きです。



臨死体験から、私はいくつかの解明できない謎を解明するために生きることとなりました。

1、この体験は夢であったのか?それとも現実であったのか?

2、私があの世と想定する場所へ帰還した…同じような体験をしたものがいるのか?それはどんなものか?

3、迎えに来た「未来の自分と思われる光のヒューマノイド」がなぜ光のモザイクでできていたか?

4、目覚めたときに、大声で「有難う御座います!この学びに感謝します!」と言いながら目覚めたが、何を学んできたのか?

5、誰に学んだのか?また、ある夜にゼウスのようなとどろき渡る声で、「お前は恋愛する。お金はその後だ。」と言った人物は誰なのか?

これらが解明できない謎でした。
それからはこの謎を解こうとして生きてきた…とも言えます。

今は‥

それらにほぼ‥答えが出ています。

答えが出たために、このブログのシリーズを書いています。

ここで一つ、皆様に問を投げかけたい。

「このような体験をしたのは私だけだったのでしょうか?特殊だったのでしょうか?それとも?‥みなさまはどうだったのでしょうか?」という問いです。

^^

それでは本日より、ロバートモンロー氏の最後の著書である「究極の旅」をご紹介していきたいと思います。
答えは‥

その最後に語ることにしましょう。

もっともあくまで個人的な見解でしかないという事は、言っておかねばなりません。

真の答えは、本当にあちらに行ったときに、眼前にあることでしょう。

******

「究極の旅」

ロバートモンロー

第1章   異変

恐怖は、人間の成長にとって大きな障害となる。
この世に生まれてくるとき、私たち人間が感じる恐怖は二つしかないという。

大きな音への恐怖と落下の恐怖ーどちらも誕生のプロセスにともなう恐怖だ。

しかし私達(のほとんど)は、年齢を重ねるにつれ、より大くの恐怖を知っていき、成人するころには恐怖を山ほど背負い込んでしまう。

私達は肉体的には成長してきたわけだが、真の成長、すなわち自分の本当の潜在能力に気づくという点に関しては、ひどく阻害されたままなのだ。

未知なるものは、恐怖を生み出す。

暗闇が怖いのは、何が隠れているかわからないからだ。

また、肉体的な痛みが恐怖を生むのは、その痛みが何を意味するのかわからないからだ。
こうした「未知」のものが、「既知」の知識に変わるとき、恐怖は薄れて消え去り、私達は自分が直面するすべてに対処することが出来るようになる。

私達はみな、すでに十分すぎるほど「未知」なるものを、そして恐怖を抱えて生きている。

これ以上、探す必要などありはしない。

しかし、選択の余地なく恐怖に突き落とされてしまうこともあるのだ。

その例をお話ししよう。

私の身に起こったことをーすべての発端となった出来事を。

人間と言うものは一生かかっても本当の意味で変わることはない、と言うのが通説である。

結局のところ大した変化はない、というのだ。
通常みられる例外を除いて(よく言うように、例外こそが法則を証明する)、長年の経験に照らせば、この意見は極めて妥当なものと感じられる。

大体において人間と言うものは変わらないし、ほとんどの場合、変化には強く抵抗するものなのだ。

とはいっても、 人間の心配事や争いを根本で支配しているのは変化なのである。

人は何かが起こるのではないかと恐れ、あるいは何かが起こらないのではないかと恐れる。

そこで、変化を止めようとして戦い、あるいは変化を促そうとして戦うのだ。

しかしどうあがこうと、何らかの変化が起こるということは100%保証付きである。

問題は、その変化の度合いだけだ。

緩慢な変化を進化と呼び、急激な変化を革命と呼ぶ。

変化は「未知」そのものでありー最大の恐怖の源なのだ。
私の場合、選択の余地は見当たらなかった。

私は訳も分からずパニックを起こしながら、現在私が身につけている新しい現実認識ーこれを私は異なる世界観と呼ぶーを生み出すプロセスへと投げ込まれたのだ。

私の人生の変化は、並大抵のことではすまなかった。

自分がこんなことになろうとは思っても見なかった。

そもそも、こんなことがこの世に存在するとは考えてもみなかったのだから。

私に起こったこの変化は、偶然、あるいは進化なのだろうか?

いや、私にとって、これはまさに革命だった。

1958年、思い当たる原因もないのに、私は自分の肉体から漂い出るようになった
自分で意図したことではないし、そんな芸当をしようと思ったわけでもない。

睡眠中の出来事ではないので、ただの夢としてかたずけるわけにもいかなかった。

私は起きている現象を完全な意識で自覚していたが、当然ながらこのことは事態をいっそう深刻にするだけだった。

これはひどい幻覚の一種で、何か危険なー脳腫瘍か脳卒中か、精神病が引き起こしているのではないかと考えた。

死の前兆かとさえ思った。

この現象はその後も続き、自分ではどうすることもできなかった。

それはたいてい横になったり、リラックスして休息しようとしたり、眠ろうとするときに起こった。
いつもと言うわけではないが、週に何度かは起こった。

私は気が付かないうちに、自分の体から1メートルくらい上の方へ浮かび上がってしまうのだった。

恐慌に襲われて空中でもがき、何とかして肉体に戻ろうとする。

私は自分が死にかけているに違いないと思った。

だがどんなに頑張っても、これが起こるのを止めることは出来なかった。

続く→
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