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第二進化・アトランティス・ジーン(1)A・G・リドルー58

2020.04.19.08:46

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チベット自治区 イマルの寺院

ケイトはあくびをしながらページをめくった。
室内は寒く、彼女とデヴィッドは2人で厚い毛布にくるまっていた。
「また移動中に読めばいい。」
デヴィッドが眠そうな声で言った。
「何度も休憩をとる事になるだろうからな。」
「そうね、でも、きりのいいところまで読んでしまうわ。」
ケイトは言った。
「子供の頃は本を読んで、夜更かしした口だろう?」
「ほとんど毎晩だったわ。あなたは?」
「テレビゲームで夜更かしだ。」
「だと思った。」
「レゴの時もあったぞ。」
デヴィッドもあくびをした。
「あと何ページくらいあるんだ?」
ケイトはパラパラと日記をめくった。
「そんなにないわ。ほんの少しよ。あなたが起きてられるなら、私は大丈夫だけど。」
「言っただろう、もう十分寝たって。それに俺は、明日から山歩きをするわけじゃない。」

空気が吹き込んでくる細い音で目を覚ますと、チューブが開いていた。
初めは肺に水が溜まっているような息苦しさがあったが、何度が湿った空気を吸い込むうちに、呼吸が正常になり、そこでようやく周囲に目がいった。
室内は依然として暗いものの、おぼろげな光の筋が、廊下の方から届いていた。
チューブから足を踏み出し、あたりを見回しながら廊下へ向かった。
他のチューブは空っぽだったが、猿人は相変わらずそこにいた。
洪水の間も、何も気が付かず眠っていたに違いない。
彼はいったいどれくらい眠り続けているのだろう、と思った。
廊下にはまだ30センチほど水が溜まっていた。
見落とす量ではないが、歩みを邪魔する量でもない。
水を跳ね上げて裂け目に近づいた。
私を閉じ込めた岩はほとんどなくなっていた…水で流されたのだ。
上から差す琥珀色の光が、まだ残っている岩を柔らかく照らしていた。
その岩を押して外へ出た。
不思議な光の出所は、9メートルほど上方の、階段の上に吊り下げられていた。
ベルか巨大なポーンのような形をしており、上端には窓が並んでいた。
正体を探ろうと目を凝らした。
その物体は、私を見つめ返してくるようだった。
まるで獲物を味わったタンザニアのライオンが鳴らす鼓動のように、ゆっくりと光を点滅させている。
攻撃してくるだろうかと身構え、じっと立っていたが、何も起きなかった。
目が慣れてくると、周囲の景色が次々と視界に入って来た。
地面は水と灰と土砂と、血が混ざり合った悪夢のようなスープで覆われていた。
一番下の層には、岩に押しつぶされたモロッコ人の死体が見えた。
その上に転がっている損傷の激しい死体は、ヨーロッパ人のものだ。
焼かれたような状態のものもいるが、全員に共通しているのは、何か得体の知れない凶器でズタズタにされていると言う事だった。
爆発によるものでも、銃やナイフによるものでもない。
それに殺されたのは、最近ではないようだ。
傷口が古そうに見える。
一体自分はどれくらい、ここにいたのだろう?
死体を調べて回った。
期待していたが、リュトガーの顔は見当たらなかった。
顔をこすった。
集中しなくては、家に帰るのだ。
ヘレナ。
トロッコはなかった。
疲れと空腹で弱っているせいか、一瞬、もう2度と日の光を見られないのではないかと思った。
それでも、片足をもう一方の足の前に出し、坑道から出るための困難な旅を開始した。
目一杯力を込めて足を前後に動かし、襲ってくる痛みを覚悟した。
が、いつまで経ってもそれはやって来なかった。
私は、自分でもどこにあったのかと思うような、活力と情熱に動かされて地上を目指していた。
あっという間に坑道が後ろに去って行き、螺旋の最後のカーブが終わったところで光が見えた。
坑道の入り口は、白い天幕かプラスチックのシートのようなもので覆われていた。
幕を払った途端、ガスマスクと奇妙なプラスチックのスーツを身につけた兵士たちに囲まれた。
彼らが飛びついて来て、私を床に押さえ込んだ。
床から見ていると、1人の背の高い兵士が大股でこちらへ近づいて来た。
それが誰かはすぐにわかった。
コンラッド・ケインだ。
兵士の1人が彼を見上げて、マスクごしのこもった声で言った。
「ここから歩いて来ました。」
「連れてこい。」
ケインの声も、不気味に低くくぐもっていた。
男たちに引かれて倉庫の奥へ行くと、そこには野戦病院を思わせる白いテントが6つ並んでいた。
最初のテントには簡易ベッドが何列も連なっていた。
全て白いシーツで覆われている。
その時、隣のテントから悲鳴が聞こえて来た。
ヘレナだ。
両脇の兵士の手を振りほどこうとしたが、力が出なかった。
空腹のまま歩き続けて来たし、チューブの影響もあるのかもしれない。
それでも私はいっそう手に力を込めると、兵士に抵抗し続けた。
今でははっきりと彼女の声が聞こえていた。
テントを仕切る白いカーテンの向こうにいる。
そちらへ突進したが、兵士がすぐに私を引き戻した。
そして狭いベッドに横たわる死者たちをしっかり見せるように、列に沿って私を歩かせた。
私の中に恐怖が広がって行った。
バートン卿と夫人がいた。リュトガーも。
ケインの奥さんも。
みんな死んでいる。
知らない顔もたくさんあった。
科学者、兵士、看護師、少年のベッドの横を通り過ぎた。
ケインの息子だ。
ディートリッヒだったか?
ヘレナに話しかける医師たちの声が聞こえた。
カーテンの脇を通った時には、その隙間から、彼らがヘレナを取り囲んで何かを注射し、彼女の体を押さえつけるのが見えた。
男たちが暴れる私を取り押さえた。
ケインが私の方を向いた。
「お前にも見てもらうぞ、ピアーズ。その目で彼女が死んでいくところを見届けるんだ。私がリュトガーやマリーの死を見届けたようにな。」
彼らはケインのそばへ私を引きずって行った。
「何があった?」
私は聞いた。
「お前が地獄を解き放ったんだ、ピアーズ。お前が協力していれば、こんな事にはならなかった。下に何があるのか知らないが、そいつがリュトガーや部下の半数を殺した。地上に逃げられた者たちも病気にかかっていた。想像もつかないような疫病だ。この疫病はジブラルタルを壊滅させて、さらにスペインにまで広がっている。」
ケインが白いカーテンを引き、私に全てをさらした。
ヘレナ。
忙しく動く3人の男と、2人の女に取り囲まれ、ベッドの上で身もだえしている。
私が兵士を振り切ると、ケインが手をあげて放っておくように合図した。
彼女に駆け寄り、髪を撫でて、頬にキスし、それから唇にキスをした。
焼けるように熱かった。
私がその熱さにゾッとしたことを見てとったのだろう。
彼女が手を伸ばし、私の頬を優しく撫でた。
「大丈夫よ、パトリック。ただの流感なの。スペイン風邪よ。そのうち治るわ。」
私は医師を見上げた。
彼が素早く目を伏せた。
涙があふれ、その一粒がゆっくりと頬を転がり落ちた。
ヘレナがそれを拭った。
「あなたが無事でとても嬉しいわ。坑内の事故で死んだと聞かされたのよ。モロッコ人の部下たちをさ助けようとしたんですってね。」
彼女の手が私の頬を包んだ。
「勇敢だわ。」
その手が急に引かれた。
口を押さえても吹き出す咳が、彼女の体とベッドを揺すった。
彼女はもう一方の手を膨らんだお腹に回し、ベッドの柵にぶつからないよう庇っていた。
咳は永遠にも思えるほど続いた。
まるで肺が引き裂かれているような音だった。
ヘレナの両肩を握って押さえた。
「ヘレナ…」
「あなたを許すわ。内緒にしていたことを。わかっているの、私のために黙っていたのよね。」
「許さないでくれ、頼む。」
また咳が始まり、医師たちが私を押しのけた。
ヘレナに酸素を与えていたが、役に立つとは思えなかった。
私は見つめた、そして泣いた。
ケインが私を見ていた。
ヘレナはシーツを蹴って闘っていた。
その体が動かなくなった時、私はケインの方を向いた。
私の声はマスクを通した彼の声のように、平坦で虚ろだった。
私はその急ごしらえのイマリの病院で、躊躇うことなく悪魔と取引をした。

ケイトの頬を涙が伝っていた。目を閉じると、そこにはデヴィドがいるチベットのベッドの上ではなかった。
ケイトはサンフランシスコにいた。
4年前の寒い夜の、あのストレッチャーの上だ。
救急車から病院へと運び込まれている。
周囲では医者や看護師が叫んでいて、ケイトが呼び掛けても耳を貸そうともしない。
ケイトは医者の腕を掴んだ。
「赤ちゃんを助けて。もし私と赤ちゃんのどちらかしか救えないなら、どうか…」
医者が離れて行き、ストレッチャーを押している大柄な男に叫んだ。
「第二オペ室へ。急げ!」
彼らはさらに速度を上げ、ケイトの口にマスクを被せた。
ケイトは眠らないように必死で闘った。

目を覚ますと、がらんとした広い病室にいた。
身体中が痛かった。
腕には何本も管が繋がっている。
すぐに腹に手をやったが、触る前からわかっていた。
ガウンを引き上げ、腹部に長く走る醜い傷を見て取った。
両手に顔を埋めて泣いた。
どれくらいそうしていたかわからない。
「ドクター・ワーナー?」
ハッとして顔を上げた。
希望が膨らんだ。
ケイトの前に気後した様子の、看護師が立っていた。
「赤ちゃんは?」
ケイトはかすれた声で聞いた。
看護師が視線を下げ、自分の足を見つめた。
ケイトはベッドに崩れ落ちた。
次から次へと涙が波のように溢れてきた。
「あの、確認させて頂きたくて。緊急連絡先が記載されていないようなので、その…どなたか連絡した方がいい方はいませんか?お父さんの方には?」
一気に燃え上がった怒りが涙を堰き止めた。
7ヶ月の恋愛、食事、ときめき。
成功したインターネット起業家?
どこまで本当か、わかったものではない。
いい加減な避妊。
突然の別れ。
1人で育てようと言う決意。
「いいえ、連絡する相手はいないわ。」

デヴィッドがケイトを抱きしめて、涙を拭いた。
「いつもはこんなに感情的にならないんだけど。」
ケイトは鼻をすすって言った。
「ただ、私…向こうにいたときに…」
堤防が壊れてしまったようだった。
これまで跳ね返してきた感情や思いが、一斉になだれ込んでくる。
言葉が形になって口から漏れようとしていた。
誰にも言ったことのない話を、男を相手に打ち明けようとしている。
数日前なら想像もつかなかったことだ。
彼といると安心できた。
いや、それ以上だった。
彼を信頼しているのだ。
「わかっている。」
彼がケイトの頬に手をやり、また溢れ出した涙を拭った。
「傷のことだろう?いいんだ。」
そう言うと、ケイトの手から日記を取った。
「今夜はもうやめておこう。少し休んだ方がいい。」
ケイトはデヴィッドに腕を引かれて横になり、彼と肩を寄せ合って目を閉じた。

続く→
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