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「エイリアンインタビュー」その166・検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.10.13.23:21

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166

第19章


私の妻ナンシーの病気と言う「異変」は、さしあたり落ち着いているようだった。
思えば私は、その病気がきっかけで新しい方向を目指すことになったのだ。
つまり、人間の精神、意識が必ず直面する最大の「異変」、我々が死と呼ぶところの、肉体から別のエネルギー系への移行について、深く考えていかざるを得なくなったのだ。
それまでは、あまりにも軽く受け流して来たのだが。

私が探求の旅から持ち帰るはずだった、「信号」というのはどうなったのだろう。
そんなものがあるとしても、私には何も感じられない。
私と同じ集合体に属する何千ものITたちは、その「信号」を受け取ったのだろうか?
きっと私自身のITの中に、その答えを知るものもいるはずだ。
少なくとも、インスペックの役割をするのは楽しいに違いない。
しかし、こういうことはすべて、背景に追いやられてしまった。

ー讃えられざるものを讃える歌ー

面会時間が終わろうとしていた。
ナンシーの病室で、私はかがみこみ、彼女の額にキスをした。

「眠いかい?」
「う~ん」
「今夜は気分がよさそうだね。」
「う~ん、大丈夫よ。」
「後で遊びに行こうか?」
「27へ?」
「とりあえずさ。」
「う~ん、そうね。」
「じゃあ、またあとで。」
「愛しているわ。」
「愛しているよ。」

その晩八時ころ、病院から緊急呼び出しがあり、九時には彼女の枕元に駆けつけた。
いくつか理由があって、どうしてもそれ以上早くは行けなかったのだ。
容態が変わっていた。
両手両腕は冷え切って力なく投げ出され、呼吸も不自然で、長い感覚をおいて短く深く喘ぐような呼吸が続いていた。
だが、私が真相を悟ったのは、その瞬きもしない目を覗きこんだときだった。
ナンシーはもう、そこにはいなかった。
午前12時15分、彼女の肉体はついに呼吸を止めた。

後でライフライン・チームから連絡があり、ナンシーを7時半から8時の間に27へ連れて行ったこと、そして彼女が暖かい歓迎を受けたことが伝えられた。
その時間は、病院で、彼女の呼吸に変調が認められた時刻とほぼ一致する。
医者はその呼吸を、チェーンストークと呼ぶそうだ。
そのような呼吸が、私にとって目新しいものではないと気づいたのは、後になってからのことだ。
セントルイスの簡易宿泊所の片隅で、あの老人が死にかけていた時、放浪の身だった10代の私が耳にしたのも、同じ呼吸だったのだ。
ナンシーが逝く3日前、白血病のために私の腕で息を引き取った、かわいい猫のファスビーも、同じ呼吸をしていたのだ。

自分が実は、全く心の準備ができていなかったことに気づいて、私は打ちのめされた。
人生最大の突発事故、異変が、来ることはわかっていたのだ。
いくらでも前兆はあったし、支えになるような体験も重ねてきた。
それなのに…

何百、いや、何千人もの人たちが、彼女の暖かく明るい快活な性格を知っていた。
ナンシー・ペン・モンロー。
彼女の血筋をたどると、アメリカ独立革命以前にイギリス国王から土地を与えられ、ヴァージニアに住んでいた一家にまでさかのぼることができる。
そういう育ちのせいで、彼女は南部婦人の最高の面を身に付けていた。
いつでもまず他人のことを考え、笑顔であいさつし、他人を傷つけることは何一つせず、いつも進んで人に与えていた。
決して誰も憎んだりしなかった。

実際、彼女はモンロー研究所の共同設立者だった。
彼女がいなかったら、こんなに組織的には活動はできなかったかも知れない。
ことの大小を問わず、あらゆる議論や決断、活動、研究に参加してくれた。
それで、彼女の思想が、研究所の生み出したものの随所にちりばめられることになったのだ。
プログラム、テープ、活動方針にも、そしてもちろん、世界中の大勢の友人たちの心にも。

私達は、7年の付き合いの後、23年間、結婚生活を共にした。
ナンシーは、私に会う前から超常現象について深い興味を抱いていた。
学校教師でもあり、音楽とピアノの教師でもあり、インテリア装飾家でもあり、不動産経営にも携わり、二人の子の母でもあった。
二冊の本を書き始めていたが、うち一冊はスカーレットオハラの現代版、もう一冊は、死後を扱った「人の手によらない都市」についての物語だった。
二冊とも未完のままに終わった。
タイプライターもワープロも、いつでも準備は出来ていたのに。
ナンシーには時間がなかったのだ。

研究所を訪れるものは誰しも、彼女の思想の結実を目にしないわけにはいかない。
まず、入り口の守衛詰め所の周りの木と花はみな、彼女の選んだものだ。
詰所そのもののインテリア・デザインも、他の人のプランを彼女が作り直したのだ。
丘を登っていくと、右側に背の高い並木があるが、これも彼女の発案による。
センターに関しても、すべての木と植え込みを彼女が選び、配置したのだ。
3つある建物も、内部で目にするものはほとんど、ナンシー・ペン・モンローそのものといっていい。
カーペットも壁も、作り付けの備品も、テーブルも椅子も、皿も銀器もマグカップもナプキンまでも、センターの東翼にある食堂は、創造性を発揮し続けてきた彼女の、完璧な最新作だった。
というわけで、研究所の本部棟は、新しい名前で呼ばれることになった。
「ナンシー・ペン・センター」
彼女は極めて控えめだったので、これまでそんな呼び名は許さなかったのだ。
彼女は、今どこにいるのか?

長い長い話をごく手短にまとめてみよう。
乳がんにかかったナンシーは、通常の治療を受けた。
手術で腫瘍とたくさんのリンパ節を切除し、化学療法、放射線治療へと進んだのだ。
病気の進行を遅らせることは出来たが、それ以上は無理だった。

彼女が旅立ってから2晩後、私は、もう十分落ち着いたから、彼女を訪ねてみてもよかろうと考えた。
その試みの結果、私を襲ったのは、深く愛し合う人間同士が感じえる限りの、あらゆるニュアンスをともなった感情の爆発だった。
あまりにも真摯な、一挙にあふれ出る、時間も物質も超越した感情だった。
そこから戻って来るのに非常な努力を要し、回復するまでに幾日もかかった。

1週間経ってから、もう一度試してみたが、結果は同じだった。
これはもう、どうしようもない。
もっと学習を積むまでは、私の方で障壁を設けて、あらゆる体外活動を制限するしかなかった。
インターステートも、そこにいる友人たちとの交流も、一時おあずけということになる。
残るのは、自分のITだけだ。
極めて深い眠りの中でさえ、私は自然とナンシーの方へ漂っていってしまうので、そういう睡眠状態までもバリアで囲わなければならなかった。
おかげで、休息が著しく妨げられるようになった。

私はいま、新しい試練を受けている。
この状態になじむのは大変なことだ。
そして、まだ決めかねていることが一つある。
まさに、新しい方向だ。
私は、二つの世界に同時に暮らすことが出来るのだろうか?
27でナンシーと暮らし、同時に「現世」では、寂しい家族たち、7匹の猫と、2匹の犬、と、寂しい家で暮らすことが?
私にはわからない。


それでもまだ、「向こうの私」から別の声が響いてくる。
死を超えてしまえば、終えたばかりの人生に執着するのは、この世に染まりすぎたものだけなのだよ。
お前や他の人達のデータが、示しているだろう。
たいてい共鳴、興味、愛着というものは、ほとんど即座に薄れ始める。
その薄れ方が、遅いものも早いものもいるが、薄れることに変わりはない。
おまえのデータが証明しているはずだ。
まれに「幽霊」のような例はあるにしても、お前の言う「大いなる愛」ほどの結びつきがあっても、同じことなのだ。

お前のシルバークイーンの女性は、いつまでフォーカス27にとどまっているだろう?
お前にもわからないし、我々にもわからない。
他の人たちと同様、彼女も、人間なら誰しも気づいている素晴らしい自由の中にいるのだから。
だが、お前はここを去ることは出来ない。
今はまだ。
成し遂げるべきことが、山ほどあるのだから。
お母さんの奏でていたチェロのことを覚えているか?
お母さんは自分でも気づかずに、大事なことを教えてくれていたのだよ。

忘れてはいけない。
いずれにせよ35世紀に、我々が瞬いて消え、最後の旅立ちをするとき、お前のシルバークイーンは、お前と一緒に行くことになるのだ。
これ以上の望みがあるか!



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転記終わり


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長くお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
ロバートモンロー氏の日本で翻訳されている本は、他に、最初の本「ロバート・モンロー「体外への旅」―未知世界の探訪はこうして始まった!」のみです。
ここでは、内容がはじまりの時の話だけであるため、紹介してはいません。
ここで紹介してある2冊で充分かと思います。

やはり、モンロー氏の奥様は、向こうのガイドにシミュレーションされたように、先に亡くなられたようですね。

さらにモンロー研の情報をと思われる方には、ブルースモーエン氏の本をお勧めいたします。
「死後探索シリーズ」で4~5冊あります。
こちらもまた衝撃的です。
モンロー研のセミナーに参加したモーエン氏が、体外での旅をつづったものです。



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ここで、このシリーズは終わりになります。
ありがとうございました。

最後に、私の臨死体験に関連する話をしたいと思います。
個人的な話なので、そっち系に興味のない方はスルーしてよいと思います。


……


臨死体験の章でも書いていた、私のいくつかの疑問の答えですが‥

一つは、あのとき、「迎えに来た未来の光り輝く自分」が、まるで光のモザイク作りの人型のように見えた点です。
まぶしくてまぶしくて…絶対目が潰れると思うほどのまばゆさでした。
一つの光ではなく、多数の黄色やブルーやピンクや青や、うす~い薄~いパステルの色の光で、モザイクになっていました。
すぐには気が付かないのですが、自分はもう肉体を持っていないことに気が付いて、肉体の目で見てはいないことに思い至ると、まぶしさにも慣れて観察できるようになり、気が付いたことです。
これが長い間、疑問でした。

不思議なことにこのシリーズを書き続け、みなさまと共有しているうちに、答えが沸き上がってきました。

この物理的宇宙へと遊びに来た小さな光のかけらだった私が、体験して自分の拠点とした場所へ戻ってくると、体験する前の自分がいる時空時点へと帰還することが出来、それゆえ、自分を増やすことが出来ることに気が付き、面白くなり始めたころに、体験しに行った自分のかけらの一つがなかなか帰還しない…と言う出来事がありました。
捜索するために大変な時間と労力がかかり、その後、物理的宇宙に体験に出るときは、自分のかけらを一部ちぎって置いていくことにしたのです。
そうすれば、行方不明になった時、その欠片を解き放つと、欠片は本体と合流しようとして飛んでいき、無事に行方不明者を見つけることが出来ます。
そして、拠点とした場所には、必ず留守番を置くことにしました。
行方不明者が出たときの捜索者とするためです。
留守番は、皆が置いて行った光のかけらを集めて所持して待ちます。
それが…
いつのまにか…
たくさんの自分の体験のかけらを集めた光のモザイクのような存在となって行ったのです。
ちぎられた光のかけらは、その体験者がした体験の種類やかかわったエネルギー領域により、微妙な色合いの変化が生まれ、あのようなうす~い黄色や青やピンクや緑のうす~い光のモザイクの集合体となっていったのです。

私は行方不明者となっていたのです。
だからお迎えに来てくれたのです。

しかし、面白いもので、この領域にはまっていた私は、「まだ終わっていない!しかし、また赤ん坊から生まれ変わってやり直しをするのは嫌だ!」とばかりに、帰還を拒否し、生まれ変わりも拒否し、再びこの人生に戻ることを選択しました。
「終わっていない」とは、当時独身で、育った家庭が夫婦仲の悪い仮面夫婦の家で、「結婚して血のつながりがない人間が新しい家庭を築き、幸せに暮らす」とはどういうことか知りたい…というのが「終わっていない」という理由だったのです。
何と普通過ぎる理由かと思いますが、私にとってはとても重要だったのです。

人間に生まれる理由は、大金持ちになるとか社会的に成功するとか、そういうことが重要と思うIS・BEが多数派ではないようです。

私がこの人生に戻るために、先に死んでいた父が、自分んが生まれ変わるチャンスを私に譲ってくれたようです。
のちにイギリス人の霊能者に見てもらったときに、そういわれました。
また、ながく待たせないで迎えにいくから、とも言われました。

私は「向こうの世界」で、細長い定規を持ち、戻ったのちの人生をプランニングしました。
その通りになっているかどうかはわかりませんが、望みは叶えることが出来ました。
時間はかかりましたが、人柄の良い男性を見つけ、家族が私の望むような温かい家庭であることを知り、結婚しました。
義母は夫と性格が似ていて、とても信頼できる人です。
義父も穏やかな人で家庭は仲の良い暖かいものです。
しばらくして同居を選択し、おかげで幸せに過ごさせていただいています。

私が知りたかった、「幸福な家庭」の条件とは…
「人に対する共感」であることを義母と夫が教えてくれました。
なるほどと…
だからといって、個人的に意見が合わないとか趣味が異なる、思想信条が異なるとかいう人たちに無理をして合わせるという事ではないのです。
ただ…
違いがあるという事を認めるという事…
人としての感情や望みには共通なものがあるということ…
みな一生懸命生きているということ…

定規のメモリは、私の記憶では72歳で終わっています。
死の場面も見せてもらいました。
私は入院先から容態が安定してもう大丈夫だとみなされて、家に戻っています。
しかし…
それは単なる小康状態…
その日、私は家で寝ている間に旅立ってしまいます。
この時、義母はまだ生きています。
夫は再婚できる可能性があることも見せられています。
いまのうちから、夫には、私が先立ったら再婚せい~!と言っています。
寂しく暮らされるより、誰かと仲良く生活してもらった方が嬉しいと思うものです。

あと7年しかありません。
心残りないように、出来る範囲で遊びまくっています。
もう二度と、戻りませんから…

そして、あの臨死体験のあと…
雷のようなゼウスのようなしゃがれ声で、「お前は恋愛する」と、私が眠りに入るときに、言った者の正体も、一体誰なのか?とても不思議でした。
いまではそれも分かります。

自分のかけらたちが、物理的宇宙へと旅立ちます。
その者たちは、自分の光のかけらを一部ちぎって拠点にいる留守番に預けて行きます。
そこはだんだんと人口が増えて行って、まるで天蓋のない円形の宇宙船のような、中心に広場のあるコロッセオのように感じられます。
そこでは、今の私の人生、あるいは、他の場所へ行った自分のかけらの人生、生き様、体験が、絶賛上映されているのです。

そして、その体験をしている自分たちが、疑問を抱き、あるいは願いを持ち、祈る時、また天に向かって慟哭するとき、コロッセオの観客であるたくさんの私のかけらたちが未来を推定し、呼びかけるのです。
数えきれない自分のかけらたちの答える声の響きが集合されると、まるでゼウスのようなだみ声に聞こえるという現象になったのだと思います。
それは私の集合体の物語であり、他の方は別なのかも知れないです。
あるいは、このシリーズを読んでいる方の中に、もしかすると同じ集合体に属する、もしくはつながっている集合体に属する者がいるのかも知れません。

そして、この人生での死の場面を見せてもらった後、「この先はどうなるのですか?」と地球の未来を聞きました。
この問いに対し、答えがあり、ある場面を見せてもらいました。

それは、いつかわからない未来の日本。
ある男性の兄弟が示されます。
その兄弟は、50代くらいのように見えます。
一人は透明なドームにおおわれた都市の中に住んでいます。
もう一人は、都市に住もうとしたとき、自分の家族だけではなく、妻の両親も含めて都市に入ろうとして、人数が多すぎると断られます。
片方は、諦めて自分の家族だけにしたので、都市に入ることが出来ましたが、片方は妻の両親を捨てることが出来ず、都市に入ることが出来ませんでした。
入れなかった片方は、砂漠化して減少していく森の中に住まいを持ちます。
都市の周辺は砂漠化して、草も生えず赤茶けていました。
森もいまはまだ木々も茂っていますが、消えるのは時間の問題と思われていました。
森が消えるだけではなく、田畑もなく、タネを植えても育たず、野菜を収穫することが出来ません。
都市に入ることが出来なかったものは、死に絶えると思われました。
都市では、水耕栽培の野菜を育て、自給自足で回るようなシステムにし、少なくとも都市の中では生き延びられるようにシステム化されました。
それから数十年経過して、やがて、都市でも限界が来ます。
全てのシステムが老朽化し、再生がうまく回らなくなっていきます。
いきなりすべてがストップするほどではないのですが、だんだんと水耕栽培の野菜の収穫も減少していきます。
このままでは、都市もまた少しづつ人数が限られ、生き延びることが出来なくなっていく。
兄弟の片方は、透明なドームの窓から、森を見つめます。

あそこに自分の兄弟がいるはずだ‥
森は完全に消えてはいない、しかし…
何か食べられるものを、森に残った人たちを生き延びさせるまでの果実の生る木や野菜はなかったはずだ。
皆死に絶えているだろう‥
そう彼は考えます。
しかし…
自分たちもまた、都市の衰退とともに死にゆきつつある。
どうにかして、生き残りを図りたいが‥
限界がくるのを数えつつ、果てていくしかないのだろうか…
彼は、様々な解決法を試しつくして、もう…
方法はないように思えているのです。
どこか他の国へ?
いえ、世界中がこのようであるのです。
人類が3分の一?とんでもない!
10分の一、いるでしょうか…

ところがその彼の苦悩する思念をキャッチした者がいます。
ある夜、苦悩する彼の透明なドームにおおわれた部屋の中に、男性が出現します。
それは、彼の失われた兄弟でした。
兄弟は、森の中で、食べ物を食べなくても生き延びられるものに変身していました。
そして、超能力のようなものを身に付け、ドームの中の兄弟の部屋に、テレポーテーションで現れたのでした。
兄弟は、言います。
「食べ物は必要ないんだ。」
そして、森の人々の生き残る方法を伝授するという場面です。

現在でも、食べない人々、というのはいます。
amazonで検索すると、そういう人たちが本を書いて出版しているのがわかります。
一人や二人ではなく、複数いるのです。
人間は、本当は‥
食べ物を必要としない生き物だったのかも知れません。
それが、私が見せてもらった可能性ある地球の未来でした。
地球は人間をもう…必要としていません。
そして人間もまた…

ほら…呼びかけが聞こえるでしょう?
もう引っ越しの時間だよ、って言っているよね。
父ちゃんはもうトラックの運転席にいて、早くみんなを呼んで来いって言っているよ。
母ちゃんは、最後の荷物を荷台に乗せ、ねーちゃんや弟を呼んでおいで、って言っているよ。
みんな集まったら、宇宙船のようなコロッセオのような集合体に天蓋が出来、他の集合体とつながって飛んでいくのよ。

この物理的宇宙で、自分を裏返して新しい宇宙のバブルを作りたいって思う者もいるよね。
その願いは叶うよ。
だけど、私たちの集合体にはいない…
もう、あきちゃったもんね…
似たような宇宙をこれ以上増やしても意味ないじゃん…
数えきれないだけあるんだから。

モンロー氏の表現によると、それは35世紀に起きることであるようです。

これで、このシリーズは終わります。
このブログで言いたいことは、言いつくしました。
このシリーズだけが、私にとっては重要でした。
消えないように他のブログでも同様にアップしています。

もう一つ、言えることがあります。
それは、この世界では、意識が、考えが世界を作っていくというのは、本当であるという事です。
もし、それが自分の望むような世界ではないとしたら、
集合体としてみると、それは本当に実現したいと望まれていることではない、ということ。
ある段階に達したら、みな地球を卒業していきます。
そして、新参者がやってきます。
卒業生が卒業せずに残ってくれたら、世界はあっという間に変わるでしょう。
しかし、新参者たちは、体験することにいっぱいいっぱいで、受信して吸収することだけでいっぱいいっぱいなのです。
変えたいとは思うことはあっても、実行しない。
政府にも、地方自治体にも、電話一つしないのはそのためです。
本当は、変えたいと思っていない。
だから変わらないのです。

そして、この世界をデザインするのが楽しくてたまらない少数派の者たちがいる。
その者たちがデザインする。
それを体験することだけでいっぱいいっぱいなのです。
本当は‥
この世界は、いくらでも思う通りに変えることができるのに…

ビジョンを描くものが世界を作る。
懸命に熟考するものが、形あるものをデザインする。
実行する者のみが、形あるものを形成する。

では、みさなん、お元気で…
また別の次元のどこかでお会いしましょう。
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「エイリアンインタビュー」その165検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.10.02.21:57

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165です。

ここではっきりさせておく必要があるが、死と言う転移をすんなりと受け入れ、フォーカス23にとどまらずに先へ進むことが出来る人も多いのだ。
それは、自分であらかじめ死に備えたり、他人から心の準備をさせられたりしていたために、地球の生命系とのつながりを簡単に断ち切れる人たちだ。
こういう人たちは、フォーカス23は自発的に通過し、フォーカス24から26、27、あるいはもっと先へ進んで行くのだ。

フォーカス23の住人たちは、人類そのものと同じくらい多様性に富んでいる。
「救出」に当たったものが知りえた範囲でも、世界中の人が含まれているらしい。
200年も300年も「待って」いる人は少なくて、大体がごく最近、ここ20年か30年の間に、肉体を失った人たちだ。
大多数は天災や人災で死んだ人たちで、突然死が多い。
大部分は進んでそこを離れる気持ちになっているが、中には愛する人や身内や仲間のことを心配して、再会して安心するまではどこにも行かない、と言う人もいる。

参加者が出会った人々を、報告から拾い出してみよう。

交通事故で死んだ数人の若者、のどに食べ物を詰まらせて死んだ45歳の男性、エイズによる合併症で死んだプラハ出身のクラッシックのピアニスト、地雷を踏んで死んだカンボジアの母親と二人の子供、ナイジェリアのビアフラ州で飢餓のために死んだ大勢の赤ん坊、湾岸戦争で戦死した兵士たち、死産だったミルウオーキーの赤ん坊、薬の飲みすぎで死んだ10代の少女、などなど。
なかには、かなり詳細な情報が得られる場合もある。
参加者の一人が出会ったのは、1922年3月22日生まれで、1972年3月15日、ユタ州オグデンで没した女性だった。
自分の名前と、夫と3人の子供の名前を教えてくれたという。
もう一つの例は、先に言及したプラハ出身のピアニストだ。
名前も、28と言う年齢も明かし、両親と暮らしていたこと、パリのコンセルヴァトワールに学んだこと。
そして病院で死んだことまで明かしたという。
3つ目の例は、57歳のグラフィックデザイナーの女性で、名前はわかっている。
1991年12月に、アリゾナ州スコッツデールの病院で、バイパス手術中に心臓麻痺を起こして死んだという人物だ。

「救出活動」をしているとき、参加者はまったく恐怖も感じないし、ふつう感情に動かされることもない。
例外としては、身内や愛する人に出会ったり、見つけた相手が自分自身の失われた一部であると気づいたりするときに、感情的になることはある、
報告書の抜粋を引用してみよう。

「体験中に、フォーカス23で、光のプールの中にいる3歳の幼い男の子を見つけました。この子の他には誰も見えませんでした。
この幼児を見ていると、苦痛のような感情、痛みを感じるのです。その子を連れていこうとすると案内役が、感情などと言うものは一切不要なのだよ、と言いました。
案内役と私とで子供を救い上げると、達成感のような、家に帰り着いた時のような感覚がありました。
まるでもう一人の自分がようやく安らぎを得た、といった感じなのです。
その子が面倒をみてくれる者たちに連れられて行ったとき、これで大丈夫だ、何もかもすっきりうまくいったのだと悟りました。
プログラムのテープを体験してから、ものごとが180度違って見えてきました。私は少しづつ、自分のすべてを取り戻しつつあります。」
ヴァージニアビーチ在住、ジョン・A・ベイラー

参加者が体験を終えて通常の意識状態に戻った時に、感情が一気にあふれてくるというのは、よくあることだ。
2度と会うことはないと思っていた愛する人と再会した衝撃や、フォーカス23にいる人の悲しみや絶望に対する反応が、遅れて襲ってきたりするのだ。
しかしプロセスに慣れるにしたがって、反応は自然になってくる。
この幼い子供は交通事故で死んだのだ、とか、この母親は2人の幼い子を残して先だったのだ、とかいうことも次第に受け入れられるようになるのだ。
報告を見ても、不幸や悲劇に関する言及はほとんどない。
そしてフォーカス27では、何もかもがあるべき姿になり、存在する唯一の感情は「愛」なのだ。

以前からわかっていたことだが、事故や病気で、いろいろな障害や怪我を負った人たちも、フォーカス27に来ると完全に回復するのだった。
ある報告でふれられていた男性は、母親が妊娠中にサリドマイドを処方され、足が未発達のまま生まれた。
彼は35年ほど生きたイギリス人であり、その薬がイギリスで使われだしたのは1958年のことだ。
フォーカス23では障害を負ったままだったが、フォーカス27では母の歓迎を受け、肉体の生ではありえなかった、元気で完全な姿を取り戻したのだった。

とはいえフォーカス23から連れ出された人がみな、フォーカス27まで到達するわけではない。
少なくともすぐには‥
信念体系領域へ入って行く者もあり、ただ消えてしまう者もある。
まだこの世とのつながりが切れていなかったり、自分の状態を完全には受け入れられないことに気づくせいかもしれない。
ある参加者は、子供を産むときに死亡した少女との出会いを報告している。
自分の赤ちゃんも死んでしまった事、その子の面倒を見るために残らなくてはならないことを伝えてきたという。
別の報告に、1990年10月に砂漠で餓死した9歳のアフリカの少年の記述がある。
少年は先に死んだ3人の弟と2歳の妹を見つけるまでは、フォーカス23を離れようとはしなかったという。
参加者がもう一度訪れてみたら、前には拒否していた人の心が動いていたという例もないわけではないが、それは非常にまれなことだ。

全く予期出来なかったのが、参加者自身のライフラインに対する反応だった。
恐らく反発はないだろうと思ってはいた。
特に、参加者はみなこれまでに少なくとも1回、たいていは2回以上のコースを体験しており、研究所の手法を熟知していたからだ。
参加者の反応については、直接引用するのが一番だろう。

「このプログラムは、私にとってたいへん素晴らしいものでした。というのも信念体系というのがいかに狭いものか、私達がそれに縛られて、いかに重要な事を知らずにいるか、理解することができたからです。
この1週間で、私は多くの点で成長し、視野が広がりました。今我々が現実と認識している「ここ」と「向こう」を隔てる、非常に薄いフェーズも、はっきりわかるようになりました。人生全体が違って見えてきたようです。」
ワシントン州在住、M・D・ロイ

「ライフラインから得ることができた最も重要な認識は、他人の中に自分の一部を見出せるのだということ。
そして、肯定的なものであれ、否定的なものであれ、そういう自分を認め、受け入れていくのが、私にとっての救出作業なのだということだった。
そんなふうにして、私の全体的自己が統合されつつあるのを感じている。」
メイン州在住、M・R

「学んだことのうちで最も重要だったのは、想像的領域にも、経験によって確認できる客観的現実性があるということだった。
そんな領域は、統合されていない個人的要素の隠喩にすぎないのだと、私は信じてきたのだが、何度か行った救出は、予想外でありながらも実に明確なものだった。
それゆえ経験によって私は、それを現実のこととして考え、行動したのだ。否応なく別の現実への道が開けてきた。
そうした中で私は、自分の母親を連れて行き、母と信念体系とに対する強い執着を断ち切ることができたので、素晴らしい解放感を得た。
並行して存在する意識を並行し処理しているモードも、敏感に感じ取れるようになった。
死とその先にあるものについて、今は非常に安らかに受け止められる。」
ニューヨーク州在住、S・B・P

「救出と救助」は、必ずしも他人への奉仕と言うことではなくて、むしろまず第一に自分自身に対する奉仕であって、それが他人の為にもなっていくものなのだとわかりました。」
アルバカーキ在住、K・L

「母の死に遭遇したときの気持ちは、かつてないような苦しみでした。しかしこの1週間で、母の死にまつわるあらゆる感情から、真の意味で解放されました。母も解放されたことと思います。」
アラスカ在住、S・C

「私の一部分はいま、フォーカス27にいます。死んだらどこへ行くのか、残りの人生を何をして過ごしたらいいのか、という疑問は解消されました。」
オレゴン在住、ビル・オークス

「いわゆる(向こう)というのは、必ずしも想像を絶する奇妙で不気味な場所ととらえる必要はない。
ほんのひとつフォーカスを隔てたところにあるのだから、少し認識をあらため、知覚を変化させるだけでいいのだ。」
カリフォルニア在住、E・K

「自分が真に全体の一部であるということが、初めて理解できるようになりました。」
フランスパリ在住、K・S・C

「この現実を超えたところでも、現実の中でも、精神的な能力を生かして人の役にたてるのだということを学びました。」
スペイン、セヴィリャ在住、C・S・Q

一人の女性参加者は、どんなふうに体験を自分のものにしたかを明確に語っている。
ただしこの人は、1週間のプログラムの間に他人を救出することはしていない。

「バランスのとれた完全な事故が確立していなければ、ちゃんとした人助けは出来ないと思っているせいかもしれませんが、私はライフラインの救出作業を、自分の全体的自己のうち、何らかの理由で意識の外に追いやられている側面を再統合していくプロセスと受け止めました。
その側面と言うのは、前世の自分であったり、あるいは単に、私のエネルギーをせき止め認識を狭めてしまっていた、感情的な思考形態であったりしました。
フォーカス21から先の3段階の定義は、実際そこに行ってみて実にふさわしいものとわかりました。
フォーカス22と23はあらゆる混乱の源、フォーカス24と25は混乱を生む信念体系あるいは誤解の源、そしてフォーカス27は人の本質である純粋な光を与えてくれるところでした。
私は初めてフォーカス27に行き、自分自身の光を取り戻したことで、かつてなかったほど自分自身の影を直視できるようになりました。
今は新しい達成感、やうらぎ、調和を感じています。
多分次回は、充分にバランスもとれて共鳴できるようになり、混沌とした思考形態や暗闇にとらわれている人たちを手助けできるのではないかと思います。」
ニュージャージー州在住、ジュデイス・テイラー

研究所では、救出活動の体験をつづった報告書のファイルが、厚みを増し続けている。
報告されているのは、プログラム期間中のことだけに留まらない。
多くの参加者が、帰宅してからも、寝ているときなどに、活動を続行できることに気づくのだ。
またプログラムに参加する前から、そういう体験を持っていた人もいる。
そして体験していても思い出せない人も多いかも知れない。
こうして、実に素晴らしい報告が集まっている。
何とも強烈で、感動的な報告ばかりだ。
プログラム自体との関連がなければ、そういうリポートの多くは、幻想の領域に踏み込んでしまっていると受け取られるかもしれない。
しかし、それを体験した当事者にとっては、、完全に現実そのものなのであり、そうではないなどと納得させることは不可能なのだ。


次に引用する報告の抜粋は、ごく初期のころのプログラムに参加した人のものだ。

「フォーカス27で援助者・ヘルパーと合流して、23へ行き、誰かが来るのを待った。
誰も見つかりそうにないとあきらめかけたとき、小柄なアイルランド人の女性が私を見上げて声をかけてきた。
ー待って、待って!おいて行かないで!ー
女性はすぐに私の乗り物、3つつながったピラミッド型のエメラルド、に飛び乗ってきて、27へ向かう間中話し続けた。
到着して公園に降り立ったとき、名前はエリザベス・マクゴーワンだと教えてくれた。
肉体の人生が終わったことはよく承知しており、夫と娘の所へ連れて行ってもらえるのを待っていたのだ。
夫と娘はすでに27に来ていて、彼女の到着を出迎えた。
出身地はカウンティコークだと言ったが、私がうっかり逆さまにコークカウンテイィと言うと、彼女はしっかり訂正を入れてきた。
死んだのは1919年のことで、それまでお針子をしていたという。
夫はリチャード、娘は13歳くらいに見えたが、エイミーと言った。
もっと知ろうとしたのだが、3人ともいなくなってしまった。
次にどうしようかと迷っていると、なんと私の父が現れた。
予期せぬことで、心が動揺した。
それというのも、父が1985年に死んだとき、父と私の間には解決していない問題が山ほどあったからだ。
母が死んでから8年間、父は酒浸りの日々だった。
私も5年間は父の力になろうと努力したのだが、これでは自分までダメになってしまうと感じた。
最後の3年間は連絡もとらないままだった。
父が現れたとき、様々な感情が胸をよぎった。
特に強かったのが、愛、罪悪感、見捨ててしまったという悲しみの気持ちだった。
しかし父は、贈り物をくれた。
これからは一緒にいられるかと尋ねると、父はこう答えたのだ。
ー愛しているよ。だが、なぜここに来たのかを思い出さなきゃいかんな。焦点から外れないようにー
このとき、ボブが27を離れるようにと言う指示を送ってきたのだった。
様々な感情を抱いたまま帰還したが、父が許しと自由と愛をくれたということはわかった。
これ以上の贈り物があるだろうか?」
ヴァージニア州アーリントン在住、ジム・グリーン

アイルの別のレポートに、興味深い報告がある。
フォーカス23から27での出来事と、報告者が以前、病院で研修中だったときのエピソードとの間に、関連があったというのだ。

「初めて救出を試みたとき、フォーカス23で12歳くらいの女の子に出会った。その子は、最近、オハイオ州の病院で白血病で死んだのだと言った。
私は、君が他のレベルに移っていくのを手伝いに来たんだよ、と説明した。
飲み込んでもらえたようで、女の子は信頼して両手を差し伸べてきた。
私も同じく両手を広げたが、抱き合った瞬間、いきなり圧倒的な愛の感覚が私の全身を包んだ。
人生の中でも、ほんの限られたときにしか感じたことのないような至福の感覚だった。
すぐに私達は出発し、フォーカス27へ向かった。
27に着いてもう一度抱きしめ、さよならを言ったとき、ほんの束の間だったけれども、あの愛の感覚がまた感じられた。
その子が教えてくれた名前と住所が本当のものかどうか、確かめようとは思わなかった。
その体験が、計り知れないほどリアルで、意味深かったからだ。
それから間もなくわかったのだが、実は私は、25年間も放置していた問題に結末をつける機会を与えられたのだった。
ことの起こりは、私が医学生だった時のことだ。
私は白血病の少女と知り合いになった。
知り合いだった3年の間、少女は入退院を繰り返していた。
小児科の研修中だった私は、その日曜日、とても忙しい午後を過ごし、夕方になってカルテを書いていた。
そこへ少女がやってきて、話をしたいと言ったのだ。
私は、今は忙しいからダメだ、またあとで、と答えた。
少女は、一人で病室へ戻って行った。
だが少女は待ちきれなかったのだ。
それから間もなく、看護婦が来て、その少女が病室のベッドに横たわっていたことを告げた。
少女は死んでいたのだ。
ほんの少しでも時間をさいてやりさえすれば、世を去るとき、そばにいて力になってやれたのに…
少女は自分でも、そのときが迫っていることに気づいていたのだ。
結局、私は25年もしてから、もう一度、チャンスを与えられたというわけだ。」
ロードアイランド州医学博士、学術博士、A・L・ダールバーグ


次の報告は、ライフラインの時のものではないが、ある実験セッションで録音されたテープを書き起こしたものだ。

「夜です。ボートに乗って岩だらけの海岸に近づいて行く。
アイルランドの西海岸か、コーンウオールかも知れません。岩は鋭く切り立っていて、波が打ち寄せています。私は、ボートのすぐ上に浮いているのかも…。前方の岩壁に、割れ目か坑道のようなものがあります。
中へ入って行く‥怖くはないわ。壁は黒く濡れて光っています。
さらに曲がって、トンネルか狭い洞窟みたいなものの中へ‥中へ入りました。
壁に反射してくる光で、目は見えます…下へ降りていく‥頭上の岩に亀裂が走っている‥前に見たことのある子犬がいる。
長くて狭いトンネルです。
凄く狭い‥どうやってこんなところまで?
胸に岩の重みを受けたらこんな感じかしら?
怖くはないけれど、大きな岩の塊に押しつぶされているみたい。
坑道か何かの中で落盤にあうというのは、こういうものなのかも…
エネルギーが注ぎ込まれてくる…リラックスしなくては‥岩の中の狭い空間に閉じ込められたら、こんな感じかしら…誰かが左手を引っ張っているみたい…誰かいるのかな?
手探りしてみよう…そうだ、この人の名はグレゴリー…閉じ込められたところから、抜け出そうとしているんだわ。
私の左手の岩の下から、するりと出てくる。出られてすごくほっとしているみたい。
誰にも見つけてもらえないだろうと思っていたのね…歳は31歳…
この人は岩に上っていたのだわ。
そして潮が満ちてきた。
私と同じように、坑を見つけて、中へ降りて行った。
わかるわ、さっき、岩の圧迫を重みを感じたもの…落盤があって、閉じ込められてしまったんだわ。
この人…まだ手を握っている。
何なの?ブラック?
それが名字なの?
抱きしめてほいいって?ずいぶん長いこと閉じ込められていたのね…1948年からずっと…
どうしたらいい?
センターへ連れて行く?
でもどうやって…
センターのイメージを思い浮かべて、それに向かっていくんだわ。
この人もあそこなら落ち着けるし、面倒を見てもらえるでしょう…わかってくれたみたい。
今度は彼の方が先に立っている。
どこに行くべきか、わかっているのね…愛しているわ。
あなたは自由よ、もうどこへ行くのも自由よ…彼、行ってしまうわ…。
私もさっきより快適な場所に連れていかれる。
変ね…グレゴリーが行ってしまって、私もよそへ行くように言われたとき、彼が味わった恐怖が感じられた…彼が、洞窟に入って…死んだときに味わった恐怖が。
まるで恐怖が岩の中にしみこんでいくみたいだった。
本人が去って、恐怖も去って行ったのかしら…私をかすめていくのを感じたわ。
スリップストリームの中にいるみたいだった…さあ、もう戻らなくちゃ…。」
イギリス、ケンブリッジ在住、ジル・ラッセル


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