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55・宇宙人との対話・グレタウッドリュー

2019.11.16.23:47

グレタ

11月17日、デイックと私はド・ポーレガール博士と昼食を共にした。
ウエイターが私たちのテーブルに同じコーヒー・スプーンを並べた。
好機が到来したのは、明らかだった。
スプーンを待つ間、私たちは向かい合って話をしていたが、その時突然私は、テーブルの下に身をかがめて、テーブルの裏を叩くように迫られているような感じがした。
1本目のスプーンが曲がると、ド・ポーレガール博士の目に涙がにじんでいた。
科学的な条件や研究室の設備などについて議論する前に、自分の見たことを恐れずに見たと証言しようとした人は、この分野の最高の研究者の他に誰がいただろうか?
ド・ポーレガール博士の熱心さと、私への書面という形で、あの日、彼が見たことを述べた署名入りの証明書には、生涯感謝している。
彼は次のように書いている。
「彼女が、(起き上がって!起き上がって!)と、強い口調で言いながら、テーブルを裏から叩くと、スプーンが曲がったのだ。
私はスプーンから目を離さずに観察していた。
曲がるときの動きは速く、時計の長針の動きが直接見てわかるのとほとんど同じくらいの速さだった。
2本のスプーンは、形や大きさのほぼ同じ3本の比較対照用のスプーンと一緒に、現在私が所有しているが、これら3本のスプーンとは全く一致しない。
この現象は、重力でスプーンが地面に落ちるのと同じくらい明白なものであった。
私は理論物理学者として超能力現象を考察するようになったとき、信ずる心構えができていたのだが、これは、それをはるかに超える現象であった。」
「パラドックスなしには、科学の進歩は望めない。」と、書いた原子物理学の父ニールス・ボーアのことを、ド・ポーレガール博士ほどよく理解できる人は他にいないだろう。
トマス・クーン博士は、広く知られた「科学革命の構造」と題する著作の中で、専門的な研究を行っている枠組みが、もはやどのような必要にも感じなくなってしまった時に、科学者が直面する問題を要約している。
「新たな予期せぬ現象が、科学的研究で次々と解明されている。一定のルールでゲームを行い、このルールを完全に理解されてしまうと、また別のルールを練り上げる必要が出てくる。」と、述べている。
この「別のルールを練り上げること」が。彼の言う、「科学革命」なのである。
こうした革命の難しさを乗り切ってしまうと、科学者はその時には、自分が異なった世界に応じているのだと、彼は指摘している。
パラドックスが認められたために、レイキャビクで科学は、重要な進歩を遂げたのだ。
この進歩に一役買うことができたことを、私は誇りに思っている。
しかしながら、私が意識の超能力現象とよぶ多次元モデルの統一的な研究を、押し進める必要がまだ根強くあるのだ。
意識の本質を実験的かつ理論的に探究した、5本の精選された学術論文が、最近「アイスランド・ペーパー」と言う題で発表された。
この本は会議の直接の成果であり、世界中の大きな大学の図書館には、全て納められているはずである。
1973年のノーベル物理学賞受賞者のブライアン・ディヴィッド・ジョセフソンが序文を書いている。
私の「レイキャビクにおける根気強い役割」が、謝辞で触れられているのが、私の喜びを倍加してくれている。
レイキャビク会議は、発端であった。
まだまだ学ぶべきことがたくさんある。
伝えたり分かち合ったりすべきことも、またたくさんある。
このような研究や情報の伝達と、交流を促進させるのに役立つ交付金や学問的な評価、また公的な支援や政府資金は、残念ながらほとんどない。
このような理由から私は、法人組織宇宙技術研究財団(STAR)を設立した。
テレビやラジオ出演と公演の謝礼、それにまたこの本の出版で得られる収入が基金である。
通常の5感で見ている世界を、トマス・クーンは次のように述べている。
「感覚による体験は固定的で中性的であり…理論は所与のデータの人間による解釈でしかない。網膜に移った映像や特別な実験的操作をめぐる疑問は、すでに一定の方法で、知覚の上でも概念の上でも、細分化された世界を前提としているのだ。」
アルバート・アインシュタインがE=mc^2の公式を解明した時、彼は人間の五感による3次元世界を再構築して、時間・空間と言う第4番目の次元を含めたのである。
超感覚的知覚(ESP)と念力(PK)の領域が、人間の通常の感覚を超えた第4次元への入り口となる。
量子論的かつ原子レベル以下のデータがあるにはあるが、科学者はこの心と物質のつながりを示す一層の証拠を探し求めている。
世界中の多くの立派な科学者は、この現象を研究しようと熱望しているが、それを行うだけの本格的な資金援助がかけている。
研究者が自分たちの必要とする奨励と資金援助を獲得することは、重要なことだと私は考えている。
聖トマス・アキナスと同様に、私も、「至高なものが得られるかもしれない、わずかな知識の方が、価値のない物をたくさん得るような当たり前の知識よりも、ずっと望ましい。」と、信じているからである。

続く→
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