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「エイリアンインタビュー」その126・検証とその先へ、モンロー研究所(その先へ・究極の旅)

2018.02.12.13:04

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126です。


920cc75ed44e6ecbf767a13ea5ce7165.jpgロバート・モンロー


1915年に大学教授の父と内科医の母である学者の家庭に生まれ、アメリカ伝統的ないわゆる南部地方で育つ。子供の頃に高熱を伴う重篤なしょう紅熱を患う。 成人になり、事業家として成功を収めていた彼が、睡眠学習の研究をしていた42歳の1958年に体外離脱を経験するようになる。それを機に、体外離脱の研究を始める。そして更なる研究を追求すべく、彼が社長として勤務する会社に研究部門を創設し、その部門が独立、1971年にモンロー研究所を設立する。


1979年、会社社長を辞任し、モンロー研究所は現在の場所であるバージニア州郊外に移転独立。


以後、20年以上の研究に携わり、その間に自身の体外離脱体験の記録と検証などをまとめた著作を刊行。1995年3月肺炎からくる合併症で死去。79歳没。


^^^^^^


続きです。





1960年代にモンロー研究所では、意識の諸相に関する通史的研究だけではなく、私や他の人たちの対外離脱の研究も開始した。


体脱体験は睡眠の状態と関連づけられ、そのため単なる夢として片づけられていることが多いとわかった。


ただしその体験は、夢特有のおぼろげで非現実的な感じとは異質なものである。


他に、本人の意図しない体脱は、麻酔手術中にも起こっている。


ふと気が付くと、自分が手術台の上方2mから2m半くらいのところに浮いており、後になって、そのような物理的にはありえない位置から見聞きしたことを正確に報告した、というような例だ。


こうしたことはしばしば起こるが、その大部分は公には報告されずに終わっている。


また他にも、事故や怪我によって無意識とみなされる状態に陥るときに体脱が起こっている。


たいていこれは異常とみなされ、変則的事項、あるいは本当には起こらなかったこととして、記憶の底にしまい込まれてしまう。


私たちの信念体系が、それ以外の解釈を許さないのだ。


自然に起こる体脱のうち、特に興味深いのは、臨死体験と呼ばれるものである。


これもまた麻酔手術中に起こることが多い。


多くの場合、この体験によって、患者の信念体系は変わってしまい、真の「異なる世界観」ともいうべき啓示が与えられる。


患者たちは、自分が単なる肉体以上のものであり、疑いようもなく肉体の死後も生きのびるという事を知って帰還してくるのだ。


いま私たちが体脱体験と呼んでいるものは、実は歴史の随所に現れている。


いい例が、私たちの使っている言葉だ。


私達は「我を忘れ」たり、「自分をなくし」たり、眠りの淵から「浮かび上がった」り、気を「失った」りする。


過去10年間に行われたこの問題に関連する数少ない調査の一つによると、合衆国の人口の25%以上が、少なくとも一回は自然に対外離脱した経験を持つという。


よく考えて見れば、あなたもその25%のうちの一人かも知れないのだ。


(注!そうだ、その一人だ。)


「飛行夢」を見たことはないだろうか?


(注!ある。何度もある。)


飛行機に乗ってでも、そうでなくても飛んでいる夢を。


(注!何度も何度もあるね。)


また夢の中で駐車場のたくさんの車の中から自分の車を探していて、見つかったとたんに目が覚めたという経験はないだろうか?


私達はしばしば、潜在意識において、自分の車を身体の延長とみなしている。


「墜落する夢」で、下にたたきつけられる前に目が覚めたという事は?


(注!あるね、落下する夢だ。)


これは体脱者が目覚まし時計に急き立てられて、肉体に戻るときによく起こるのだが!


1970年までは、研究の努力はみな隠れて‥とまではいかなくとも、目立たないように続けられた。


結局のところ、私は普通の人たちを相手にする普通の会社の社長だったわけで、私の生活の隠された面が明らかになれば、仕事上の重責を担う経営者としての能力を疑われることになると思ったのだ。


しかし私は、そのまま沈黙を守ることは出来なかった。


一作目の「体外への旅」が出版されると、私たちの研究は注目を集め始めた。


実験の被験者となるボランティアも大勢選ぶことが出来るようになった。


多くの人が、私たちの開発した方法によって、私がいつも体験している体脱状態を同じように体験することが出来た。


1980年代には、体脱体験についての話題があちこちの大学やテレビ、ラジオ、さらにスミソニアン学術協会でも取り上げられるようになった。


アメリカ精神医学会の年会に、カンザス・メデイカルセンターとモンロー研究所の後援によって、このテーマの論文が3つ発表された。


今や、雑誌を見ても体脱体験の実在を前提にした漫画のジョークに出会うようなご時勢だ。


TシャツのプリントにもOBEを扱ったものがあるし、ボブ・ホープも体脱をテレビでジョークのネタにした。


その実在は徐々に認められつつあり、「OBE]と言う言葉も定着した。


体脱体験についての「既知」の事実とは何だろうか。


第一に挙げられるのは、もともと自分自身が肉体以上の存在であると考えていたとしても、今やそれを自ら確かめる手段が与えられたという事実だ。


もっと別の物差しを用いれば、科学界、ひいては全人類に対して、それを立証することも可能だと思う。


しかし今のところは、個人の経験に頼るほかはない。


だが、立証のための手段がやがて手に入ることは確実だ。


コントロールされた体脱体験は、私たちの知る限り、「知識」を集めて「異なる世界観」を形成するための最も有効な手段である。


そうした「知識」の中でも第一の、そして恐らくもっとも重要な知識が、私たちが肉体の死後も生き続けるということである。


このことを知るために、ただ望んだり、信仰したり、信じるというだけでなく、まさに知るために、体脱体験よりも良い方法があるのかもしれないが、今のところは見つかっていない。


体脱に少し熟達すれば誰でも、すぐにこれを「知る」段階に達する。


付け加えておくが、死後の生というものは、人が好むと好まざるとにかかわらず存在するのであって、肉体の生での行いがどうであれ存在する。


そんなことに左右はされはしないのだ。


肉体の存在を超えて自己が生き続けることは、自然でおのずと定まったプロセスである。


私達は何故今まで、あんなにも狭い考え方をしてきたのだろうか。


第二に挙げられるのは、体脱体験に熟達していくうえで、最大の障壁となるのは恐怖ー未知なるものと死に対する恐怖であるという事実だ。


私たちの精神、意識は物理的な環境にしっかりと結びつけられているから、実際のところ、私たちが考えることはすべて、時空の範囲で表現するしかない。


しかし私達は今や、全く異質なものを、今ここで理解可能なものに翻訳する必要に迫られているのだ。


こうした恐怖を和らげるには、私たちの知りえた限りでは、体脱体験のプロセスに入っていくとき、一歩づつ、いわばスローモーションのように進んで行くことしかない。


そうすれば初心者も小さな変化に対応し、なじんでいくことが出来るし、そのような変化は物理的な生命に対する危険や脅威とはならないことがわかるからだ。


学習者がこうした変化を積み重ねていく間、私達は、覚醒した物理的な意識の方を、継続的に振り返るよう手助けをすることにしている。


常に利用できる慣れ親しんだ参照点を確保するためである。


こうして徐々に、基本的な恐怖は解消されていく。


最も重要なのは、体脱状態にある精神、意識は、肉体の覚醒状態にあるときとは確実に異なっているという事実だ。


少なくとも私たちの理解する限りでは、初期の段階では、焦点を絞った知的、分析的活動は行われないようだ。


ただし、ここに肉体的な意識が持ち込まれると、状況は変化する。


これとは逆に、右脳に象徴される極端な感情はしばしば全く存在せず、普通これをかき立てる方が難しいくらいだ。


愛は厳密に解釈すれば、この文脈でいう「感情」にはあたらない。


体脱状態の精神、意識においては、自分のすべてがいわば「あからさま」にさらけ出される。


この状態では、抑圧された層に隠された潜在意識や無意識などというものは存在しない。


したがって人を欺いたり、屈折した行動をとったりということはありえない。


自分の全てが丸見えなのだから。


どんな人でもありのままの自分を示すことになる。


肉体での思考や習慣の名残りはいくらか残っているが、それもやがて邪魔になれば手放し、捨ててしまうことになる。


これと同じくらい重要だと思われるのが、人は自分がおのれの肉体をはるかに超えた存在であることを、体脱状態下で教えられるということだ。


熱意と勇気さえあれば、自分がなぜ、どのようにして存在しているかと言う問いに対して、厳密な答えが得られる。


何かを探し求めて、得られた答えが気に入らないということがあるとしても、その答えが正しいということはわかるのだ。


もしあなたが、人が死後も生き続けるという事を、他の誰かにではなく自分自身に対して、証明したいなら、体脱状態に入ることを覚えて、最近亡くなった友人や身内の人や、身近な誰かを探せばいい。


その人を見つけるのには、それが誰でどんな人だったのかというあなたの記憶にチャンネルを合わせるだけでいいのだ。


そのような出会いを何度かかされば充分だろう。


あなたは証拠を、他人のためではなく自分のための証拠を手に入れることが出来るのだ。


こうした接触は相手の死後あまりたたないうちに、行わなくてはならない。


彼らの多くは、自分の終えた生にたいする興味を急速に失っていくものだから。


続く→
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