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第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー50

2020.04.02.19:38

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インド ニューデリー クロックタワー支局本部

「代表?」
ドリアンが顔を上げると、イマリ警備の隊員が不安そうにオフィスの戸口に立っていた。
「なんだ?」
「作戦の状況を逐一報告するようにおっしゃってましたので。」
「早く報告しろ。」
男が唾を飲んだ。
「荷物がアメリカとヨーロッパに到着しました。
「ドローンは?」
「また新たに標的を発見したようです。」

83

チベット自治区 イマルの寺院

遠くで彼らを探している蜂の羽音は、次第に大きくなっているようだった。
だがケイトはそれらを無視することにした。
デヴィッドも何も言おうとしない。
2人は谷を見渡すアルコーブに座り、ずっと日記を読んでいた。
ケイトがその朗読を中断したのは、早めの昼食を取る時と、デヴィッドに抗生物質を飲ませる時だけだった。


1917年8月10日

質屋の主人は、店内のガラスケースを眺める私に、樹上の猛禽類のような視線を向けていた。
ケースには所狭しと指輪が並んでおり、どれも美しく、どれも輝いていた。
3つか4つほどの指輪から選べばいいものと思い込んでいた私は、すっかり途方に暮れてしまった。
「若い男性が婚約指輪を探す。これほどに心温まる光景はありませんな。こういう暗い時代であればなおさらです。」
主人がケースのすぐ後ろに立ち、喜びと感傷が入り混じったような笑みを浮かべていた。
彼が近づいてきた足音に全く気づかなかった。
まるで闇夜の盗っ人だ。
「ええ、しかし…こんなにたくさんあるとは思いませんでした。」
私はぱっと目に飛び込んでくる指わあはないかと、ケースに視線を走らせ続けていた。
「数が多いのは、このジブラルタルにそれだけ大勢の未亡人がいるということです。イギリス帝国が戦争を始めてもう四年目になりますが、この戦いは、気の毒な女性たちから夫も収入の道も奪ってしまいました。パンを買うには指輪を売るしかないんです。腹に入れるパンは、指に飾る宝石や心に刻まれた思い出よりも大切だということでしょうな。彼女たちは相場よりずっと安い値段で売っています。」
主人はガラスケースに手を入れ、石の大きい指輪ばかりを集めたヴェルベットの箱を取り出した。
そして私の目の前の天板にそれを置き、マジックでも始めるように箱の上で両手を広げた。
「ですが、彼女たちの不幸のおかげで、あなたは得ができるというわけです。さあ、値段をご覧になってください。びっくりされるはずですよ。」
私は自分でも気づかぬうちに後ずさっていた。
指輪から男に視線を移すと、彼は貪欲そうににんまり笑って、商品を示した。
「さあ、遠慮なさらずに、どうぞお手にとって。」
まるで夢の中の出来事のように私はいつの間にか店を出て、ジブラルタルの通りに戻っていた。
足早に、一本の足を目一杯動かして歩いた。
どういうわけか、その足は町の中心を離れてロックのほうに向かっていた。
ロックにつく直前に半島を横切る形で進路を変え、ジブラルタル湾に面した西側の都市部を後にした。
そしてロックの東に位置するカタリン湾沿いの古い村に、入った。
目の前には地中海が広がっていた。
考え事をしながら、しばらく歩き続けた。
足がひどく痛んだが、薬は持っていなかった。
持っているのは1万1千ドルほどの蓄えの中から抜いていきた500ドルだった。
いくらにするべきか、ずいぶん悩んだのだ。
もっとたくさん1000ドルくらい使おうかとも思ったが、二つのことを考えてやめにした。一つは、新生活の資金が必要だということ。
1万1千ドルでは多分足りない。
なんとかするつもりではいるが、あのイマリの仕事はもちろん引き受けないので、当面は今ある資金が全てだった。
二つ目の理由はもっと重要で、ヘレナが望まないだろうということだった。
彼女なら嬉しそうに微笑んで豪奢な指輪を受け取るはずだが、本当はそんなものが欲しいわけではないだろう。
ヘレナが育った世界には、高価な宝石やシルクのドレスや、見上げるほどの大邸宅がいくらでも転がっている。
そうしたものは、もはや彼女にとってなんの輝きもないに違いない。
彼女が渇望しているものは本物であり、生身の人間なのだ。
人は幼い頃に奪われたものを追い求める傾向がある。
過保護に育てられた子供は奔放に生きたがるし、飢えに苦しんだ子は野心的になることが多い。
そしてヘレナのように、生まれながら特権を持ち、何かを求める必要もなく、周囲には虚飾の世界に生きる人々が溢れ、夜毎ブランデーを飲みながら買わされるのはよその家の息子や娘の噂話ばかりで、という幼少期を過ごした場合、本物の世界を見たいと強く望むようになっても不思議はない。
本物の世界の中に貢献することで、人間とのつながりを持ち、自分の人生に意味を見出したいと望むのだ。
目をあげると、道がロックに行き着いて終わっていた。
私は立ち止まり、座って足を休められる場所はないかと、あたりを見回した。
右手にそびえるその白っぽい大岩の影に、簡素な作りのカトリック教会が建っていた。
と、アーチ形の木製のドアが開き、1人の中年の司祭がジブラルタルの焼けつく太陽の下に出てきた。
彼が無言のまま腕を広げて暗い室内を示すので、私は階段を上がって、小さな聖堂に足を踏み入れた。
窓のステンドグラスから光が差し込んでいた。
美しい教会で、木製の梁が黒く光り、壁には見事なフレスコ画が連なっていた。
「嘆きの聖母教会へようこそ。」
司祭が思いきりドアをしめながら言った。
「戒告をされるためにいらっしゃたのですか?」
一瞬引き返そうかと思ったが、その教会の美しさに誘われ、足は自然と奥へと向かっていた。
「いえ、違うんです。神父様。」
私は上の空で答えた。
「では何を求めておられるのですか?」
私の後ろを歩く彼は、体の前で鎧を作るように両手を組んでいた。
「求める?私は何も、いえ、実は妻に指輪を買いに店に行ったのですが…」
「賢明にも、ここへ来ることにされたんですね。奇妙な時代になったものです。この教区は、長い間幸福に恵まれてきました。生者の世界を去る教区民から、たくさんの寄贈品もいただきました。農場、美術品、宝石、最近では指輪も多くなりましたよ。」
彼は礼拝所から私を連れ出して、狭い部屋に案内した。
室内にはデスクが置かれ、革表紙の本が詰まった背の高い本棚が並んでいた。
「教会はそうしたものを保管しておき、機会があると売って、また生きている人々のために役立てるのです。」
私はどう説明していいのかよくわからないまま頷いた。
「私が探しているのは、特別なもので…」
彼は眉根にシワを寄せてデスクに着いた。
「こちらにある品は、他で見かけるような立派なものではないかも知れませんよ。」
「立派な品を探しているわけではありません。なんと言うか、物語のあるような指輪が欲しいのです。」
「どんな指輪にも物語はあります。」
「では、ハッピーエンドになった指輪はありませんか?」
彼が椅子に体を沈めた。
「この暗い時代です。ハッピーエンドなど、なかなか手に入るものではありません。ですが、一つだけそんな指輪を知っていますよ。それを受け取る幸運なお嬢さんは、一体どんな方なのですか?」
「彼女は私の命を救ってくれたのです。」
私はその質問にまごついてしまい、とりあえず言えることを口にした。
「戦争で負傷されたのですね。」
「はい。」
足が不自由なことは、一目瞭然だろう。
「でも、それだけではありません。彼女は私を変えてくれました。」
ヘレナが私にしてくれたことを考えれば、なんとも素っ気ないまとめ方をしたものだと思う。
もう一度生きたいと思わせてくれた女性だと言うのに、だが、司祭は黙って頷いただけだった。
「何年か前に、ある素敵な夫婦がここで隠居生活を始めたのです。妻の方はずっと南アフリカで救援活動をしていました。南アフリカへ行ったことは?」
「ありません。」
「そうでしょうね。あそこがいくらか注目されるようになったのは、最近のことですから。1650年ごろからしばらくは、東へ向かう貿易路の休憩地でしかなかった土地です。その頃オランダ領東インド会社が、希望峰周りの航路の補給地として、あそこにケープタウンを建設したのですよ。建設には、インドネシアやマダガスカルや、インドから連れて来られた奴隷が使われたと言います。そう、少なくとも1800年代までは、そんなふうに海上貿易の中継地点としか見られていなかったのです。ところが、金やダイヤモンドが発見された時から、あの土地はまさに地獄と化してしまいました。もちろんオランダ人も、一連の侵略戦争で数世紀にわたり、アフリカの人々を殺し続けました。しかし、今度はイギリス人がやってきて、近代戦争を仕掛けたのです。あなたもよくご存知でしょうが、これはヨーロッパの国々しか戦えないような戦争です。膨大な数の死傷者に加え、飢えや病気や強制収容所を生み出すのです。
ところで、この南アフリカ戦争でイギリスのために戦った1人の兵士がいました。彼は戦争が終わった数年後、戦利品として手に入れた多額のお金で鉱山に投資しました。投資は成功し、彼は裕福になりましたが、病に倒れてしまいました。そんな彼を看病して救ったのが、戦争中に病院で救援活動をしていた1人のスペイン人女性だったのです。彼女は彼の心も慰めました。彼から求婚された時、彼女は一つの条件を出しました。鉱山とは永遠に手を切り、彼の財産の半分を病院に寄付すると言う条件です。彼はそれを受け入れ、2人は南アフリカにも永遠に別れを告げました。彼らはここジブラルタルの、地中海沿いにある古い町に落ち着きました。ですが、隠居生活は彼には合わなかったようです。それまでずっと兵士と坑夫しかしたことがなかった男です。彼は暗闇と痛みと苦痛しか知らなかったのかも知れない。あるいは、ジブラルタルの太陽が彼の心の闇には、眩しすぎたのかも知れない。穏やかな生活の中では、自分の罪ばかりが思い出され、昼も夜もその重さに苦しめられたと言うことなのかも知れません。理由がなんであれ、彼は一年後に亡くなりました。そして、その数ヶ月後には、女性も後を追うように亡くなったのです。」
私はまさかこれで終わりだろうか、と思いながら続きを待った。
しばらくしてついに、こう言った。
「神父様、どうやらハッピーエンドの認識がだいぶ違うようです。」
彼は子供から何かおかしなことを聞かされた時のように、にっこりと微笑んだ。
「これはあなたが思うよりも、幸せな物語ですよ。教会の教えを信じているならね。私たちにとって、死はひとつの通過点でしかありません。そして、正しいものには喜びでもあるのです。始まりであって、終わりではない。お分かりでしょう、彼は悔い改め、欲に支配された生き方を捨てたのです。彼は罪を贖いました。あらゆる面で。多くの男性と同じく、彼もまた、1人の善良な女性に救われたのですよ。とはいえ、人より過酷な人生を送るものは確かにいます。どんなに贖い、どんなに遠く離れても、罪から逃れられない時もあるでしょう。彼がそうだったのかも知れないし、そうでなかったのかも知れない。もしかすると、勤勉すぎるせいで、隠居暮らしに向かなかったのかも知れません。仕事好きの男は、休息に慰めを見いだせない場合もありますからね。
ですが、他の考え方もできるでしょう。彼は南アフリカで戦いと富を追い求めていました。力と防御手段を欲し、危険な世界の中でも自分は安全だと信じられる感覚を、手に入れようとしたのです。しかし、彼女に会った時、彼はその全てを手放しました。結局のところ、彼が望んでいたのはひたすら愛されること、傷つけられないことだったのかも知れません。そして、それまで得られなかった愛をようやく手に入れられた時、彼は幸せに死んだのです。彼女の方もそうですよ。彼女はずっと、自分が世界を変えられるかどうか、知りたかったのかも知れない。そんな時に、誰よりも暗い心を持つ男を変えたのだとすれば、彼女は人類そのものを変えられると言う希望を抱くことができたはずです。」
司祭はそこで一息つき、じっと私を見つめた。
「そうですね、彼らの唯一の間違いは、隠居してしまったことかも知れません。たとえ夜の夢の中だけだったとしても、過去に追いつかれるような場所に、落ち着いてしまったのですから。まあ、彼らの死の原因が何であろうと、行く先だけははっきりしていますよ。天の王国は悔い改めた者のためにあるのです。私は彼らが今でも、そこに暮らしていると信じています。」
司祭が立ち上がる間、私は彼の話について考えていた。
「その指輪をご覧になりますか?」
「見る必要はありません。」
そう答えると、10ドルの銀証券を5枚数えてテーブルに置いた。
司祭が目を丸くした。
「寄進者の方が良いと判断したのであれば、私たちはどんなものでもよろこで受け取ります。ですが、あらかじめ忠告しておきましょう。返金して欲しくなるかも知れませんし、その指輪には500ドルもの価値はありません。その…現在の市場価値でと言うことですが。」
「私にはそれだけの価値があるのです、神父様。」
コテージに帰る間、足の痛みはほとんど感じなかった。
頭には、数年の間どこにも定住せずに船で世界を巡る私とヘレナの姿が浮かんでいた。
想像の中で、彼女は病院で働いていた。
私は鉱山に投資している。
知識を生かし、ベテランの経営者と有望な現場を探りあて、その鉱山が労働者に適正な賃金と良質な環境を提供しているかどうかも見定めた上でのことだ。
初めはあまり儲からないかも知れないが、次第に優秀な人材が集まるようになるだろう。
他のあらゆる業種と同じで、鉱山業でも違いを生むのはいい人材がいるかどうかだ。
私たちは業界から競争相手を押し出し、利益をもとに新しい時代を作っていく。
そしてヘレナと私は決して隠居せず、世界に追いつかれない場所へと進み続けるのだ。

続く→

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